≪速報:2018年初詣 高照神社(神社仏閣) 2018.1.7≫
映像:雪深い正月岩木山神社に詣でた後、名君津軽信政公を祀る高照神社に初詣を挙行した。
津軽為信は有名だが信政公はあまり知らないだろう。第四代津軽藩主。その津軽信政の霊所
として建築されたのが高照神社。以後弘前の長勝寺に並ぶ津軽藩の墓所的存在である。此度
弘前市が神社伝来宝物を展示する「宝物殿」が完成。津軽藩の歴史が今に生きるヒストリアスポット。
社格:県社 祭神:津軽信政(+津軽為信) 指定:国重要文化財(本殿・宮殿 他H18年指定)
解説:津軽信政は聡明で江戸中期の津軽藩を盛り上げた中興の祖とも言われ神社に霊を安置
したのは彼が神道に深く帰依したからと推察。又信政公の死後殉死した重臣も居たが
一部側近は神社参道両側に居を構えこの社殿を守る事を代々の務めとした。この名残
が高岡集落と今もその足跡を伝え青森県でも特異な集落である。将に歴史ヒストリア。
高岡:高照神社を正面に道路の左右に民家が立ち並んでいる。藩主信政公の廟所・神社保守
要員の屋敷と思われ今も門前町の様に残り集落を形成。因みにこの高岡集落の高岡の
地名は弘前城の別名。64歳で大往生した信政公の死後の都がこの地であることを示唆。
回想:筆者は高照神社の上方にある岩木山神社境内に棲んでいた(父が神官)。幼い筆者には
この集落は部落としか映らず、そこから小学校に通う女の子に淡い恋心を抱いていた。
初恋の人。今考えれば、その娘の一族は津軽藩士族の末裔。父同様、神に仕える人々。
考察:高照神社の「高照」とは、弘前(高岡)城を守り照らす社という事ではないかと推量。
考証:津軽信政は津軽信義の長男。信義は津軽信牧の長男。信牧は津軽為信の三男であった。
歴史:注目すべきは信政の父信義の母が石田三成三女辰子姫で継母が徳川家康養女満天姫で
ある。宿敵ライバル徳川家康と石田三成の血と心が脈々と流れている歴史ヒストリア。
参照#①日本武人(武神)神社探訪紀行 ②お正月の岩木山神社 ③弘前城 (津軽藩) 探訪 紀行