阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

老いまつわる名言・格言    

2022年06月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「私の歳になったら人生の成功とは、自分が愛されたいと思っている何人が自分のことを実際に愛してくれているかで計る」
―ウォーレン・バフェット(アメリカの投資家)

「何かするのに歳を取りすぎていると感じたら、すぐにやりなさい」
―マーガレット・デランド(アメリカの小説家)

「老いるから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ」
―ジョージ・バーナード・ショー(イギリスの劇作家)

「長く生きれば生きるほど、人生は美しくなっていく」
―フランク・ロイド・ライト(アメリカの建築家)

「歳を取ることは、ふさわしい人物になるための特別なプロセスである」
―デヴィッド・ボウイ(イギリス出身のロックミュージシャン)

「老いは長く生きたいと思っている人のみが得られるようだ」
―キティ・オーニール・コリンズ(アメリカのダンサー)

「高齢とは、いつも私より15歳上」
―オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(アメリカの法律家)

「歳を取るのは山を登るようなもの。息は切れるけれど景色はずっと良い」
―イングリッド・バーグマン(スウェーデン出身の女優)

 

引用元

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『目を見て語れ 恋人たちよ 』     阿久悠 の詞は 今の日本の若い人のやりとりの状況を 予言していたかのようだ

2022年06月14日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2008年09月11日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

いつの間に きみたちは
面と対かって
話せなくなった
電話では あんなにも
夜が朝になるまで
話しつづけていたのに
人間と人間は やがて
重たくなってしまうから
逃げ場所を 用意して
遠い会話ばかりで
心つないでいるのか
目を見て語れ 恋人たちよ
瞳の色の真実を
時に怯える瞼の動きを
心いためて探り合えよ
それが愛になる
それが愛になる

お互いを 語るのに
衛星のたすけを借りて
どうするの
すぐそばに いる人の
胸のふるえ感じる
何か変化があったか
目を見て語れ 恋人たちよ
ガラスの壁を取り外し
時に重たい現実受け止め
呼吸乱して 語り合えよ
それが愛になる
目を見て語れ 恋人たちよ
瞳の色の真実を
時に怯える瞼の動きを
心いためて探り合えよ
それが愛になる
それが愛になる

♪高橋真梨子が歌う「目を見て語れ 恋人たちよ」を聞きました。
たまたまテレビをつけたら、彼女のこの秋のNY公演に関わる番組の最後にこの歌が流れました。

阿久悠が10年以上前に作った詞だそうです。こんな言葉を体の中から引き出す阿久悠という人は、本当に凄い人だと思います。作曲は宇崎竜童

目を見て語れ 恋人たちよ
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6月13 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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印旛郡の里山住人Kさんの 「焼尻島・天売島/北海道の旅」         その1/全3回

2022年06月13日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから「焼尻島・天売島/北海道の旅」のツアーレポートが届きました。

 56年前に互いに新入社員として愛媛県新居浜市の工場の独身寮に入寮したKさんと阿智胡地亭は そのあと 

部門は違いましたが神田美土代町にあったオフィスで同じ時期に 生産機械設備の営業職として勤務したことがあります。

      トップの画像は「焼尻島より天売島を望む」

☞ 北海道西海岸利尻島の南80Kmに小さな島が二つあります、焼尻島と天売島です。
対岸の羽幌町までは25Kmでフェリーと高速船が運行されている。
羽幌町はかつては道内・国内屈指の炭鉱の町であったが昭和46年閉山、現在は
日本海に沈む夕日のきれいな街、焼尻島・天売島への観光拠点として知られている。
 
旭川空港を出るとすぐに田園風景と雪をかぶった旭岳連峰、
 
きれいな青空が見えてきた。
霧立峠付近ではシカとキタキツネに出会えた。
 
羽幌町唯一のホテルの部屋はすべて西向きできれいな夕日、そして利尻富士も見えた。
 
 
 
翌朝フェリーで「羊たちが戯れる現生の森」がキャッチフレーズの焼尻島へ渡った。
サフォーク種の羊と島内の1/3を占める現生の森、高山植物や原生花が咲きほこる島です。
強風の影響で高速船が欠航になり、島の滞在時間が長くなりゆっくりとマイペースで散策できた。
また晴天下で空気が澄んでいて利尻富士がはっきりと見えた。
 
 3時過ぎのフェリーで「海鳥たちの楽園」がキャッチフレーズの天売島へ渡った。
夕食をとって日没後に帰巣する「ウトウ」観察へ、翌日は再度海鳥観察に行った。
 
羽幌町に戻り、留萌で昼食をとってからニシン魚、北前船の最北寄港地としてかつて繫栄した
増毛町へ移動し,栄華をしのばせる旧増毛駅、旧商家丸一本間家、国稀酒造を見学した。
 焼尻島
 
