阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

宣言下での「安心安全な五輪」 菅首相の答えかみ合わず           (Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)

2021年07月10日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・しかし安心安全な大会をどう実現するかについては、選手や大会関係者に対する入国前後の検査の徹底や、ホテルの指定と外出先の事前提出による行動管理で「ウイルスの国内への流入を徹底して防ぐ」「一般国民との接触はないように管理される」と述べるのみで、従来の説明を繰り返した。  安心安全な大会の判断基準について問われると、首都高速の料金値上げや会場周辺の交通規制、テレワークの推進などによって「大会時の人流は極めて抑えられる」と強調した上で、「ウイルスに侵入されなかった。感染拡大を阻止した。そうした結果は大事だと思っている」と抽象的な説明にとどまった。  3回目の緊急事態宣言の解除を決めた前回6月17日の会見で、菅首相が「日本国民の安全・安心、命と健康を守るのは内閣総理大臣として私の仕事。私が責任を持って行う」と明言したことを踏まえ、宣言下の五輪開催で感染者が増加した場合の責任をどう考えるか、との質問も出た。  それに対しては「(五輪開催で)人流が多くなると言われているが、交通規制、あるいはテレワーク、だいぶ前から徹底して行ってきているが、こうしたことで安心安全な大会が実現できると思っている」と重ねて述べ、答えはかみ合わなかった画像クリックで全文に飛びます

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阿智胡地亭便り⑬  #52  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月10日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#52 コウベローカル噺④インド料理を・・ 2004.02.24記

毎年、初詣のあとインド料理店に行くことにしているが、今年は出かけようと思った日が寒かったりして行っていなかった。
 
先日結構暖かい日があって、思い立って昼に「ゲイロード」に出かけた。
震災前に三宮の神戸市役所近くにあった「Gay Load(陽気な殿様)」は、当時ロンドンやパリにもチエーン店があって、
長身のインド人給仕頭が黒服に身を固め、広い店を笑顔で仕切っていた。ボーイも皆インド人で、店の雰囲気は高級レストラン風だった。
 
その店が震災後中山手通りに移転したのは知っていたが、移転先には行ったことがなかった。
 昭和55年ごろ、ボンベイ(ムンバイ)港湾局の施設部長を日本に呼んで四国の工場や神戸港に案内したことがある。
彼は、ベジタリアンの中でも厳密な方の菜食主義者で、東京のレストランで彼のために特注した焼き飯を、
「この焼き飯の前に肉を使った料理に使われたフライパンが、そのまま使われているようだ。米飯に肉の臭いが
するから食べられない」と言ったりして、食事では大汗をかいた。
 
「ゲイロード」にはさすがにベジタリアンメニューが普通にあって、案内したこちらもも施設部長もホットした。
彼は驚くほど沢山食べた記憶がある。成田到着から何日も、腹を減らしていたのかと、少し気の毒だった。
 余談ながら、一緒に泊まった三宮のホテルの朝食で、私が和定食の白飯に生玉子をかけて食べだしたら目を丸くして驚いて見ていた。
聞くと生まれて始めてこういう食べ方を見たという。
後でなんかで読んだのだが、世界中でも、玉子をこうして食べるのは日本だけらしい。
それにしてもベジタリアンは海外に出るのは大変だなと思った。原理原則なき民である日本人の中でも、阿智胡地亭は、
和洋中華印度朝鮮蒙古なんでも、「うまければどこの料理でもいい」と思っているのだが。
 
新しい店は、神戸に多いインドレストランの中でも広い方だった。雰囲気は、前の店に比べると気安い感じの店になっていた。
入ってすぐのところのガラス越しに「タンドウール(タンドリ)」窯が置かれてインド人の料理人が二人いる。 
接客は若手の男性1人とインドの民族衣装を着た女性が二人がしていたが、皆日本人だった。
 
ランチタイムメニューには定食が3種類あったけど、久しぶりのインド料理なので、メニューからいくつか選ぶことにした。こちらはまず、
ボンベイ出張時に良く飲んだジントニック(インドではいいジンが出来る)を頼んで、料理のチョイスはアイカタに任せた。
 
