阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

【養老孟司×ヤマザキマリ】コロナ禍・戦争・経済不安…「日本の壁」をどう乗り越える?【深層NEWS】

2022年09月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【養老孟司×ヤマザキマリ】コロナ禍・戦争・経済不安…「日本の壁」をどう乗り越える?【深層NEWS】

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9月17日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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6個の花芽から二つが脱落 4つの花芽の開花を期待しています。

2022年09月17日 | 花・草・木・生き物

三個の花芽の画像です。

脱落する前の一つの花芽

ムラサキ山芋の葉っぱのカーテンは今も元気に茂っています。

ガジュマルやシマトネリコにステレオスペルマム

 

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神戸工業株式会社の 会社案内(富士通テンの前身)[1957年]の動画         11年前の今日 2011年9月17日の本ブログに掲載

2022年09月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

昭和32年当時の神戸の街並みも写っています

映画や原作にある「火垂るの墓」の戦災を受けた時代からわずか12年後の神戸。この映画には敗戦の痕は殆ど伺えません。

神戸工業はブランド名をTENとしていた神戸発祥の電気製品メーカーですが、昭和43年に富士通と合併し、

現在の社名は富士通テンになっています。

    会社概要はこちら


合併当時に富士通の技術者だった従兄が、合併後時々出張でテンの神戸工場に来ていたことを思い出します。


神戸工業株式会社 会社案内(富士通テンの前身)1/3 [1957年]


神戸工業株式会社 会社案内(富士通テンの前身)2/3 [1957年]


神戸工業株式会社 会社案内(富士通テンの前身)3/3 [1957年]

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旧統一教会に対する国民や社会の関心や疑問は3点に絞られてきた。

2022年09月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

メディアの報道ぶりや世論の反応を見ていると、国民や社会の関心や疑問は以下の3点に絞られてきているような印象を受けている。

 第一に、反社会性を強く指摘されてきている宗教団体がなぜ、「宗教法人」として法人格を認められているのか。

 第二に、報道されているように、日本人の熱心な信者が献金した莫大な額の“浄財”を、どうして北朝鮮や韓国など他国に環流させるのか。

 第三に、教団の反日的、侮日的教義が明示されているのに、ことさら保守を標榜(ひょうぼう)する日本の政治家がそれになぜ同調して支援するのか。

  とても従来の“勝共主義”では説明できない。

引用元。

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9月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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オーナーシエフの焼き鳥店 亀戸の「文鳥」は いい味を出していた。

2022年09月16日 | 食べる飲む

図書館で返却と予約本の到着メールの知らせがあった本のピックアップのあと 二人は京葉道路に出て都営バスの亀戸駅行に乗った。

焼き加減が絶妙で 柔らかいのに噛み応えがある。材料の仕入れにも気を配って言るなと思った。いい店だ。

セロリの漬物から

日本酒のメニューは豊富だったが奈良の酒を頼んだ。ワインのような旨い酒だった。

つくねの卵黄まぶし

夜の総武線 亀戸駅前風景

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相撲は「興行」である、という当たり前のこと

2022年09月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年09月25日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

両国の国技館で半日、秋場所を楽しんだ。昼の12時過ぎから夕方6時までのほぼ6時間館内にいたが、時間に連れて館内の人の数が増えていき、

見物衆は土俵を半分見、半分は飲み食いとお喋りに忙しい。


途中で、思った。ああ相撲は江戸時代の歌舞伎などの芝居と同じ“興行”なんだと。こうして小屋掛けの空間で町人や侍もなく、

老若男女が日がな一日わあわあ言いながら楽しんだ興行なんだと。

興行にはケレンもあるし、客をわかせる趣向もこらされるのが当然。そして真剣勝負も観客の血をわかせる呼び物の一つだ。

興行は面白くして客を集めてナンボの世界。ある週刊誌が「相撲には八百長がある」と問題にしたが、彼らは現場を踏み、観客としてカネを払って相撲を見た事があるのだろうか。