 
 
天売島の宿の夕食
 
 
 
 留萌での昼食
 
(追伸)
6月14日(火)午前2時からNHK BSプレミア 
さわやかウインドー「北海道 天売島・焼尻島の短い夏」が放映されます。
内容はわかりませんが期待しています。
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西宮の禅寺“海清寺”。         11年前の今日 2011年6月13日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

阪神西宮駅の東側に杜があります。“海清寺”という妙心寺派の古刹です。学生時代の禅の集まりの先輩たちが昭和30年前後に参禅していたと聞きます。
 6年ほど前に近くのビルの会議室の集まりに、2年間毎月一回来て近くの駐車場を利用していたので、あたりの風景を懐かしく思いました。
この日は5M会(3M会改め)の飲み会で、近くの居酒家「ふうてん」に行きましたが、早めに阪神西宮駅についたので撮影しました。










海清寺には西宮市でも大きな葬儀会館もあって、ラジオ時代から聞いていた脚本家“茂木草介”さんclickの葬儀もここで行われたそうです。
茂木草介さんの テレビの脚本の中にはNHKの大河ドラマ「太閤記」などもあります。

 1990年頃 大阪の北新地のスナックで お互い客として知り合い、付き合い始めた親しい飲み仲間の元NHK大阪のドラマ部門デイレクター宮崎純さんclickが

茂木草介さんの血を引く方だとはあとで知りました。純さんは5Ⅿ会のメンバーの一人です。

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那覇その5  牧志公設市場はいつも楽しい②。      15年前の今日 2007年6月13日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

牧志市場の旨そうな蟹やエビ、色とりどりの魚の豊富なことには驚かされます。





ヤシガニだけは特別な入れ物に隔離されていました。







次回は豚肉関係です。

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元部長検察官だった三井環さんは実刑を食らって牢屋に入った。かれは悪徳検事の犯罪者??

2022年06月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年08月30日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

三井元高検部長の実刑確定へ 最高裁が上告棄却 2008年8月29日 asahi.comから引用


 三井被告は02年4月に大阪地検特捜部に逮捕された当時、検察庁の調査活動費(調活費)が裏金として幹部の私的な飲食などに流用されている疑惑を、

現職検事の立場で実名で告発しようとしていた。そのため、「口封じのための逮捕、起訴だった」と無罪を主張していた


 捜査情報を得ようとした元暴力団組員から飲食や女性の接待を受けたなどとして、収賄や公務員職権乱用などの罪に問われた元大阪高検公安部長・三井環(たまき)被告(64)の上告審で、

最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。27日付。懲役1年8カ月、追徴金約22万円の実刑が確定する。

 決定を受け取ってから3日間は異議を申し立てることができるが、第二小法廷が棄却すれば刑が確定し、三井被告は収監される。

 判決によると、三井被告は01年、検察官の職務に関連していると認識しながら、元暴力団組員=贈賄罪で懲役5カ月の実刑確定=から大阪、神戸両市内のクラブなどで5回にわたり、

計約22万円相当の接待を受けた。また、元組員から頼まれて00~01年に、別の組員の前科調書を部下に命じて入手させるなどした。

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  このところ検察庁は「調査活動」を大いに控えているらしい。それに合わせて予算も減らしたらしい。

1998年に5億2千万円以上あった検察庁の調査活動費の予算はここ数年で8千5百万円程まで減少している。

そして一方、調査活動費が検察幹部のゴルフや飲食に私的流用されていると世間に訴えた元大阪高等検察庁公安部長だった三井環被告が昨日実刑判決を受けた。

  「三井の野郎つまらんことをしやがって、退職した先輩連中は現役時代祇園遊びやなんかで、

いい目に合っていたのにお前が馬鹿なこと言ったから後輩の自分らは大いに損をしている」と、エライさん方はぼやいているのかしらん?