奥の方に中年の男女10人くらいが、何かの集まりの昼食会をしているのと、若い二人連れと若い男一人客にサラリーマン風の男二人の客が居た。
オーダーしている間に隣の席に黒人とスーツをぴしっと決めた若い日本人が座った。黒人は派手なウインドウブレーカーを着て、
日本の食べ物では何が食べられるなどと話しだした。オリックスの新しい外人選手と球団の通訳かも知れない。

 
オーダーはミックス・タンドリプレート(チキン、マトン、サカナ、エビ)、野菜のサモサ、
チキンマサラカレーとドライカレーに決まり、それにプレーンナンを取ることにした。
 
食べ始めて暫らくすると、近くの窓側の席に大柄な老年のインド人が一人で来て座り、すぐ追いかけて別の同年輩の白髪の一人が来て握手をした後、
向きあって座った。long time no see・・・と話し出して、娘が18になり、ハイスクールを卒業・・と聞こえて来た。
久しぶりに友達どうしが、この店で落ち合い、一緒に食事をしてお互い近況を話しているのだろうと思った。

インドの言葉ではなく、英語で話をしているところからすると、同じインドでも言葉が違う別々の土地の出身者が、神戸に住み着いて知り合ったのだろう。

 
料理がおいしかったので、相方-あいかた にブツブツ言われながら、ジントニックを追加でもう一杯頼んだ。
 
どの皿もスパイシイーでおいしかったが、量がたっぷりあったのでドライカレーは少し残した。
 
一時間半ほどゆっくり居て、店を出た後どうだったと相方に聞きたら、前より料理が日本化していると言う。
どこが?と聞くとグリーンピースを使いすぎと言う。言われてみれば確かにそうだった。何かの食材をグリーンピースに
代用させているのかも知れないが、女の目は男と違う。味は多少日本化しているかも知れないが、それなりにおいしく食べた。
 前は法人客が多かったが、今は主として日本人の個人客を主な顧客にしているようだから、多少日本化しないとやっていけないのだろう。
 
彼女は次回のインド料理は、北野町にある「ガンダーラ」の本店に行ってみようと言った。
いきつけだった阪急三宮駅前の「ガンダーラ」の支店は数年前に閉店してしまっていた。

2012年6月20日に行った現在のゲイロードはこちら

 

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旧中川の定点観測地点  一面の雑草の刈込が終わっていた。

2021年07月09日 | 身辺あれこれ

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諏訪の武将活躍 漫画「逃げ上手の若君」人気    長野日報

2021年07月09日 | 諏訪便り

2021年7月9日 6時00分

諏訪(照雲)頼重の供養塔を訪れた石埜さん=茅野市宮川。「逃げ上手の若君」の作者・松井優征さんの取材に協力し、諏訪地方を案内した

鎌倉時代後期から南北朝時代初期に実在した諏訪の武将、諏訪頼重(不明~1335)が主要なキャラクターとして登場し、諏訪地方が物語の大事な舞台として登場する少年漫画が話題を呼んでいる。週刊少年ジャンプに1月から連載中の「逃げ上手の若君」だ。作者は「暗殺教室」などで知られる人気漫画家の松井優征さん。単行本第1巻が発売中だ。

■主要人物に諏訪頼重

漫画の主人公北条時行は、1333年に滅亡した鎌倉幕府執権北条氏の本家筋最期の当主・北条高時の遺児。主要人物として登場する諏訪頼重は諏訪明神の依り代(神霊が宿る対象物)として諏訪社の頂点に位置した神職「大祝」を務めた後、武士となり、時行を助けた。2年後、頼重は時行を擁立して挙兵。東進して建武新政権側の足利直義(足利尊氏の弟)を敗走させ、鎌倉を一時的に奪還する。歴史上では「中先代の乱」と呼ばれている。

少年ジャンプの連載で松井さんが描く頼重は、逃げ上手という天性の才能を持った時行を守り、導く参謀役。時行の生涯を決定付けるキーパーソンとして描かれている。信濃諏訪の国の神官で断片的ながら未来が見通せるという神力を持つ人物で、オーバーなリアクションで笑いを誘いつつも、逃げることで英雄となる時行を育てていく。松井さんは頼重について取材に、「武士で神官で神という特異な立場にあり、さらには強固な忠義を持ち合わせた謎だらけで魅力的な人物」と語る。

