三井元高検部長の実刑確定へ 最高裁が上告棄却 2008年8月29日 asahi.comから引用
三井被告は02年4月に大阪地検特捜部に逮捕された当時、検察庁の調査活動費(調活費)が裏金として幹部の私的な飲食などに流用されている疑惑を、
現職検事の立場で実名で告発しようとしていた。そのため、「口封じのための逮捕、起訴だった」と無罪を主張していた。
捜査情報を得ようとした元暴力団組員から飲食や女性の接待を受けたなどとして、収賄や公務員職権乱用などの罪に問われた元大阪高検公安部長・三井環(たまき)被告(64)の上告審で、
最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。27日付。懲役1年8カ月、追徴金約22万円の実刑が確定する。
決定を受け取ってから3日間は異議を申し立てることができるが、第二小法廷が棄却すれば刑が確定し、三井被告は収監される。
判決によると、三井被告は01年、検察官の職務に関連していると認識しながら、元暴力団組員=贈賄罪で懲役5カ月の実刑確定=から大阪、神戸両市内のクラブなどで5回にわたり、
計約22万円相当の接待を受けた。また、元組員から頼まれて00~01年に、別の組員の前科調書を部下に命じて入手させるなどした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このところ検察庁は「調査活動」を大いに控えているらしい。それに合わせて予算も減らしたらしい。
1998年に5億2千万円以上あった検察庁の調査活動費の予算はここ数年で8千5百万円程まで減少している。
そして一方、調査活動費が検察幹部のゴルフや飲食に私的流用されていると世間に訴えた元大阪高等検察庁公安部長だった三井環被告が昨日実刑判決を受けた。
「三井の野郎つまらんことをしやがって、退職した先輩連中は現役時代祇園遊びやなんかで、
いい目に合っていたのにお前が馬鹿なこと言ったから後輩の自分らは大いに損をしている」と、エライさん方はぼやいているのかしらん?
それともまさか同じほどの金額が他の費目にもぐりこんでいることはないでしょうね。クニタミの代表である国会議員さん、いちど調査してくれませんか。
ウツケ者なのか個人のウップン晴らしなのか、はたまた正義の味方なのか、いずれにせよ三井環という元部長検察官が、退職金も世間体も放り投げ、
親戚家族の迷惑も顧みず牢屋にぶちこまれる覚悟をしたことだけは間違いない。
そしてカラ伝票作りなどの事務手続きだけさせられて、おいしい場面には滅多に呼んでもらえなかった全国の下級事務官さん達は、
三井環なる仁に心中深く感謝しているかもしれない。そしてわたしらクニタミの税金が多少なりとも浮いたとすれば、三井さんもって瞑すべしというか、
アナタが棺に入る時に評価が決まるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メディア掲載レビューほか
告発!検察「裏ガネ作り」 昨年4月、検察庁による「組織的な公費不正流用疑惑」を告発するとし、マスコミに接触を続けていた大阪高等検察庁公安部長検事(当時)が、
マンション所有に関わる虚偽の証書申請を行ったとして逮捕された。その後も暴力団員からの収賄容疑、16件所有するマンションの税務申告漏れ疑惑などが加わり、
「悪徳検事」の印象を深く世に残した。現在、彼は事実上社会から抹殺された状態にある。
本書はその元公安部長検事である三井環氏が、一連の事件の顛末と、検察庁に対する義憤、私憤の数々を赤裸々に綴った書だ。
事実だとすれば検察庁の屋台骨を揺るがしかねない公費不正流用や、異例とも言える特捜の微罪逮捕劇について、著者の目から見た実態を実名で明かしていく。
著者が「裏ガネ作り」の元凶だと指摘するのが検察庁の調査活動費だ。法務省が「性格上使途は公表不可」とする予算の聖域で、
この10年間で34億円を上回る不正流用があったと言う。著者は、現場の者でなければうかがい知れないような具体例を挙げて、疑惑の解明を試みる。
また、自らの罪状は「いわれなき犯罪」と主張して名誉の回復を訴える。事件を追った朝日新聞記者の手記も掲載されており、客観的視点からの事実関係を補完している。
(日経ビジネス 2003/06/23 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.) -- 日経BP企画
出版社からのコメント
検察の組織的悪行を内部告発! 検察の調査活動費は、実際は検察幹部たちの遊興飲食費として使われていた! 「口封じ逮捕」され、325日間を独居房で過ごした著者が、己の無実と検察の組織的な公金横領犯罪を徹底暴露する!
引用元
経歴 Wikipediaから
1944年(昭和19年)、愛媛県新居郡角野町(現・新居浜市)生まれ。愛媛県立松山東高等学校を経て中央大学法学部卒業。1970年司法試験に合格、司法修習(第24期)を経て1972年に検事任官。京都、福岡、神戸、鹿児島、大阪の各地検検事を経て、1988年高知地方検察庁次席検事、高松地方検察庁次席検事。高松地検次席時には、被告人と弁護人の接見時間を不当に制限し減給1か月の懲戒処分を受けている[1]。その後大阪高等検察庁検事、名古屋高等検察庁総務部長を経て、1999年大阪高等検察庁公安部長となる。
|