阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

泣く子も黙る「原子力ムラ」、日本国とは独立して村人になれば金が入る利益共同体のムラ。   河合弁護士がわかりやすく説明している。

2021年03月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2021年3月15日付東京新聞夕刊☝

映画『日本と原発 4年後』全編版(シーン別の頭出しができます)

00:00:00 プロローグ原発の始まり

00:02:59 原発事故・浪江町の惨劇

00:11:14 失われた飯舘村

00:14:38 原子力発電とは 

00:16:21 過酷事故シミュレーション

00:19:45 東電退避問題と国家壊滅危機

00:30:10 福島事故の最悪シナリオ

00:32:00 前原子力委員長近藤駿介氏1

00:35:13 チェルノブイリ

00:37:43 放射線被曝とは

00:41:00 東電元役員たちの責任追及

00:44:11 相関図で見る 原子力ムラ

00:49:35 古賀茂明氏に聞く電力癒着

00:52:19 原発訴訟

00:56:05 原発推進派の夢のエネルギー

01:01:15 安全ではない規制基準

01:07:43 原発はテロの標的

01:14:40 前原子力委員長近藤駿介氏2

01:17:05 原発の科学・技術進歩を問う

01:19:48 地震大国日本~浜岡原発危機

01:23:13 勝訴!大飯原発差止訴訟

01:26:33 被曝 母親たちの苦悩

01:31:32 失われた浪江町

01:34:41  原発事故と自死

01:36:55 汚染水問題

01:41:26 使用済み核燃料の行方

01:43:04 原発無しでも電力不足にならない

01:43:42 大島堅一氏に聞く原発のコスト

01:46:06 元原子力委員木元教子氏

01:48:11 国富流出論を問う

01:50:37 高浜原発差止仮処分決定!

01:54:20 不当な川内原発仮処分却下

01:55:49 強制起訴!東電元役員たちの責任

02:00:42 自然エネルギーの隆盛

02:05:55 4年後

02:09:32 エピローグ日本と原発54基

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さようなら原発講演会「原発を東京湾に造らなかったのは万が一の事を考えて」

2021年03月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

さようなら原発講演会「原発を東京湾に造らなかったのは万が一の事を考えて」

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いのちの理由 さだまさし

2021年03月18日 | 音楽・絵画・映画・文芸

いのちの理由 さだまさし

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上野公園はゆったりと春に向かっていた。      その2

2021年03月17日 | 東京あちこち

美術館を出て茶屋に入ろうかと迷いつつ

上野東照宮の前を通り

やはりいつもの精養軒に向った。

日曜日の精養軒は初めてだったが、なんと待機席に人が一杯で只今の待ち時間は30分とのこと。待つのは性分として勘弁してもらいたいので上野の町に

出ることにした。さくら通りは結構にぎわっていた。  前回の精養軒

さくらはほんのはしりだった。

通りから不忍池が見えたが蓮の葉の青みはまだまったくなかった。

210314   ウオーキング  歩行数  7173歩   歩行距離  4.5km

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【読書感想】2016年の週刊文春 [権力の監視者を標榜しつつも、実際には極端に臆病で従順なのが日本の新聞やテレビだ]

2021年03月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・ 権力の監視者を標榜しつつも、実際には極端に臆病で従順なのが日本の新聞やテレビだ。諸外国とは異なり、日本の新聞社とテレビ局は資本関係でつながる異常な構造を持つ。読売新聞と日本テレビ、朝日新聞とテレビ朝日。テレビ局は許認可事業であり、規制に弱いのは当然だ。政治記者は政治家に食い込み、同様に芸能記者は芸能事務所に食い込み、様々な形で便宜を図ってもらううちに、いつのまにか取り込まれ、やがて何も言えなくなる。

 権力者は、自分にとって都合のいい情報だけを発信し、都合の悪い情報は徹底的に隠す。だからこそ不都合な真実を伝える週刊誌、特にタブーを恐れない『週刊文春』は権力者からはことさらに危険視され、敵視され、忌避されるのだ。『ニューズウィーク』は「週刊誌がおじけづいたら、誰が政治家に楯突くのかと考えると絶望的になる。日本の新聞はあまりにも臆病だから」と書いた。