■御柱祭にも興味

作者の松井さんは連載開始前の昨年秋、2日がかりで諏訪地方を取材している。案内役は諏訪地方を拠点に活動する信仰史などの研究会「スワニミズム」の石埜三千穂事務局長(56)=下諏訪町上久保=が務めた。松井さん側の希望は諏訪大社4社(上社本宮、前宮、下社秋宮、春宮)や神長官守矢史料館(茅野市)の案内だったが、石埜さんは作品の時代背景や作者側の意図を聞き、中世の雰囲気が感じられる場所を訪問先として提案。八島湿原の南端にある旧御射山社(諏訪市)や乙事諏訪神社(富士見町)などを追加で案内した。乙事諏訪神社は江戸時代初期、1617(元和3)年の建築物で、もともとは「諏訪神社上社本宮」の幣拝殿。「逃げ上手の若君」の中で時行が諏訪に入った際に描かれた諏訪神社はその特徴から「乙事諏訪神社を基に描かれたのでは」と石埜さん。

原村内を移動中には時行が見たであろう八ケ岳連峰の風景などを紹介した。松井さんは神社仏閣や雄大な自然だけでなく、時折、車を降りては森の中の小さな小川など多様な資料用写真を撮り集めた。御柱祭にも興味を持ち「御柱祭に対する氏子の皆さんの情熱は尋常ではない」と振り返った。取材を通じた諏訪の印象について「ごく自然に諏訪大社が諏訪の人たちの精神の中心にあると感じた」とした。

■石埜さん「中世にスポットうれしい」

案内した石埜さんは「諏訪の歴史というと縄文、または戦国~江戸時代に関心を向ける人が多い。そうした中で諏訪の中世にスポットを当ててくれたことがとてもうれしい」と喜び、今後に期待を寄せていた。

第1巻に続き、8月4日には第2巻が発売される予定。松井さんは「諏訪の人々が天下を震撼させた無二の大乱を少年漫画らしい熱さを添えて描いていきたい。読んでもらえるとうれしい」とコメントした。

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阿智胡地亭便り⑫  #51  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月09日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#47,48,49,50原稿散逸。

#51<庭木の剪定を頼んだら・・> 2004.02.17記

先日、新居浜の旧友から下記のようなメールをもらいました。
 
日本という「近代国家」が持つ多面性・連続性・劇場国家性?などの一端を示す
エピソードかと思い、旧友の了解を得てここにご紹介します。
 
・・・千五百年ほど前に数百年間(あるいはその後も長く)、西国の大和朝廷系部族に
こてんぱんに蹂躙された東国諸国の一部族の末裔の一人としては、これを読んで
ちょっとした感慨を持って「へぇ-、へぇ-」というしかありませんでした。
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阿智胡地亭さん、お宅も知っとる新居浜の某社に旧皇室に連なる方がおられることは
ご存知でしたか?(はよから丁寧語口調になってしもとるわね...)
  「有栖川宮家の詐欺事件」は滑稽な笑い話としてすでに記憶からほとんど
消えていましたが、今回、歴代皇室の本物の末裔にお会いして、家内ともども
しばらくこの話題で盛り上がりました。
 少し前になるけど、庭木の剪定をその某社のOさんにやってもろたんです。
もう10年も前からそこの会社のグリーン部隊に剪定をお願いしているんやが、
このOさんが実は第29代欽明天皇(きんめい)の末裔であることが分かりました。
 しかも百人一首で有名な小野道風や小野小町(美人で有名)とも親類にあたることが
家系図から判明し、我々はただ絶句と言うか、人は見かけとちゃうなーと、聞いてビックリしたんよね。 
ではOさんのお話を下記します。


************************************
その日の剪定が済んで、Oさんが帰りしなに私にこう言うたんが事の発端やわね。
 こないだ、会社から帰ったら家内から、「お父さん、宮内庁から電話があって、歴代天皇大鑑が出来上がりました。無料です。
御入用ですか?と電話あったよ」と言うんで、宮内庁に電話して歴代天皇大鑑を送ってもろたんです。明日また剪定に来るんやけど、
見られるんやったらそのおり持ってきますが。 Oさんからの突然の話でしたが見せてもらいます、と返事した。
 翌日は午前中に剪定が終わり、Oさんの独演会を約1時間あまりお聞きすることになりました。(もう完全に敬語になってしもとるがね)
 桐の箱に丁寧に梱包された、日本皇室図書刊行の【新歴代天皇大鑑】と家系図を見
ながら有難く拝聴させて頂いた内容は、まず日本の天皇の始まりは天照大神(あまてらすおおみかみ)である、からスタートした。
第一代 神武天皇 (御名:神日本盤余彦尊:かんやまといわれひこのみこと)
            在位:76年
            崩御:西暦紀元前585年(御年137歳)
            皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
            陵(所在地):畝傍山東北陸(うねびやまうしとらのみささぎ=奈良県)

