阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「どれくらい頭がいいかは、その人がどんなことで笑うかを見ればわかる」

2022年09月14日 | ゲストルーム

コメディ女優のティナ・フェイはこう語っている。「どれくらい頭がいいかは、その人がどんなことで笑うかを見ればわかる」

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9月13日に目に留まったSNS・メディアの記事

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返す期限が迫っているが 次の人の予約があって借り受け期限を延長できない2冊の図書館の本   必死で読んでます。

2022年09月13日 | 乱読は楽しい

「この国の戦争」太平洋戦争をどう読むか

 サイトから引用。

今こそ、「日本人の戦争」を問い直す。
日本はなぜ、あの戦争を始めたのか? なぜ止められなかったのか?

戦争を知り尽くした小説家と歴史家が、
日本近代の画期をなした言葉や史料を読み解き、
それぞれが必読と推す文芸作品や手記などにも触れつつ、徹底考察。
「わかりやすい物語」に抗して交わされ続ける対話。
「ポツダム宣言」「終戦の詔書」を読む解説コラムも収録。


【目次】

はじめに(奥泉光)

I 太平洋戦争とは何かを考えるために
戦争と物語/国民統合の方法としての軍隊/お天道様と公道/民衆にとって天皇とは?/自制を失う「帝国」/主権線・利益線論と物語としての日露戦争/不戦条約と軍隊像の転換/リットン報告書を拒絶、そして満州事変へ ……

II なぜ始めたのか、なぜ止められなかったのか
なぜ満州か/国際連盟脱退と各国の思惑/感情に訴える国民向けの宣伝/陸海軍共通の仮想敵・アメリカ/南進論と三国同盟の要点/変わりゆく「中立」/「もやもや」が消えてゆく/対米開戦の裏側/日本の勝算?/日本的「空気」という謎 ……

【解説コラム】「ポツダム宣言」を読む/「終戦の詔書」を読む

III 太平洋戦争を「読む」
戦争を支える気分――清沢洌『暗黒日記』/物語を批判する小説――田中小実昌『ポロポロ』/個人と国家の媒体なき対峙――山田風太郎『戦中派不戦日記』/現代日本のこと?――山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』 ……

おわりに(加藤陽子)

奥泉 光 (オクイズミ ヒカル)

1956年山形県生まれ。1986年に『地の鳥 天の魚群』でデビュー。1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、1994年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器』で野間文芸賞を受賞。

加藤 陽子 (カトウヨウコ)

1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は日本近現代史。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『戦争まで』『戦争の日本近現代史』など著書多数。

「ベリングキャット」デジタルハンター、国家の嘘を暴く

出版社のサイトから引用

この本の内容

大手メディアも驚くほどの速さと正確さで次々にスクープを飛ばし、いまや世界中から注目される調査報道ユニット“ベリングキャット”。シリア政府の戦争犯罪をあばき、ロシアの暗殺者の身元を特定し、ウクライナで民間機を撃墜した黒幕をも突き止める。いったいかれらは何者なのか。なぜそんなことが可能なのか。始まりは、キッチンテーブルで見た“アラブの春”の現地動画だった。ここはどこだ、映っているのは本物なのか。オンラインゲームにはまっていた著者は、ネット上に集った仲間とともに、独学でまったく新しい調査手法を作り上げてゆく。かれらが使うのは、SNSの投稿や流出した名簿など公開された情報のみ。フェイクもプロパガンダも混在するウェブ情報のなかから、権力者たちが望まない真実へたどりつくのだ。権力者は平然と、見えすいたウソをつく。その虚偽を覆すことは私たちにも可能だ―。ポスト真実の時代に生まれたデジタルハンターたちの活躍を描く。

この本の目次

1 ラップトップ上の革命―ネット調査の可能性に気づく
2 “ベリングキャット”の誕生―探偵チームの形が整う
3 事実のファイアウォール―デジタル・ディストピアへの反撃
4 ネズミが猫をつかまえる―スパイ事件が時代を画する事例に
5 次なるステップ―正義の未来とAIのパワー
補遺 暗殺者と対決―“ベリングキャット”、暗殺団に電話する

 

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何を恥ずかしいと思うかが、人と人の違いを作るのだと思っています。        蜷川幸雄の言葉