全文

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上野公園はゆったりと春に向かっていた。     その1

2021年03月16日 | 東京あちこち

日曜日 上野の都立美術館に行った。公園は春のとっかかりの装いで 老いも若きも幼児も男も女も 沢山の人で賑わっていた。

 上野駅公園口の改札を出た時時計を見たら、玄関を出てからの所要時間は34分だった。

動物園は休園だった。

都立美術館のエントランスは地下一階にある。エスカレーターで下に降りた

場所によっては桜もちらほら咲いていた。

 

 

 

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水墨画「北限アコウの生命力」を観た。友人の長谷川和弘さんが「日中水墨大賞」を授与された水墨画。  東京都美術館にて

2021年03月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸

◎この作品は会場に入ったすぐの真正面の場所に展示されていた。作品を見た瞬間これが水墨画?と思った。

自分のこれまでの知識では水墨画は山水画を描く技法の一つだと思っていたからだ。この絵の題材は山水ではない。しかし一つの自然は描いている。

 目の前にある実作品をじっと見ているうちにそんな対象うんぬんのことはどうでもよくなった。

作者は この作品の長い長い製作期間中 自分自身に一切妥協せず 強靭な精神力を維持し 作品が目指した姿を追求したのだという思いが頭に浮かんだ。

まず題材選びから始まり、それをどう描くかの構想、そして着手 制作。  並ではない永い時間がかかっている。

 細部の一筆一筆のゆるぎない送筆の緻密さは恐ろしいほどだ。

 この絵は完成したのちの 他者からの評価のことは全く考えずに自らの精神が目指すものとして出来上がったのだと思う。

画を見ているうちに 不思議なことに 全ての人間が持つ シャカムニが言われる「生老病死」が作品に浮かんでいるように思った。

  杉本さんのメールには「審査員の評価がたいそうたかかった」とも書かれていたが、伝統的な山水の世界の水墨画の概念をためらいなく悠然と超えた

作者「長谷川和弘さん」のこの作品は 変化が常である人の世の中にこれからずっと水墨画が存在していく一つの啓示としても評価されたのだろう。

 ◎ 日本・中国合同水墨画展に愛媛県新居浜の友人「長谷川和弘」さんの作品がトップに選ばれ上野の東京都美術館に展示されていると

メールで教えてもらった斎藤さんに感想を送りました。

⇒「実作品に触れてみたくなり今日の午前中に東京都美術館に行ってきました。

迫力ある作品でした。他の方々はいわゆる山水画の流れを踏まえたものが多いと思いましたが、彼の作品は構想力からして違い、

具象でありながら抽象画でもあると感じました。

長谷川さんが水墨画をやっていることも初めて知りましたがプロの作家の域にありますね。今日の上野は沢山の人出でした。」

 斎藤さんからメールを頂いたお陰様でこれまで全く知らなかった美の世界に連れて行ってもらいました。

もうひとかた やはり既に東京都美術館へ行かれて本作品を見ておられた杉本さんからのメールからその一部。 

⇒「二、三年前にも案内をもらって鑑賞に行きました。
 
名前を忘れましたが山の中の樹木を題材にしたもので、今回の画風と同じようだったと思います。

敬天寮の部屋でアジサイの油絵を仕上げておられた記憶がありますので、その流れでしょう。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ◎作者から聞いていなのいで推測だが「アコウ」とは  Wikipediaから一部引用

アコウ 榕、赤榕、は、クワ科の半常緑高木

日本では、紀伊半島及び山口県四国南部、九州南西諸島などの温暖な地方に自生する

樹高は約10 - 20m。樹皮はきめ細かい。幹は分岐が多く、枝や幹から多数の気根を垂らし、露頭などに張り付く。新芽は成長につれ色が赤などに変化し美しい。葉は互生し、やや細長い楕円形でなめらかでつやはあまりなく、やや大ぶりで約10 - 15cm程である。年に数回、新芽を出す前に短期間落葉する。ただし、その時期は一定ではなく、同じ個体でも枝ごとに時期が異なる場合もある。