第二代 すい靖天皇(すいぜん)     84歳
第三代 安寧天皇(あんねい)       57歳
第五代 教昭天皇(こうしょう)      114歳
第六代 教安天皇(こうあん)       137歳



第29代 欽明天皇(きんめい)     63歳
            御名:天国排開広庭尊(あめくにおしひらきひろにわのみこと)
            在位:32年 西暦571年
            皇后:石姫皇女(いしひめのひめみこ)
.

第122代 明治天皇    在位45年、 61歳
第123代 大正天皇    在位15年  48歳
第124代 昭和天皇(裕仁)        87歳
第125代 今上天皇(きんじょう)(明仁)  皇后:正田美智子

と現在に至るまでのまさに天皇家の歴史が記載された厚さ10㎝もある
御肖像、皇統譜を見せて頂いた。
Oさんは第29代 欽明天皇の末裔にあたり、鼻から上にかけては、見れば見るほど
欽明天皇の御肖像とそっくりであった。
 また、滅多に人には見せない家系図をOさんは手を合わせて一礼しながら
巻物(長さ6から7mはあった)をユルリと開帳させながら拝見させてくれた、もとい、下さったが、
系図の中には小野道風や小野小町も記されており、まさに本物と信じるに足る証拠となるもので、
有栖川なんとかとは対照的ではあった。
 Oさん自身は植木職もやってるという仕事柄、真っ黒に日焼けして
お見かけはお世辞にも皇室関係とは...。
 ビックリはしたが、そやけど後で考えてみるとかなりの時間、自慢話を聞かされたような
印象しか残っていないのはなんでやろ?
いずれにしても摂政関白政治からより武家政治中心で天皇の政治力が落ちながらも時代、時代に適応しながら
形式的儀礼的であるが永く存続してきた秘訣はまさに驚異と想像するものです。
昔の天皇が100歳を越しているのは粗食が要因だとOさんは言っておりました。
 しかし、Oさんをはじめ皇族の末裔の方々は近代社会とはいえ、現在もかなりの自覚を持って庶民には理解できない
ご苦労な生活がされておられるように感じました。
 ちなみに新居浜市役所の東に立派な小野神社(今は名前は違うが)があり、境内の長さは大変立派で今も実在しています。
 チョット浮世離れした経験でしたがアーァおもろかった。
 
*******************************
 
解釈、分析はいかようにも出来ると思いますが、この話自体はまごうかたなき現実のやりとりです。
 これを読んだとき、私が知ってる新居浜の何人かのOさんたちのお顔が浮かび、
みなさん全員がお公卿顔だったような気がしてきたのも面白いことでした。
 
  かしこみかしこみまおしました。

#51の②<庭木の剪定を頼んだら・・>続き 2004.02.19記

西からメールを頂けば、東からも便りを頂く。似非椅子徒としては嬉しい限りです。
 前回の阿智胡地亭便りの内容の真偽を、いささかなりとも問うものではないとの
但し書付きで、東の方から下記のような彼の総務部門責任者時代の経験談を頂きました、
これまたへぇ-へぇ-と面白く読ませてもらいましたのでご紹介します。
 
*********************************
 
新居浜のOさんなる方が、何と第29代欽明天皇の末裔! 
しかも家系図付きでお顔立ちもそれなりに尊い由、あなかしこ。
俄かには信じられんが、なかなかにロマンもある実話かなと思いました。
 小生、京都時代、職業柄怪しげな人名録商法とか家系図作成商法という
のにちょくちょくお目に掛かりましたもんです。
 最初は無料奉仕と言いながら、実際には、なんだかんだと数10万円を
ふんだくられた方々や脅され途上で困り果て、相談を受けた身近なヤクインや
カンリショクが存外に大勢居ました。
 さて、このお話は、そんなことは無いと思いますものの、桐箱入りで10cm厚の
貴き御本や巻物系図などは、宮内庁関連を標榜する出版社(右翼系の方々が多い)
サン達が最もお得意とする題材(商品)でして、特に、褒章や叙勲をもらった後に
「丁重なお祝いと共に売込まれるモノ」に 酷似しているようにも感じます。
 今後、かのやんごとなきお方に、法外な金額の請求書が来ないことを祈りつつ、
興味深く 拝読させて頂きました次第です。  
 信じる 信じないとは別次元のコメントですんません。
 