それともまさか同じほどの金額が他の費目にもぐりこんでいることはないでしょうね。クニタミの代表である国会議員さん、いちど調査してくれませんか。

ウツケ者なのか個人のウップン晴らしなのか、はたまた正義の味方なのか、いずれにせよ三井環という元部長検察官が、退職金も世間体も放り投げ、

親戚家族の迷惑も顧みず牢屋にぶちこまれる覚悟をしたことだけは間違いない。

そしてカラ伝票作りなどの事務手続きだけさせられて、おいしい場面には滅多に呼んでもらえなかった全国の下級事務官さん達は、

三井環なる仁に心中深く感謝しているかもしれない。そしてわたしらクニタミの税金が多少なりとも浮いたとすれば、三井さんもって瞑すべしというか、

アナタが棺に入る時に評価が決まるでしょう。

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メディア掲載レビューほか

告発!検察「裏ガネ作り」
 昨年4月、検察庁による「組織的な公費不正流用疑惑」を告発するとし、マスコミに接触を続けていた大阪高等検察庁公安部長検事(当時)が、
マンション所有に関わる虚偽の証書申請を行ったとして逮捕された。その後も暴力団員からの収賄容疑、16件所有するマンションの税務申告漏れ疑惑などが加わり、
「悪徳検事」の印象を深く世に残した。現在、彼は事実上社会から抹殺された状態にある。

 本書はその元公安部長検事である三井環氏が、一連の事件の顛末と、検察庁に対する義憤、私憤の数々を赤裸々に綴った書だ。

事実だとすれば検察庁の屋台骨を揺るがしかねない公費不正流用や、異例とも言える特捜の微罪逮捕劇について、著者の目から見た実態を実名で明かしていく。

 著者が「裏ガネ作り」の元凶だと指摘するのが検察庁の調査活動費だ。法務省が「性格上使途は公表不可」とする予算の聖域で、

この10年間で34億円を上回る不正流用があったと言う。著者は、現場の者でなければうかがい知れないような具体例を挙げて、疑惑の解明を試みる。

また、自らの罪状は「いわれなき犯罪」と主張して名誉の回復を訴える。事件を追った朝日新聞記者の手記も掲載されており、客観的視点からの事実関係を補完している。


(日経ビジネス 2003/06/23 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画   

 

出版社からのコメント

検察の組織的悪行を内部告発!
検察の調査活動費は、実際は検察幹部たちの遊興飲食費として使われていた!  「口封じ逮捕」され、325日間を独居房で過ごした著者が、己の無実と検察の組織的な公金横領犯罪を徹底暴露する!  

引用元

経歴 Wikipediaから

1944年昭和19年)、愛媛県新居郡角野町(現・新居浜市)生まれ。愛媛県立松山東高等学校を経て中央大学法学部卒業。1970年司法試験に合格、司法修習(第24期)を経て1972年検事任官。京都福岡神戸鹿児島大阪の各地検検事を経て、1988年高知地方検察庁次席検事高松地方検察庁次席検事。高松地検次席時には、被告人と弁護人の接見時間を不当に制限し減給1か月の懲戒処分を受けている[1]。その後大阪高等検察庁検事、名古屋高等検察庁総務部長を経て、1999年大阪高等検察庁公安部長となる。

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6月12 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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「マッチョすぎる箸置き」という小道具を辛ラーメンのカップ麺に使った

2022年06月12日 | 身辺あれこれ

孫がガチャガチャで手にいれた「マッチョすぎる箸置き」を使ってみた。カップ麺の蓋を3分間 押さえるのに面白い道具を考え出したもんだ。

ちなみにこのマッチョは我が家では「ジョブソン」と命名されて愛用されている。

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ウメサオタダオ(梅棹忠夫)特別展の展示。         11年前の今日 2011年6月12日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

梅棹忠夫特別展展示

「知的生産の技術」「文明の生態史観」などでお世話になった“知のプレイボーイ”梅棹忠夫。

人並み外れた好奇心と、論理の緻密さは残された膨大なスケッチと探検ノートからも伺える。

学問を経営の概念で査定、審査する手法は時代の先を行っていた。

 この人の存在を10代で知ったのは自分の大きな僥倖だった。

御用学者とは対極にあるこの人の特別展が偶然とは言え、3月10日にオープンしたことに

何か示唆的なものを感じる。展示のアルバム集は画面左下の△を押すとスタートします。

画面の転換速度は砂時計の操作で変更可能。画面拡大マークで800サイズにしてご覧ください。

 

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日本人は論理的判断と空気的判断のダブルスタンダードの下に生きている

2022年06月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

のちに初代文化庁長官となる作家、今日出海は「日本的世論」(1965年)でこう書いた。

「竹槍(たけやり)」訓練がどんなに不条理でそしてデタラメかを一切考えてみない世論が出来上がり、それに従わぬと近所付き合いをから疎外されたり、

非国民呼ばわりをされる世論では、社会生活は脅かされ、耐え難いものになる」

この世論は誰が主張しているのかも判然としない「空気」であり、その息苦しさは戦中も戦後も変わりないと「今日出海」はいう。

  日本的な「空気」については、後年山本七平が『「空気」の研究』(1977年)でさらに追求している。

山本によれば、日本人は論理的判断と空気的判断のダブルスタンダードの下に生きている。

もっともこの二つの基準は現実には明確に分かれておらず、議論における言葉の交換それ自体が一種の「空気」を醸成し、

最終的には論理や意見よりも「空気」が決断の基準になるというのである。


2008年7月10日付日経朝刊27面、【やさしい経済学ー21世紀と文明】“メデイア社会の輿論と世論”5『ダブルスタンダード』京都大学准教授 佐藤卓巳 より一部引用