5月頃、イチジクに似た形状の小型の隠頭花序を、幹や枝から直接出た短い柄に付ける(幹生花)。果実は熟すと食用になる。

長谷川さんと同じ社中の方々かと思える作品

この作品も楽しかった。

会場の休憩室で

窓から見ると上野公園はかなりの人出だった。

長谷川さんとは55年前に当時大阪にあった本社の入社式で出会い、一週間の本社実習のあと新居浜に移り、2年ほど独身寮の敬天寮で同じだった。

その後所属する事業部が違ったので日常的なコンタクトはなかったが、2006年11月には幹事団のヘッドとして 同期入社者の会である椎の会の

40周年大会の集まりを新居浜でやってくれ 大変お世話になった。

     2017年3月28日付新居浜市役所Twitter ☟ 写真向って左の長谷川和弘さんはこの年総務大臣賞を受賞している。

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上野の東京都美術館にいます。

2021年03月14日 | 東京あちこち

新居浜の友人の水墨画がこの合同展の第1席に選ばれたと教えてもらいやって来ました。作品は明日掲載します。

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平井大橋を渡って新小岩公園へ歩いた

2021年03月14日 | 身辺あれこれ

この日はほぼ無風で寒くもなかったので新小岩まで足を伸ばした。小岩は江戸川区なのに新小岩公園や新小岩駅の所在地は葛飾区になるのが面白い。

荒川の河川敷のけやきの大木はまだ葉をおとしたままだった。

この橋を渡る

 

総武線の向こう側の河川敷で先日まで早朝に電車に向って旗を振る人たちがいて、たまたま楽器演奏の練習をしていた身内もテレビに映っていた。

新小岩公園は人が少なかった。

210311  ウオーキング  歩行数 5212歩 歩行距離  3.3km

 

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JR亀戸駅東口の立ち食いそば“文殊”でやはり春菊蕎麦を・・・

2021年03月13日 | 食べる飲む

2月3日ウオーキングで亀戸まで歩いた時 ちょっと時分時を外して“文殊”に寄った。

この店もきちんと娑婆間隔(ソーシャルディスタンス)の整備がされている。

 立ち食いそば店の自分では決まりの「春菊そば」をオーダー。イカの天ぷらを追加した笑。

知らなかったが春菊も関西と関東では品種が違い、このような春菊の天ぷらは確かに関西にはなかった。

関西にはうどんがメインの立ち食いの店にソバもメニューにはあることはあるが、うどんつゆのそばに一度懲りてから

関西では立ち食い店でそばはオーダーしたことはない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

関東では「春菊」、関西だと「菊菜」、知らないその差と美味しい食べ方を伝授します! - ビデリシャス - おいしい動画 - | 週末に試したくなる料理レシピ動画 (videlicio.us) click

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巣ごもり生活の長期化が影響か 脳出血入院患者数は2倍強に   BLOGOS

2021年03月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用…

患者数の増加はなぜ起きているのか。AIC八重洲クリニック・循環器内科科長の手塚大介医師が語る。

「自粛生活により普段から運動習慣のなかった人はさらに運動不足になる。食事もテイクアウトや宅配でコレステロールや脂質が高い食事を摂りがちで、間食も増えてしまう。心理的ストレスやうつも加わって、高血圧をはじめとした生活習慣病を悪化させ、それが脳卒中を引き起こす要因と考えられます」

 さらに工藤院長はこんな傾向に警鐘を鳴らす。

「受診控えで血圧の薬を切らしてしまい、そのまま服用を止めている患者が多い印象があります。日本神経学会では心房細動のある患者が抗凝固剤の服用を中止した結果、脳梗塞を発症したケースを報告していますが、これは当院でもありました。

全文は画像クリックで。

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もう10年「原発事故責任」まだ決まらぬ根本原因 一審の判断も高裁の判断も分かれるモヤモヤ  東洋経済オンライン

2021年03月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

立証方針や争点は同じなのに司法判断はバラバラ

東日本大震災とそれによる東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年になる。いまでも「帰還困難区域」という人の住めない場所を残す巨大原子力災害。ところが、事故から10年にもなろうというのに、事故を引き起こした責任がどこにあるのか、いまだに争って、定まらない異様な事態が続いている。

無論、事業主である東京電力の責任は避けては通れない。問題はもうひとつその先にある。すなわち、経営陣と国の責任だ。それも、いまだにいくつもの裁判で争われながら、司法判断が分かれる。