                                                  以上  
**************************************
 
追伸;将来、褒章や叙勲を受けられる方へ。
 
宮内庁が関係し、発行される正規の書籍・文献類は全て「宮内庁書陵部」編修と
なっているそうですのでご参考まで。

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ベランダに新規参入したミニトマトの鉢。 そしてシャンツアイの伸長、 ムラサキ山芋の二つ鉢の葉

2021年07月08日 | 花・草・木・生き物

小学2年生がクラスで育ててきたミニトマトの鉢が生徒の自宅に渡されました。実が鈴なりで驚きました。赤くなるのが楽しみです。

  シャンツアイ(パクチー)

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日乗    7月7日

2021年07月08日 | 阿智胡地亭日乗

7日  歩行数 4285歩 歩行距離 2.8㎞   旧中川河畔定点観測ポイント⇒サンワローラン工場パン売り場⇒焼き鳥屋「鳥満商店」

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河井夫妻事件被買収者“全員不起訴”で「検察の正義」は崩壊、郷原信郎。被買収側の100人不起訴 河井夫妻選挙買収で東京地検 - 弁護士落合洋司

2021年07月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・ 「公判を終えてから不起訴処分を出したのは、検察に有利な証言を引き出すためだったのではないか」との質問に対して、

河井2人の起訴の時点で、起訴すべきものは起訴した。他の者は処分を要さないという判断だったが、告発がきたので改めて捜査し、本件では、河井克行が否認していたので、克行が公判でどういう供述をするのかという経緯を見ていた。

これまた、「告発」という刑訴法上の制度を軽視するかのような、恐ろしい発言だ。

今回の河井夫妻からの被買収者の事実について、両名の起訴の段階で刑事立件すらしなかったことは、検察官として到底許されることではない。それに対して、市民が「当然の告発」を行い、その結果、刑事処分を行わざるを得なくなったのである。

それを、東京地検次席検事は、克行・案里の起訴の段階で「刑事立件も、刑事処分もしない」という判断をしていたのに、告発が行われたから、したくもない「刑事処分」を行わざるを得なくなり、不起訴にした、というのである。

《検察は、現に証拠があり、犯罪が認められても、検察は「刑事立件も、刑事処分もしない」ということを勝手に決めることができる。「起訴すべきものは起訴した」と言っておけば、理由の説明すら要らない。それに対して、「告発」などという余計なことが行われたから、不起訴処分という余計なことを行わなくてはいけない話になったのであり、それを検察官が不起訴にするのは当たり前のことだ》と言いたいようだ。

そもそも、検察官は、刑事事件として立件、起訴した事件に関連して、証拠によって認められる犯罪があり、処罰しない理由がないのであれば、刑事事件として立件するのが当然であり、それを立件しないで見過すのは「犯人隠避」にも当たり得るというのが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、検察が、大坪弘道特捜部長・佐賀元明副部長を、主任検察官の証拠改ざんについての「犯人隠避」で刑事立件し、起訴した検察の理屈だったはずだ

(7)「お金受け取っても不起訴になるということで、全国で悪い影響がでるのではないか」

これは、今回のような多額の被買収事件が不起訴とされたことが、今後の全国の公選法違反事件の刑事処分に影響を与えるのではないか、という当然の質問だ。

それに対する次席検事の答は、支離滅裂であり、全く答になっていない。

起訴猶予は犯罪の成立を認定している。受け取っても良いんだ、というのは違って、犯罪であるという認定は、我々はしている。検察官は取り調べをして、訓戒している。起訴猶予は良いとか、許しているとかそういうことではない。起訴をしなかっただけということ。

ここで、問われているのは、多額の被買収事件で「犯罪が認められる」としているのに、「起訴猶予」ということであれば、被買収事件についての検察の刑事処分の基準が変わったことになり、今後、同種の買収事件でも、同じような理由で「起訴猶予」にすべきということになるのではないか、買収事件での被買収者の起訴はできなくなるのではないか、という点である。