2022年09月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年09月24日(木)人と人の違いを作るのは・・「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 
人は何を喜ぶかよりも、何を恥ずかしいと思うかが、人と人の違いを作るのだと思っています

演出家蜷川幸雄がNHKの百年インタビューで、渡辺あゆみアナの長時間インタビューの中で。

             もやもやがなんとなく晴れる一言でした。
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9月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

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このところの昼飯

2022年09月12日 | ある日のランチ

 

 

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青年力士11人修練   諏訪大社 上社十五夜祭奉納相撲15日              長野日報

2022年09月12日 | 諏訪便り

2022年9月11日 6時00分     

諏訪市中洲の神宮寺区が受け継ぐ県指定無形民俗文化財の諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲は15日午前9時30分から、諏訪大社上社本宮で行う。

大関の笠原大志さん(39)ら青年力士11人が斎庭(ゆにわ)で円陣を組み、相撲甚句に合わせて伝統の相撲踊りを奉納する。

奉納相撲の起源は定かではないが、江戸時代には諏訪に三辻(相撲場)があり、上社の辻はその筆頭だった。

記録を失った1817(文化14)年の火災や、戦後の一時中断を乗り越え、地元の熱意で1970(昭和45)年に復活し、神宮寺区挙げての行事として連綿と続いている。

相撲甚句は三つの甚句からなり、中でも守りと攻めを表す「胸たたき」(関西甚句)は現存する全国の相撲踊りで唯一受け継がれていると言われる。

当日は華やかな化粧まわしを付けて独特な節回しで相撲甚句を唱え、全身を使った踊りで見物客を魅了する。

今年の青年力士は20~40代で、今月2日から練習を本格化した。大関の笠原さんは「地元の上社に対する感謝の気持ちと、

土俵を用意していただいた区民の皆さんの思いを胸に、踊り子一同、気持ちを一つにして良い奉納をします」と話している。

11日には神楽殿脇に設けた四本柱土俵で3年ぶりに十五夜祭奉納相撲大会が開かれる。午前9時からの開会式、相撲踊り披露に続いて、

青年力士と園児、小学生合わせて約70人が子ども相撲や子ども役相撲、青年役相撲を繰り広げる。

                                                                                                                          長野日報   

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やはり「大臣」の呼称は変えたほうがいい

2022年09月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年09月19日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

「大臣」という役職名は、明治政府が復活させるまで、長い長い間実際に使われることはなかった。

「大臣」という職名が歴史に現れるのは701年のことだ。大宝律令が唐の永徽律令(えいきりつれい、651年制定)を参考にして701年(大宝元年8月3日)に完成した時に

太政大臣などの職制が決まった。それを蘇みがえらせて「大臣」という用語を使ったのは、天皇制国家運営をしいた薩長藩閥政府の頭の良さだった。

国民の代表としてマツリゴトを行う職名が「大臣」。代表として仕えるのはあくまで天皇であることを、日々無意識にでも感じさせる。

「臣-おみ」、とは辞書によると臣下、家来とある。誰の家来か?それは律令時代から時の天皇の家来と言う意味だろう。天皇の臣下の中で一番エライのが「大臣」だ。

人の意識に刷りこまれた言葉のイメージ力は強い。

明治時代の当初から、日本人の中に「末は博士か大臣か」という立身出世時代を象徴するキャッチフレーズが浸透した。

平成の御代になった現代、博士はポストドクター問題がでるほど大量生産されて昔日の権威はなくなった。

そろそろ大臣という職名も仕事に合わせて廃止変更してもいいのではないか。漢字の母国、中国では外務省は「外務部」であり外務大臣は「外務部長」だ。

まさに部門のトップであり、責任者であることを即物的に現しているだけだ。

大臣という職名を廃して、例えば「省長」にすることを提案したい。いや、いくら民主党員であっても「鳩山総理大臣」と呼ばれたいのだろうか?