国の責任が問われているのは、いわゆる「原発避難者訴訟」と呼ばれる、事故によって避難した住民が国と東電に賠償を求めている民事訴訟だ。避難先の各地で、いまのところ30件ほど提訴されている。

このうち、千葉県に避難した住民43人が国と東電に損害賠償を求めた控訴審判決が2月19日、東京高裁であった。一審の千葉地裁では、国の責任を否定していた。ところが東京高裁では国と東電の双方に賠償を命じて、国の責任を認めているのだ。

同種の裁判の高裁判決はこれで3件目になる。

2020年9月には仙台高裁が、一審の福島地裁の判決に続いて、国と東電の責任を認めている。ところが、今年1月の東京高裁では、一審の前橋地裁が国と東電の責任を認めていたにもかかわらず、国の責任は認められないと否定している。

2対1で高裁の判断が割れる。一審の判断もバラバラ。東京高裁に限れば、裁判官によって真っ二つに分かれている。しかも、ここで重要なのは、どの裁判も立証方針や争点が、いずれも同じであることだ。全文は画像クリックで

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半藤一利さんが生まれ育った場所を訪ねて墨田区の東武電鉄・小村井駅で下車して歩いて帰った。

2021年03月12日 | 東京あちこち

某日訪ねた亀戸中央公園はまだ冬模様が続いていた。

公園から出て丸八通りを横切るとすぐ「東武 亀戸水神駅」がある。この路線は亀戸駅と曳舟駅の間をシャトル運転する東武線の短い支線だ。

亀戸―亀戸水神ー東あずまー小村井―曳舟と駅は五つしかない。曳舟で東武スカイツリーライン・伊勢崎線に接続する。

小村井(おむらい)駅で降りた。

向島警察署は駅のすぐ近くにある。駅は明治通りに面していてすぐに丸八通りとつながる。

この交差点の右手をおそらく500mほど歩くと半藤さんの生家跡があるはずだがこの日はここまでとした。

先日は逆に平井橋からこの交差点まで歩いて来て、交差点を左手に丸八通りをいき、東あずま駅で電車にのり亀戸経由総武線で帰ったがこの日は平井橋に向って歩いた。

平井橋のたもと。

1945年3月10日の、アメリカによる焼夷弾絨毯爆撃で2時間半で10万人の東京在住の一般庶民が焼殺されたとき、

半藤一利さんが飛び込んで溺死しそうになったが危うく引き上げてもらい助かった平井橋の上からの風景。

76年前にはこの旧中川に3000体の焼死体が浮いていた。

210306 ウオーキング  歩行数 8504歩 歩行距離  5.3km

 

 

 

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フクシマとコロナが露わにした日本の根本弱点 国民の安全を保障する体制をいまだ作れてない    東洋経済オンライン

2021年03月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

フクシマとコロナの危機は同じことを告げている

2020年春、新型コロナウイルス感染症危機が起こった。

4月上旬、緊急事態宣言が発出された頃、私は日本政府のコロナ対応を追跡することにし、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API=日本再建イニシアティブ(RJIF)が発展的改組したシンクタンク)主宰の研究グループをつくった。そして、7月、対応を調査・検証するため「新型コロナ対応民間臨時調査会」(小林喜光委員長=コロナ対応民間臨調)を設立した。研究グループのコアメンバー中心にワーキング・グループを立ち上げ、検証作業を始め、10月、報告書(「調査・検証報告書」)を発表した。

フクシマとコロナの2つの危機は私たちに同じことを告げていると私は感じる。

もとよりフクシマ危機とコロナ危機を同列に扱うわけにはいかない。福島原発事故は本質的には人災であり、日本の安全規制文化とガバナンスの歪みを露わにした。これに対して、Covid-19の場合、それはウイルスとの戦いであり、全世界が苦闘し、今もしている全人類的挑戦である。しかし、いずれも日本が「備え」(responseとpreparedness)が著しく弱かった点は共通している。

それも、不意を衝かれたのではない。ブラック・スウォンの奇襲を受けたのでもない。いずれの場合も、ありうるシナリオとして指摘され、警告も出され、政府は問題の所在を認識していた。にもかかわらずに、備えを怠った。

それはなぜなのか?