 それに対して、「検察は犯罪を認めた上で、取調べをして訓戒をして、その上で起訴猶予にして起訴しなかっただけ」というのである。

 検察は、どのような犯罪であれ、取調べて、訓戒をした上で、自由自在に起訴猶予にすることができるという「検察の独善・傲慢」そのものだ。

最後の点は、今回の全員起訴猶予の不起訴処分の決定的な問題であり、今回の事件のような多額の被買収の事案が、「受動的だった」「他に疑いがあっても証拠上立件できない被買収者がいた」などという理由にならない理由で起訴猶予になったことで、今後の公選法違反事件の刑事処罰の実務が重大な影響を受けることは必至だ。

公選法違反事件、とりわけ選挙買収事件に対して、厳正・公平な処分が行われることは、公正な選挙の基盤だ。今回の検察の不起訴処分は、今後、公職選挙の公正を著しく阻害する。

黒川弘務元東京高検検事長の「賭け麻雀」の賭博事件、菅原一秀氏の公選法違反(寄附制限違反)事件と、検察が起訴猶予とした判断が検察審査会で覆され、起訴相当議決で検察の不起訴処分が厳しく批判される事例が相次いでいる。今回の河井夫妻事件被買収者全員「全員不起訴」に対して、検察審査会で「起訴相当議決」が出れば、検察に訴追裁量権を与えていることの是非が問題とされかねない(日本のような制度を「起訴便宜主義」というが、ドイツ等は、「起訴法定主義」であり、検察官は犯罪事実が認められる限りすべて起訴しなければならない。)

今回の不起訴処分は、「検察の正義」を崩壊させるものにほかならない画像クリックで全文に飛びます。

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一部引用・・・

被買収側の100人不起訴 河井夫妻選挙買収で東京地検(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

公選法は現金を受け取るなど買収された側も、3年以下の懲役や50万円以下の罰金を科すと規定。議員の場合、罰金刑以上が確定すると原則5年間の公民権が停止し失職するが、不起訴によって失職は免れる。買収金を国庫に返還させる没収や追徴の規定も適用されない。検察が被買収側を一律に起訴せず、刑事責任を問わないのは異例だ。

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ますます元気なムラサキ山芋のツルについた葉っぱたち

2021年07月07日 | 花・草・木・生き物

部屋の中からも風に揺れるシルエットを楽しんでいます。

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日乗    7月5日 6日

2021年07月07日 | 阿智胡地亭日乗

5日  歩行数 5775歩 歩行距離 3.7㎞  錦糸町歩き 崎陽軒シュウマイ購入

6日  歩行数 3453歩 歩行距離 2.1㎞  図書館往復

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阿智胡地亭便り⑩  #43 #44  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月07日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#43  神戸港の大晦日の汽笛と初詣 2004.01.15記

その一 大晦日の汽笛の響き
 
大晦日の「行く年来る年」の画面から各地の除夜の鐘が聞こえてくる時間になると、
外からボ~つ、ぼ~ツという音が遠くから聞こえてくる。
 神戸港一帯に停泊している船が、大晦日の24時直前から一斉に鳴らす汽笛の音だ。
 茨城県から昭和62年に神戸に引越してから数年間、当時は今よりもっと寒かったこともあり
雨戸をしっかり閉め切っていてその音に気づかなかった。
雲が低い年は大きく聞こえ、空が晴れ渡った年は小さく流れてくる。
今年は結構大きく腹に響くくらいに聞こえてきた。しかしさすがに2階でないと音は聞こえないのだが。
 今は家の真南にポートアイランドが出来、コンテナーヤードやクレーン群が2階から
見えることもあり、近くに停泊する船の数も増えたのかもしれない。
 ぼ~ツ、ボ~つと長く引く汽笛の音に、近辺のお寺のゴーンごーんという除夜の鐘の音が調和し、
家中皆無言で暫らく耳を澄ませる。計ったことがないので何分くらい続いているのかわからないが、
皆が黙っている時間は結構長い。
 
