映画「剱岳」を見た感想をUPしてから何人かの方からメールを頂きました。 それらの方への返信の中にはこんなことを書いたメールがあります。
『・・・ところで私の両親は、「剱岳」の原作者、新田次郎、本名、藤原寛人さんとちょっとしたご縁があります。
新田次郎は奥さんが「藤原てい」と言って、敗戦後、満州に残った夫と離れ、幼い正広、正彦、咲子の三人を連れて日本に引揚げました。
その間の過酷な体験を書いた「流れる星は生きている」という本は昭和24年にベストセラーになり映画化もされました。私は小学生の頃、家にあったこの本を読んだ記憶があります。
新田次郎(藤原寛人)は長野県諏訪市の旧制諏訪中学で私の父の一年下の学年、藤原ていさんは旧制二葉女学校で私の母の一年下でした。
新田次郎のペンネームは彼の生地、諏訪市の“角間新田”の‘新田’と藤原家の次男であったことからつけたものです。
そんなに生徒数が多い学校ではありませんから、学生時代に両親はそれぞれお互い、新田次郎さんと藤原ていさんを知っていたそうです。
向うの息子の藤原正彦さんは数学者になり、ベストセラーになった 「日本の品格」などを書きましたが、こちらの息子は酒の量が増える一方の 「飲み屋の賓客」になっております。 阿智胡地亭 辛好 拝 」
♪ つけたしのつけたし: 人気映画シリーズの「釣りバカ日誌」はいよいよこの12月にロードショーの第20作で幕を閉じるようですが、ハマちゃんの相棒であるスーさん(鈴木建設の創業者にして会長)は、
旧制諏訪中学の出身という設定になっているのは知る人ぞ知る、いや有名な話です。 → 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 一之助(すずき いちのすけ) 工学博士。諏訪中(現・諏訪清陵高)出身で、(ハマちゃんの奥さんの)みち子の実父と同窓。
通称「スーさん」。ハマちゃんと会社で偶然知り合い、ハマちゃんの釣りの弟子になった。
その後ハマちゃんの勤める鈴木建設の社長であることが明らかになったが(厳密には、ハマちゃんが鈴木建設に何年も勤めていながら社長がスーさんだったと言う事を全然把握していなかった。
社長と分かる前は、スーさんの事を鈴木建設を定年退職した後の同社の嘱託社員(通称『上の階』)だと思っていたので、その前後でハマちゃんの態度がまったく変わらなかった。
そのためにスーさんは驚くとともに改めて感心したようである。
ただし、労使の関係という間柄からたびたび対立することもあり、一度破局寸前にまでなったこともある。
ハマちゃんとのプライベートの付き合いを大事にしたいあまり、昇進リストに×を付け、ハマちゃんをヒラ社員のままにした事があり、
この事で一時期ハマちゃんは『×(ペケ)社員』と一部で呼ばれてしまった。
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