フクシマの場合、それは「安全神話の罠」でかなりの程度、説明できる。原発重大事故のような経営的、政治的にストレスがかかるリスク管理に当たってはそのリスクを「想定外」として遮断し、リスクの評価そのものを変える。「住民に不必要な誤解と不安を与える」可能性のあるものは、津波対策もシナリオも訓練も技術革新も基準・標準も国際協力も「想定内」に封じ込める全文

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震災10年、奮闘たたえ合い「頑張ろう」 福島民友新聞社編集局長

2021年03月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2021年03月11日    引用元。

3月11日。鎮魂の日の朝は心静かに迎えたいといつも思う。東の空が明るみ始めたら目を閉じて祈ろう、今年はまた少し顔を上げてみようと。ふくしまは今、落ち着きを取り戻している。

 しかし、その日が近づくと、10年前のように感情が高ぶってくる。途中の記憶はすでに薄れたのに。あの日、果てしなく続くかと思われた揺れの後、多くの命が失われた。ほどなく海が巨大な壁になって押し寄せ、もっと多くの命をのみ込んだ。放射性物質の恐怖が人々を追い立てた。寒さと苦痛と余震の恐怖に顔がゆがんだ避難所、息苦しい仮設住宅暮らし、先の見えない不安と疲労と絶望の果てに、さらに多くの命に終止符が打たれた。

 追悼すべきは記録された犠牲者4151人だけではない。復興への闘い道半ばで倒れた人、帰郷がかなわないまま逝った県人、家族同然の生き物たちも葬らざるを得なかった。200万県民の誰しもが味わった悔しさは、怒りに変わった。

 東京電力福島第1原発事故の被災者は一日千秋で待った一時帰宅で、獣と盗賊に荒らされた家に驚き、防護服と土足で踏む畳に涙した。中通りの子育て家族は、放射線の専門家が泣き叫び識者が悲観論をあおる中で、逃げるかとどまるか、苦渋の選択に泣いた。会津の観光地は人出がぱったり止まり静まり返った。もう10年か、まだ10年か。心の奥にしまった怒りが、廃炉作業トラブルや閣僚・官僚の心ない発言の度に一気によみがえる。東電と政府は、県民の複雑な感情を侮ってはならない。

 マイナスから始まった復興

 原子力災害からの復興はマイナスからのスタートとされる。ゼロから復旧を図る自然災害と違い、原発事故は火口ほどもある大穴を手仕事で埋め戻すような辛苦を県民に強いた。

 それでも、ふくしまはここまで来た。県土の12%を占めた避難区域は2.4%に減った。帰還困難区域以外の人里の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルトを切る水準で、世界の主要都市を下回るほどだ。往来が認められたJR双葉駅前は毎時0.27マイクロシーベルトまで下がり、除染で目指す毎時0.23マイクロシーベルトに迫る。最大16万人台を数えた避難者は記録上は3万人台までになった。帰還困難区域を除けば、ごく普通の生活ができ、子どもたちの笑顔にも会える。

 10年前、ここまで回復できると確信できた人は少なかったはずだ。大人たちは本当によく頑張った。農家は産品から放射性セシウムが検出できないほどの安全性を実現し、先端技術農場やワイナリーなど新たな挑戦も続く。地震で寸断された道路網は格段に向上し、ロボットテストフィールドや水素製造拠点など産業基盤の整備も進んだ。県民は互いに奮闘をたたえながら、胸を張ろう。

 全国から駆け付けた警察官や応援職員は異郷の住民に寄り添い支え続けた。廃炉作業員や除染作業員は荒れた大地を整えてくれた。国内外からの声援は人々に力を与えた。感謝の言葉しかない。

 溝を埋める努力続けよう

 2021年3月11日午後2時46分。私たちは新たな10年を迎える。健やかに成長した子どもたちが加わり、新たな世代が課題への挑戦を始める。

 大きな穴が埋まったわけではない。原子力災害は、家族のつながりと地域コミュニティーを分断する最大の罪を犯した。しかも現在進行形だ。再起し前進する人と、自立できず心に痛みを抱えたままの人との格差を広げ続けている。行政は、立ち上がれない人を個人の問題と片付けてはならない。私たちも溝を一つ一つ埋める努力を続けよう。