その二 初詣
 
今年は元旦は穏やかないい日だった。次女は大晦日の午後から舞浜のTDLのカウントダウンを楽しみに
BFと出かけたので、正月に帰宅した長女と3人で弓弦羽神社へ初詣に出かけた。
 弓弦羽神社は御影町と群家地区の氏神さんで有力氏子に菊正宗、剣菱、白鶴など御影郷の造り酒屋がいるため、
大晦日から元旦早くにお参りすると、其の三社が寄進した樽酒が振舞われる。
 10時過ぎに家から歩いて20分ほどの神社についたら、もう参道の鳥居のところから人が並んでいた。
年々参詣者が増えている。10数年前は列を作ることなどなくのんびりと参拝できたものだった。
震災の後、特にここ3年ほど周辺にマンションが急増して、居住人口が増えたこともあると思う。
神戸市全体でも震災当時より人口は増えたそうだ。我々の前の家族連れは関東弁で喋っていた。
 震災のとき、この神社の境内が阪急御影駅とJR住吉駅をつなぐ近道となり、リュックを背負った
いわゆる震災ルックの人たちが、倒れた鳥居を避けて歩いたり、参道はラッシュアワーの駅構内のように
何ヶ月も人であふれた。あの期間は神戸の東と西をつなぐ重要なルートの一つだった。
 私もキャランバンシューズに足元を固め、リュックを担いでこの道を歩いて阪神青木まで歩いて
会社へ出勤したこともある。神社そのものは倒れなかったが鳥居や会館などが倒壊した。今はどこを見ても
当時の惨状の様子は全く伺えない。
 神社のすぐ横には鬱蒼とした木々に囲まれた朝日新聞の創設者一族の村山邸と香雪美術館があり、
美術館を訪ねる人も増え、神社にも参拝者も増えているらしい。
 長い列に並んで参拝したあと御神籤を引き、今年は初めてこの神社の神札を頂いて帰った。
 家の神棚には総本社諏訪大社と先祖からの氏神である諏訪市小和田地区の八剣(ヤツルギ)神社を祀ってあるが、
お世話になっているこの土地の氏神様も御祀りしなければと思い毎年破魔矢を神棚に上げてきた。
今年は弓弦羽神社の神符を八剣さまと並べて御祀りした。
 御神符を並べてから拍手を打って見上げると、「弓」と「剣」という文字がほぼ対称の位置にあって
インテリアとして悪くないなと日頃の不信心者らしい不敬な思いで一礼した。



 #44 ウチの犬と阪神大震災 2004.01.17記

震災がらみの我が家の三代の犬をご紹介します。
 
タロー:1985年茨城県北相馬郡藤代町生まれ。2歳で神戸に移住。震災で飼い主の長女の命を救う。(クリック)
1998/12死す。家族が看取ったが私は広島にいて最後は会えなかった。

 パテイ:1994年生まれ(と獣医さんが推定)。1996/3阪神青木駅の改札口に何日かうずくまっていた。
駅員が震災関連で飼い主をなくした犬に新しい飼い主を見つけるボランテイア団体へ電話し引き取られた。
新しい飼い主がだんだんみつかりにくくなったという神戸新聞の記事を見て、その団体を訪ねて行ったウチの相方に引き取られる。
ドックフードを食べることが出来なく、ガリガリに痩せていて骨が細くお座りも出来なかった。団体の推測としては、
お年寄りが家の中で人間と同じものを食べさせていて、其の飼い主が仮設住宅で亡くなったか、どこかへ移住して
捨てられたのではないかということだった。

 タローは9歳離れたパテイを慈しみ可愛がり、いつも一緒にいて晩年を過ごした。パテイも徐々に外で飼われること、
ドッグフードを食べることにも慣れて体重も増えていった。タローも若返り、一度は弱りもうダメかもと思ったことが
あったがパテイが来て2年ほど延命したと思う。
 ムー :タローが死んだあと、タローと2年ちょっと一緒に暮らしたパテイが一日中ボーっと宙を見て日を過ごすだけなので、
心配した家族がもう一匹飼おうということで次女の友人の明石の友達からもらってきた。
やはり雌犬でパテイは妹分が来て刺激になったのか元気になりムーは後から来たのに序列を無視して好き勝手に暮らしている。

 いずれも血統書なしのそういう由緒ある立派な雑種ばかりです。添付の絵は家の絵描きが画いたものです。

  

コメント (2)
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刑事責任あいまいに?問題含み「略式起訴」の実態 公開裁判でないため冤罪が発生するリスクも | 災害・事件・裁判 - 東洋経済オンライン