一度でもこの雰囲気を現場で肌で感じれば、相撲に八百長の有無を問題にするのではなく、興行主である「大日本相撲協会」が税金を免除されている公益法人であり、

彼らが運営する興行を「国技」と称する事の不当性を衝いたはずだ。

力士の大銀杏、まわし姿は江戸時代から変らず、行司の烏帽子直垂姿は600年ほど前の侍の衣装である。

そして土俵は能狂言などの芸能と共通性を感じる見事な舞台装置でもある。

しかし現在の能狂言の世界と違うのは、その集客力だ。集客力を上げるためには、相撲界は最も前近代性を残すかにみせて、実は日本の伝統的な興行の中では、

最初に国際化し、人材を海外に求め、今やそれが定着して、外国人を組みこんだ国際的な興行に上手に変身した。

国技館内で定番のしっかり味がついた「名物ヤキトリ」を食べ、ビールを飲み続けて、名勝負に対する大歓声を聞きながら、

このエンターテイメントには、八百長論議はなじまないなあ、と考えました。

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9月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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国民の声は聞き違えないように     佐藤正明             東京新聞

2022年09月15日 | びっくり画像・映像

2022-09-14 付 東京新聞朝刊

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諏訪市の八剣神社御柱祭 地域と学生が担う長持ち 県福祉大学校生が練習励む        信濃毎日新聞

2022年09月15日 | 諏訪便り

        2022/09/14                   住民とともに長持ちの練習に励む県福祉大学校の浜さん(手前右)と篠原さん(同左)

諏訪市の県福祉大学校の学生たちが、八剣(やつるぎ)神社(諏訪市)の御柱祭に合わせて披露される長持ちの練習に地元住民と励んでいる。

1998年に地元に住んでいた学生が参加したのをきっかけに交流が始まり、5回目。10月2日に同神社の正遷座(せいせんざ)祭で開くコンクールや、

同月下旬の同大学校文化祭で長持ちを披露する予定で、練習に熱を入れている。

 学生たちが参加しているのは同市小和田の北小路区の長持ち。6月の終わりごろから週3日ほど練習を積んでいる。

12日夜は住民と学生計約20人が集合。長さ約7メートルの太いさおを肩に担ぎ、ぎしぎしと音を立ててしならせ、威勢のいいかけ声を響かせた。

 今回、地元の北小路区長持(ながもち)会の呼びかけに応じた学生は10人ほど。出身地は長野市、松本市、伊那市、木祖村などさまざまで、

6年に1度行う御柱祭になじみのなかった学生も多い。菊地正輝さん(19)=保育学科1年=は「今年が御柱祭の年とは知らなかったが、雰囲気を味わってみたい」と参加を決めた。

 この日、先頭で長持ちを担いだ浜ひかりさん(18)=同=は「地域の人が温かく受け入れてくれてうれしい」。

篠原豪希さん(18)=同=は「単純な動きに見えるが奥が深い。本番ではかっこよく披露したい」と意気込んだ。

 同会委員長の山口賢臣(まさおみ)さん(35)は「右も左も分からない中、地域に飛び込んできてくれた気持ちがうれしい」と歓迎。

「学生生活の思い出となればいいし、また次の学生が参加してくれるように伝統をつなげたらいい」と期待していた。

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ある年の御柱祭のとき、諏訪市の 小和田 北小路区の長持ちを担いだ従兄の写真を神戸に送ってもらったことがある。

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神戸の日仏商事㈱の前社長 筒井ベルナールさんに50年前にお会いしたことがある。      11年前の今日 2011年9月15日の本ブログに掲載

2022年09月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

月刊神戸っ子の9月号を読んでいたら、日仏商事という会社が取り上げられていました。


社長の名前を見ると“筒井潤”さんとあります。そのときふと“筒井ベルナール”さんの名前が頭に浮かびました。
もしかしたらお二人は親子かなと思いました。思い立ってネットで「筒井ベルナール」さんで検索すると、
「日仏商事社長」の記事が出てきました。