私は「鳩山総理省長」とでも呼ばれるようになったその日が、日本が本当に国民主権の民主主義国家になった日だと思う。

使う言葉はまさにその人の思想であるから。

*訂正

中国の外務省は「外務部」ではなく「外交部」、「外務部長」ではなく「外交部長」が正しいので訂正します。
 極眠荘主人さん、ご指摘ありがとうございました。9月24日記

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9月11日に目に留まったSNS・メディアの記事

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「はんそ」で蕎麦を食べてきた。  えっ、「はんそ」って何?       11年前の今日 2011年9月11日の本ブログに掲載

2022年09月11日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

初めて「はんそ」と聞いた時、なんのことか全くわからなかった。

大阪人はイラチ(苛ち)だから、長くて七面倒くさい名詞は、どんどん簡略化して縮めてしまう。地名では谷九(たにきゅう=谷町九丁目)、

南森(なんもり=南森町)、天六(てんろく=天神橋筋六丁目)、梅新(うめしん=梅田新道)、上六(うえろく=上本町六丁目)…など。

商業施設でもソニープラザなら「ソニプラ」、フェスティバルホールなら「フェス」、アメリカ村なら「アメ村」と短縮化される。

「マクド」も最初聞いた時、「マクドナルド」のこととは思わなかった。東国では「マック」だが、促音がない西国弁では「マクド」になる。

 「言っちゃった」と「言うてもた」の違いである。

「はんそ」は「阪急そば」の短縮形だ。十三駅構内に昭和42年開店の関西最初の駅構内立食店がある。

学生時代に阪急京都線と宝塚線をそれぞれ使っていた相方と次女は、時々この十三店を利用していたそうだ。


石橋駅の「はんそ」は駅の外にあった。

(9月11日 公開講演会「東日本大震災と原発事故:いま、関西からできること」@大阪大学豊中キャンパスに参加して
初めて阪急石橋駅を使った。)

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大阪大学の豊中キャンパスに行った。2011年9月11日の本ブログに掲載。

 東京の森哲雄さんから連絡を貰っていた公開講演会「東日本大震災と原発事故:いま、関西からできること」に行った。

パネラーの一人は森さんもメンバーである「福島原発行動隊」の理事長 山田恭暉さんだ。

 行きは阪急宝塚線の蛍池駅で降りて、大阪モノレールに乗り換え、

伊丹空港駅と反対側の一駅隣の柴原でおりた。


広いキャンパスの中を、会場の大学会館を探して歩いた。ぶり返した残暑の陽光も厳しくて席に着いたとき汗が噴き出した。

帰りは人が歩いている方向が石橋駅方面だろうと見当をつけて違う道を歩いた。

今まで通過するだけで降りたことがない石橋駅に無事到着した。

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北九州弁の映画を1日に2本見ました    北九州弁の映画ば1日に2本見たっちゃ

2022年09月11日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2009年08月20日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

テレビ欄を見た訳ではないのに、たまたまBSの「日本映画専門チャンネル」をつけたら阪妻の「無法松の一生」が丁度始まるところでした。

断片的に見たことはあっても通しでは見た事がなかったので、引きこまれて最後まで見ました。つくづくテンポの感覚は戦前も現代も関係ないと思いました。

そして胸が熱くなる映画でした。

 夜遅く風呂から上がって、身体を冷やす間だけと思ってまた同じチャンネルをつけてみたら、今度は「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」が始まるところでした。



シンクロニシティというのか、片や九州小倉が舞台の映画、片や原作者が九州小倉生まれのリリー・フランキー。

 両方の映画で使われるセリフは当然殆どが北九州弁たい!

映画そのものも良かったけど、俳優が喋りよる言葉に なんがなし私は酔うたですもんね。ほんに気持ちのなごやかになったとです。

 人間が育つ過程で身につけて、生涯その人の身体に染みこんで変らない言語は、日本でいう小学校三年生の歳までに使った言語が母語になると言います。

そういう意味では外国語をネイティブに近く使おうと思えば、9歳くらいまでその国のクラスに1人で放り込まれなければ無理だそうです。勿論例外は必ずありますが。

そういう学説は知っていたけれども、1日のうちに2本の北九州ば舞台にした映画ばみて、それば実感したったい。

 信州出身の両親は当たり前ばいが 北九州弁ちゃ、いっちょん喋らんやったもんね。  だけん 家族五人で自分だけたいね、当時北九州弁ば喋るンは。
 
 5歳から9歳までたった4年しかいなかったけれど、北九州の、当時の若松市二島の島郷小学校(現花房小学校)に入学してから初めて覚えた土地の言葉は、

しっかり 身体に染み込んでいるんだと、2本の映画を見てつくづく思い、嬉しかったです。

 綾垣先生学級で同じクラスだった福島駿君、久保田昭君。小学校に入学して3年生の一学期までで別れて以来会ったことはありませんが、

北九州弁を聞くとフルネームで二人の元の級友の名前が頭に浮かぶのが、分でも不思議でなりましぇん。

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9月10日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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ステレオスペルマム・レモンライムが大きくなった。 新たに月下美人の花芽が6個も伸びている!!