2021年07月07日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

略式手続には、事前の検察官による説明と異議がない旨の書面(刑訴法461条の2)が制度上要求されているのだが、当事者である検察官が関与し、かつ、密室で行われる取り調べの実態からは、現実にはきちんと制度を理解したうえで真摯な同意をしているとはいいがたい。

略式手続の存在は、本当であれば「事実関係を争いたい」「無罪を主張したい」と考えている被疑者に対して、検察官からの一方的な情報に基づいて公開の裁判において争う道を断念させる誘因となっており、冤罪の温床となっているのではないかと筆者は考えている。

制度上、運用上の改善が必要

略式手続は、制定当初から憲法違反ではないかとの主張が根強くあるが、最高裁判所は憲法違反ではないと判断し、約7割の事件が略式手続で処理されている。現実的にも、すべての事件を正式な裁判で取り扱うと、今までの取り扱いを前提にするならば裁判所の処理機能がパンクしてしまうのも、また事実ではある。

しかし、略式手続にはこれまで述べたような問題があるのも事実であり、少なくとも、何らかの形で制度上、運用上の改善をしていくことは今後必要になってくると思われる。ではどう改善すればよいのか。

さしあたり、政治家などの権力犯罪の責任回避に用いられることに対しては、略式手続の対象犯罪の在り方を見直すなどの方策が考えられる。冤罪防止の観点からは、略式手続をするかどうか被疑者が判断するための前提として、弁護人の援助を必ず受けなければいけないとすることや、被疑者、弁護人側に捜査機関が保有している情報(証拠)の開示を求める権利を明文化することなどが考えられる。

著名な刑事訴訟法学者だった松尾浩也教授によれば、大正2年の刑事略式手続法の成立当時、衆議院では以下のような反対論が展開されていたとのことである。

「裁判所が検事の書面による請求のみによって裁判を下すのは、なお医師が患者を診察せずして投薬すると一般なり。その危険また思うべし」(松尾浩也「略式手続の合憲性(一)」法学セミナー1977年12月号54頁日本評論社)

大正時代に指摘された略式手続の「危険」は、現代においても克服されるべき課題ではないかと考える。  画像クリックで全文に飛びます。

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錦糸町に崎陽軒のシュウマイを買いに出かけた。

2021年07月06日 | 東京あちこち

久しぶりに錦糸町の街に出た。直近の錦糸町⇒両国駅から北斎通りを通って錦糸町駅経由 蔵前橋通りを亀戸駅まで歩く    その2 - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)

亀戸までは時々出るが亀戸の隣の錦糸町は最近は行ってなかった。錦糸町の街はいつもと変わらず賑わっていた。

 

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歩行数 5775歩 歩行距離 3.7km

 

 

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今日のシャンツアイ(パクチー)

2021年07月06日 | 花・草・木・生き物

順調に育っている。

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文春リアリズムはいま――バズーカを人々の手に」    リベラル21

2021年07月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・ 文春の「野次馬精神とファクト発掘」は大宅壮一と半藤一利のチームによる作品「日本の一番長い日」として見事に結実した。1945年8月14日から15日の「聖断」に至るドキュメンタリーであった。

《スキャンダル重視に傾いた文春》
 しかし60年以降に時代精神は「経済成長」へと変わり戦後の主流たる進歩的知識人の言説と読者層の現状認識とのズレが拡大した。現在に至る半世紀間のメディア世界の変貌を一行で述べれば、言説の拡散、左翼の退潮、グローバリゼーションの圧勝である。


 「文春リアリズム」における二つの塊の相克は野次馬が強ければ記事はスキャンダルとフェイクに傾き、ファクト重視が強ければ歴史の真実に迫ることになる。

 「文春リアリズム」はどう変化したか。
 全体としてここでも、現在までの50年の潮流に棹さしてきたと観察できる。報道は歴史からエンタメへと変化し、言説自体が短期間の消費の対象となった。

《バズーカを人々の手に》
 人は、文春といえば「文春バズーカ」という。もっともである。その砲弾は政治の中枢を撃っているようで、個人のスキャンダル暴露に終っている。人々はどうしても文春砲炸裂の見物人になりがちだ。人びとが自らバズーカになること――たとえば投票率を20%増やすこと。多様で幅広な共同戦線を組立てること。バズーカを我々の手中にして民主主義を取戻さねばならない。(2021/06/24)   画像クリックで全文に飛びます。

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