両方の記事から推測するとお二人は叔父と甥に当たるようです。

 筒井ベルナールさんは、昭和35,6年ごろ月に2~3回ほど、身内のフランス語の先生として、当時神戸市東灘区住吉にあった
家に来られていました。お会いした頃、ニューカレドニアからかなり前に日本に移られ、神戸に定住を決められた白皙の美青年でした。
 その後、神戸で商事会社を立ち上げられ、社長として活躍されていたようです。「神戸っ子」の取材記事のおかげで
心のどこかで、どうされておられるかなぁと思っていた方の消息が、わかって嬉しく思いました。

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2013年6月22日追記

若き日の筒井ベルナールさんの写真を、平田真実さんから頂いたコメントからのリンク先で見せて頂きました。

懐かしく思い、ふと、あらためてベルナールさんのことを検索したら、ベルナールさんが昨年の9月13日に亡くなられたことを知りました。

50数年前に何回かお会いしたベルナールさんは、忘れられない方々の中のお一人です。ご冥福をお祈りします。

ネットから⇒

○日仏商事名誉会長  筒井ベルナール氏「お別れの会」
 
日仏商事⑭は10月17日、ANAクラウンプラザホテル神戸で、9月13日に79歳で逝去した同社名誉会長筒井ベルナール氏の生前の功績を偲び「お別れの会」を執り行った。

【筒井ベルナール氏略歴】
▽昭和8年3月24日ニューカレドニア・コネ村にて出生
▽昭和34年早稲田大学卒業
▽昭和44年藤井幸男氏と日仏商事⑭設立 代表取締役専務
▽昭和61年代表取締役社長
▽平成9年会長
▽平成20年名誉会長

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9月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年09月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

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新しく出てきた6つの月下美人の花芽は元気です。

2022年09月14日 | 花・草・木・生き物

六甲山の麓から荒川の畔に移動して4年。月下美人の鉢は環境に馴染んだのか今年すでに三つの花を咲かせたのに また新たに6個の花芽をつけてくれた。

嬉しいし楽しみだ。

 

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御柱祭の小路 彩る御神燈 諏訪市小和田地区           長野日報

2022年09月14日 | 諏訪便り

 2022年9月13日 6時00分    八剱神社周辺の小路を彩る「御神燈」。参拝する人を境内に誘い、祭りの雰囲気を盛り上げている

諏訪地方の各地で御柱祭が行われる中、諏訪市小和田の八剱神社周辺では各世帯が家の前に燈籠や番傘を飾り、高島藩ゆかりの歴史ある街並みを色鮮やかに演出している。

新小路、湯小路、北小路、田宿では各区が趣向を凝らした燈籠で小路を彩り、夜には幻想的な雰囲気を醸している。

このうち、田宿は10日、市松模様の屋根が付いた高さ4メートルの「飾り燈籠」を道路をまたぐように設置。

各家庭の灯籠は祖父や曽祖父から受け継ぐものが多く「昭和25年寅年」と書かれた木枠も。今回は太陽光発電装置で自動点灯する燈籠がお目見えした。

田宿の燈籠は、赤色の紙で額縁を作り、前面に虎や大黒天、金魚、花などを描き、俳句などを添えるのが伝統。

午後6時ごろになると、通りは燈籠に光をともす区民でにぎわい、下校途中の高校生が「きれいだね」などと語り合う光景が広がっていた。

御神燈は7年目に一度の御柱祭と遷座祭を奉祝するもので、ご神体を権殿から本殿に戻す10月2日の正遷座祭まで点灯するという。

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諏訪市小和田は昭和43年に父親が神戸に本籍地を移すまで 阿智胡地亭一家の本籍地があった場所だ。

 阿智胡地亭は諏訪市以外の日本各地のあちこちに住んで来たが 自分の中ではずっと八剱神社は自分の「氏神」さんの位置にある( ´艸`)。

 

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