 誤解や偏見が強い痛みを与えることを、ふくしまの人は知った。その教訓はコロナ禍にも生きる。私たちが石を投げてはいけない。「励ましの社会」を実現していこう。

 自分だけ良ければいいという考えは厳に慎みたい。中間貯蔵施設を受け入れてくれた大熊、双葉両町の住民の痛みをわがこととして考えようと、多くの識者が取材に答えてくれた。では、福島第1原発でたまるトリチウムを含む処理水はどうか。科学的、現実的な方法と向き合ってはいけないか。それが汚染土壌の2045年県外搬出や、廃炉の前進につながるはずだ。

 国内流通業界もしかり。放射線を正しく理解する最前線に立ってほしい。県産品には、もはや風評はないという指摘がある。あるのは消費者心理を過剰に推測して県産品を棚から外す流通業界の誤った判断だと。民間ならではのスピード感をもった方針転換を願う。

政府と東電は当事者意識を

 東電は、ふくしまを最優先で考えなければならない。被災地での謝罪がパフォーマンスと化していないか。組織が緩んでいないか。廃炉の確実な前進と、隠蔽(いんぺい)を疑われない社内体質への転換しか、失った信用を取り戻すすべはない。原子力技術者の先細りをどう克服するか、業界を挙げた対策も講じる時に来ている。

 政府はこの10年間、「知恵を出した被災地を支援する」と言い続けた。勘違いは困る。原発事故は加害者のいる災害だ。加害者たる政府と東電は「上から目線」でなく、当事者意識を高めてほしい。

 福島民友は被災者の「自立」と「自律」を訴えてきた。復興予算の使途も同様だ。しかし、霞が関省庁間で予算削減論が活発化していると聞けば「時期尚早」と叫びたい。ふくしまは、ようやくゼロの一歩手前まで来たばかり。帰還困難区域には荒れ果てた地域が、まだ広がっている。人が戻らなければ無駄という発想を捨て、中長期の視点で大地の浄化を考えてほしい。古里再生が住民に夜明けを告げる。世界に名をはせた「ふくしま」が日本の宝として輝きだすと、私たちは信じる。

 

3月11日付東京新聞朝刊

NHK

東日本大震災 福島第一原発事故 発生からきょうで10年

東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生からきょう(11日)で10年です。住宅の再建やまちづくりなど、目に見える形での復興は一定の進展があったものの、福島県を中心に全国で今も4万人以上が避難生活をしているほか、経済活動や人とのつながりの再生は大きな課題となっています。10年の経過を震災の被害を乗り越える区切りとは思えない人も多く、長期的な視点で暮らしを支えられるかが改めて問われています。

死者・行方不明者少なくとも2万2200人

今から10年前の2011年3月11日の午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せました。

警察庁などによりますと、これまでに確認された死者と行方不明者は1万8425人となっています。

また、復興庁や自治体によりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、東北や関東、それに長野県で、3月9日までに少なくとも合わせて3775人で「関連死」を含めた死者と行方不明者は少なくとも2万2200人に上ります。

住まいの整備 一定の進展

 
この10年で、住まいの環境整備は一定の進展がありました。

一時最大で11万人以上が暮らしたプレハブの仮設住宅は、宮城県では去年4月に全員が退去したほか、岩手県でも今月中に全員が退去する予定です。

自宅を失った人が入居する「災害公営住宅」も去年12月に計画済みのものはすべて完成しました。

いまだ避難生活 4万人超

しかし、避難生活をしている人は、住民の帰還の見通しが立っていない地域がある福島県を中心に、2月の時点で全国で4万1241人に上っています。

さらに、新たな住まいでは、経済的な負担やいわゆる孤立死などの問題も起きています。

“10年が区切り”受け止め分かれる

NHKが岩手県・宮城県・福島県の被災した人たちに行ったアンケートで、震災の発生から10年が経過することについて「震災の被害を乗り越える区切りとなる」と思うか尋ねたところ、「そう思う」「ややそう思う」と答えた人は44.5%だったのに対し「そう思わない」「あまりそう思わない」と答えた人も31.0%と受け止めは分かれています。

復興への関心が薄れることや人的・経済的な支援が減ることへの懸念の声も多く、被災した人たちの立場が細かく変化していく中、長期的な視点で暮らしを支えられるかが問われています。
 
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