2008年07月15日「阿智胡地亭の非日乗」掲載


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6月11 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

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歯の「8020(ハチマルニイマル)運動」のポスターが歯医者さんにかかっていた。

2022年06月11日 | 身辺あれこれ

三ヶ月に一度の歯のクリーニングをやってもらった。二年ほど同じ歯科衛生士さんにやってもらっている。

 お元気でしたか?から始まる彼女とのちょっとしたお喋りも楽しみだ。

今回は「前回よりよく手入れが出来ていて 歯茎や歯の状態は見事です。」と褒められて嬉しかった。一日一度の 寝る前の歯のブラッシングに加え

歯間ブラシやデンタルフロスも使うようになった。そして歯ブラシを左手を使って一回と 右手で一回 それぞれ同じ作業を別々にやるのが自分の流儀だ。

 これをやりだしてから磨き癖のためにあった歯の磨き残しの部分が 今は一切なくなったようだ。

 衛生士の後必ず医者が口腔内をチエックしてクリーニングは終わる。ポスターにあるように 80歳になって 自分の歯が25本残っているのもありがたいことだ。

気をよくして図書館にまわり 借用期限がきていた本を返し、予約本到着メールの案内が来ていた本をピックアップして帰宅した。

 

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千里・万博公園の民博(国立民族学博物館)に行く              11年前の今日 2011年6月11日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月11日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

3月10日から6月14日の期間、民博で“ウメサオタダオ”特別展をやっている。
阪急十三で京都線に乗り換え南茨木でモノレールに乗り換えた。



行きは万博記念公園駅で乗り換えて、









公園東口駅から15分ほど歩いた。











帰りは公園の中を歩いて中央口から出た。岡本太郎のシンボル像も今はすっかり風景に溶け込んでいた。

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ヒキガエルの大移動が四川省の大地震の前にあった。     阪神淡路大震災で私が体験したネズミの大移動の話。

2022年06月11日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

【2008/05/13-16:45 大地震をカエルが予知?=数十万匹が大移動-中国四川省
 【香港13日時事】香港紙・リンゴ日報などは13日、中国四川省で12日起きた大地震の前に、同省の綿竹市で数十万匹のヒキガエルが一斉に移動するという異常現象があったと報じた。

地元住民は「何かの凶兆ではないか」と不安を感じていたという。
 この現象があったのは今月5日。カエルの大群が道路を渡るのが目撃され、多くのカエルが車にひかれたり、人に踏みつぶされたりしていた。 】


阪神大地震が起こる前のネズミの動きと同じだと思った。地震が起きる一週間ほど前から家の天井を走る小動物の音がしだした。

それが毎晩続き、それまで何十年もいなかったがあれはネズミらしいと家族で話をしていた。

ネズミがいるとは近所の人には話しづらいことだったので近所でも誰もそんな話題を出さなかった。

しかし震災が起こった後からからの話で、同じ時期に近所のどの家にもネズミが入り込んでいたことがわかって、近所の人もみんな驚きあった。

JR六甲道駅が崩壊し、駅の周辺の商店街や住宅地は全壊し、火が出て焼けてしまった所も多い。皆で推測したのだが、

甚大な被害を受けたエリアから事前に、夜の闇にまぎれて道路や川や電車のレールを越えてネズミが安全な場所に移動してきたのではないかと。

確かに家のあたりに全壊した家は一軒もなかった。そして余震が収まった10日後くらいには、どこの家からもネズミの姿は消えた。


今回の四川省のケースでも、ヒキガエルがある時点からそれまで人には感じる事が出来ない微小な大地の揺れを感じて、

それまでいた場所にいては危ないと認識して移動を開始したのだと思った。

あまりの大集団が昼間に移動したので人に気付かれたのだろう。

ネズミもヒキガエルも動物の種として持っている“生きる場の安全性”という生命維持のセンサーが働いただけで地震の予知能力うんぬんの話ではないと思う。

身近な場所で小動物が日頃気が付かない思いもよらない行動を取ったときは、彼らが既に生じている大地の変動を感知していると思った方がよさそうだ。

 
2008年5月14日 「阿智胡地亭の非日乗」掲載
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