2022年09月10日 | 花・草・木・生き物

錦糸町のダイソーで110円支払って買った10㎝ほどの小鉢の植物がここまで大きくなるとは!

ガジュマルとシマトネリコとステレオスペルマム・レモンライムと。

ステレオスペルマム・レモンライムってどんな植物?

10㎝ほどの小鉢がここまで大きくなるとは! 嬉しい思惑違いだ。

 「爽やかなレモンライムの小さな葉がとってもキュートなステレオスペルマムです!眺めているだけで癒されますね。

でも、そんな可憐な見かけとは違って、原産地の台湾や中国南部では大木になるみたいです。

半落葉樹なので、秋から冬にかけては落葉しますが、春に切り戻してあげるとすぐに 新芽がたくさんでてきてくれる便利な!?ところも見逃せません。」引用元。

  ムラサキ山芋の葉っぱはカーテンの役目を果たしている。

6個の月下美人の花芽のうち 4個の画像を。

今年の猛烈な湿度の高さと暑さは それが「月下美人」の自生する本来のメキシコの熱帯雨林の環境に近かったのか、

あるいは厳しい条件の下で 子孫を残す機構にスイッチが入ったのか、いずれにせよ花をまた見ることが出来そうなのが嬉しい。

 

 

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2時間だけの上高地  大正池や河童橋         14年前の今日 2008年9月10日とその前後の日の本ブログに掲載

2022年09月10日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

諏訪で花火を見たあと、ゲリラ豪雨に襲われた神戸からのツアー客を乗せた神姫バスの大型観光バスは一路白馬村のホテルへ走り、

日付が変わった時間にようやく部屋に入ることが出来ました。翌朝、ホテルのしっかりした朝食を食べ、バスは10時に出発して上高地に向かいました。

車窓からは取り入れ間近い黄金色の田んぼがえんえんと続き、安曇野は想像した以上に豊かな土地だなあと思いました。白い花が満開のソバ畑も多くきれいでした。


ついこの間、古代この地に北九州の海洋民族、安曇族が移住した史実をテーマにした小説「失われた弥勒の手
を読み、

地図を広げて“海ノ口”などの地名を見たばかりなのに、その「海ノ口駅」の真横を、自分が乗ったバスが走っていく!

 本を読んだ頃にはまさか間もなく自分が小説の舞台に行くとは思ってもいなかっただけに、我ながら心が弾んで窓の外を見続けました。

 実際に上高地に滞在したのは2時間に過ぎませんが、大正池から河童橋まで歩いたりして、いいところだなあと感じました。

次回はここだけに数日来たいと思いました。

  大正池の画像です。


2008年06月15日(日) 阿智胡地亭の非日乗に掲載。

安曇族は信州穂高に住み着いた。「失われた弥勒の手 安曇野伝説」を読みました。

 中学生になると社会科という科目があり、その中の地理の時間に日本各県の地名を地図で習う時間があった。長野県の地図の時に、

上高地の箇所を見ると「島々」と言う地名があるのに気がついた。そこから目の範囲を広げていくと「海ノ口」や「有明」という地名もあった。

海のない山の中なのにどうして海に関係する地名があるのだろうと単純に不思議に思った。今思うとそれが地名と人の移動の関連に関心を持つきっかけだった。

今回知ったのだが上高地は元々は「神垣内」と書かれ、「穂高神社」の神域にあり、“綿津見神”も祭神の一つである穂高神社は大きな船の形をした山車が出る「お船祭り」で有名だ。

「失われた弥勒の手 安曇野伝説」松本猛・菊池恩恵/共著 という本を読んだ。

共著者の一人、松本猛は画家の“いわさきちひろ”の息子で父親の里である安曇野で祖父母に育てられた。安曇野にある「ちひろ美術館」の館長でもある。

この本は日本列島に来た海洋民族(海人族)の一つであった「安曇族」の移住の歴史を探る事がテーマになっている。中国の江南の地から北九州に移住し、

「志賀島(しかのしま)」を本拠地として栄え、対馬を交差点にして百済の国とも強い人的な交流があったという安曇族。

彼らの一派が何故志賀島を出て信州の松本周辺にまで来て住み着いたのか?。

同じ海人族である「宗像族」はヤマト族に仕えて大和朝廷の九州海軍として生き延びたが、ヤマト族と抗争した「安曇族」は、戦いに敗れて各地に散ったと見る松本は

、友人の菊池と共に韓国、対馬、北九州を歩いた。

新安曇族と称する松本にとってはルーツ探しの旅でもあった。この小説は学術書では書けない推理の部分を、安曇野の松川村にある観松院の弥勒菩薩を狂言回しに使って書いた面白い試みだ。

九州の玄界灘に臨む志賀島(しかのしま)にある「志賀海神社」の神主は代々阿曇姓の人が継いで本拠地を今も守っている。

安曇川、渥美半島など安曇、阿曇、安津見、渥美、渥見などの文字がつく安曇族の後裔が住む土地は日本列島に数多い。

神社へのお供え物には太古からの膨大な量の「鹿の角」が奉納されていて、海人族にとって釣り針に使った「鹿の角」は漁獲量の多寡という生存に直結する貴重な財産であったことが想像できる。

海彦・山彦の神話が記紀にあるが、日本列島に於ける海人系民族と山人系民族の抗争・交流を記録した史話と読めば、世界各地に移動、移住した人類共通のテーマでもある。

そしてその具体例の一つが安曇族の北九州から信州への移動・定住の物語だろう。

残念ながら肝腎の移住の原因や定住に伴う歴史は、いまや残された神話から推測することしか出来ないが、毎年、安曇野の地では安曇族の後裔たちがお船祭りを続け、

先祖に感謝し先祖の神を守っていることだけは確かなようだ。

出版社名 講談社
出版年月 2008年4月
ISBNコード 978-4-06-214645-6
(4-06-214645-2)
税込価格 1,890円

土曜日、日曜日は観光バスは上高地の途中の駐車場までしか入れません。観光客はそこからシャトルバスに乗り換えて上がります。

大正池の手前でシャトルバスを降りて、梓川の岸をしばらく歩き、大正池から自然遊歩道に入りました。ところどころ木製の歩道が敷かれていますが、

一部砂礫の道もあります。フィットンチッドの芳香に包まれ、にわか雨にも会いながらぶらぶら歩きました。








上高地を開いた宣教師ウェストンのレリーフがある場所へ向かっていると雨脚が強くなってきました。

折りよく上高地温泉ホテルの前を通りかかったので、ホテルの喫茶コーナーで40分ほど喫茶タイムにしました。

メニューにビールがなかったので相方に合わせてケーキセットにしました。疲れていたのか珍しく砂糖を入れたレモンテイーも、ケーキも美味かったです。




河童橋の上から見ると河原に下りている人も見えましたが、そろそろ集合時間も迫っていたのでバスステーションに向かいました。

行きは名神の小牧ICから中央高速で諏訪に走りました。帰りのバスは上高地から岐阜県の平湯に出て、高山を経由し先日全面開通したばかりの東海北陸道に入りました。

一宮で名神に乗り入れ平湯出発から5時間のスムーズなドライブで三ノ宮に到着しました。

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人類の戦争の起源    by 山極 寿一

2022年09月10日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年08月16日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

 人類にとってどんなに文明が進み、文化が花開いても、最後の最後に姿を現し、人と人の間の争いごとに決着をつけるのが暴力-バイオレンス。

人間社会の歴史はある意味、その暴力性をいかに押さえ込むかの長い長い闘いのような気がします。

国際霊長類学会会長である山極寿一さんは言います。

○チンパンジーの群の衝突と人類の戦争は、根本的に違う

○大量殺戮の原因は「言語の出現」「土地の所有」「死者の利用」 の三つ

○攻撃本能起源説は戦勝国を擁護するもので、誤り

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暴力と戦争の由来:ゴリラの視点から人類の進化を考える   

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