(モスクワで、チェチェンでの戦争に反対する市民 07年3月の写真ですが、少数ながらこうした活動を行っているグループも存在はしていたようです。
“flickr”より By Lyalka
http://www.flickr.com/photos/leilat/436477454/)
【5万人超の駐留部隊】
世界的な金融危機・不況の波は様々な方面に影響を及ぼしています。
「カフカスの火薬庫」と言われ、ロシアからの独立を主張する武装勢力とロシアとの間で長年にわたり紛争が続いていた北カフカスのチェチェンから、ロシアによるチェチェン支配の中心的役割を担ってきたロシア軍のテロ対策部隊が撤収することになりました。
これも経済危機のなかで、ロシアが財政的に駐留を維持することが困難になったことによるものだそうです。
****チェチェンの対テロ作戦終了へ ロシア、経済危機も背景******
「カフカスの火薬庫」と言われたロシア南部チェチェン共和国で、99年の第2次チェチェン戦争以来続いてきたロシア政府による「対テロ作戦」の態勢が解除される見通しになった。経済活動への足かせを嫌う共和国側が、連邦政府に態勢の終了を提案した。情勢の安定化を物語る一方、経済危機に伴う「経費節約」が狙いとの指摘もある。
ロシアのプーチン首相を後ろ盾に、分離・独立派勢力を抑えてチェチェン統治を進めてきたカドイロフ共和国大統領は25日、「武装勢力は一掃された」と述べ、近く連邦政府が作戦終了を決めるとの見通しを表明。ロシアのメドベージェフ大統領も27日、解除の検討を連邦保安局長官に指示した。保安局や内務省、大統領府、下院などの代表でつくる国家反テロ委員会が31日にも審議する。
「対テロ作戦」は99年9月に、当時のエリツィン大統領が大統領令に署名して始まった。作戦終了が決まれば、現在チェチェンに駐留する5万人超の軍部隊のうち、約2万人が撤退することになるという。
カドイロフ大統領の狙いは首都グロズヌイの空港を国際化し、自由な経済活動を可能にすることだ。作戦態勢下では人や物の移動に軍部隊のチェックが入り、自由が制限される。チェチェン移民が多く住むヨルダンやトルコ、欧州などとの行き来を望む住民には不便だ。また、大統領は若者の武装勢力への加入を防ぐには失業対策が最優先だとしており、自由な経済活動はその前提になる。
こうした共和国側の要望を後押ししたのが、世界を覆う経済危機だ。イタル・タス通信によると、ロシアのグリズロフ下院議長は26日、「チェチェンでの連邦部隊駐留は大きな財政支出。経済危機の下では問題がある」と発言。コメルサント紙も治安省庁高官の同様の発言を伝えた。
かつて数千人ともいわれたチェチェン内の武装勢力について、連邦政府は現在、山岳部に約480人が残っているとみる。共和国側は50~70人程度と主張。カドイロフ大統領は「それも来月には根絶されるだろう」と強気だ。
ただ、ロシア南部のカフカス地域ではチェチェンで治安回復が進む一方で、西隣のイングーシ、東隣のダゲスタンなどの共和国ではテロや爆発が頻発し、火種は周辺に拡散しただけとの見方も強い。【3月29日 毎日】
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チェチェンに駐留するロシア軍が5万人超にのぼるとは知りませんでした。
アメリカのアフガニスタンへの派兵が現在3万8千人ほどで、夏までに増派される1万7千人、さらに先日発表された4千人の追加増派をあわせても6万人規模ですから、ロシアのチェチェン駐留の規模の大きさが窺われます。
オイルマネーで潤っていた頃ならともかく、日本や欧米諸国同様、あるいはそれ以上の経済危機の影響を受けている現在のロシアにとって、大きな負担となっていることは間違いないないでしょう。
今後は軍の通常部隊が治安維持に当たるとされています。
【カディロフ大統領の「プーチン翼賛体制」】
“最近のチェチェン情勢安定化について、人権団体などは、親露派のカディロフ共和国大統領が私兵組織を駆使して恐怖で住民を抑えつけている点を指摘している。ロシア部隊の撤収で、カディロフ氏の強権支配が拡大する可能性もある。”【3月28日 毎日】といった見方もあるようです。
カディロフ氏は昨年10月、それまでの「勝利大通り」を「プーチン大通り」と改名した際、プーチン氏のチェチェンにおけるテロとの戦い、経済、社会の復興における功績をたたえるためだと説明。
記念式典でのあいさつでは「プーチン氏のためなら死ぬ覚悟がある」とまで述べ、プーチン氏への忠誠を誓ったとか。
07年のロシア下院選では、プーチン氏率いる「統一ロシア」のチェチェンでの得票率が99%以上と発表されるなど、カドイロフ氏による「プーチン翼賛体制」が築かれています。【08年10月6日 朝日】
【陰謀と暗殺】
新生ロシアのエリツィン政権が分離・独立阻止に動いた第1次戦争(94~96年)ではロシア軍約4万人が進攻し、武装勢力との戦闘は泥沼化。
第2次戦争(99~00年)は、イスラム教国樹立を唱える武装勢力の蜂起やモスクワでの大規模テロ続発を機にプーチン政権のロシア軍が進攻し、独立を封じ込めました。
全体の死者は16万人ともされます。その後も武装勢力によるテロが続いています。
ただ、第2次戦争のきっかけになったモスクワでアパート爆破テロ、その後のモスクワの劇場を占拠、北オセチア共和国ベスランでの学校占拠など、武装勢力側によるテロとされている事件について、ロシアの関与を云々する“謀略”も囁かれています。
“「第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要であった。今回の第2次戦争は、エリツィン大統領が自ら選んだ後継者として公に支持する、ウラジーミル・プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている」とアメリカ下院で証言したエレーナ・ボンネル女史(反体制物理学者アンドレイ・サハロフ博士未亡人)のように、この紛争はエリツィン〜プーチン政権が作り出した戦争であるという見方をする人物も存在している。”【ウィキペディア】
事の真偽はわかりませんが、こうした話が囁かれること自体が、ロシアの政治体制のひとつの側面を表しているとも思われます。
2006年10月には、ロシアのチェチェン政策を批判して来たロシアの女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが何者かに暗殺されました。
(メドベージェフ大統領は2月、アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件の裁判で被告4人全員に無罪判決が下されたのを受け、検察を叱責したとのことで、プーチン時代とは違った面も出てくるのか・・・と期待させるものがありますが)
チェチェン絡みでは、また暗殺があったようです。
****チェチェン大統領と対立していた人物、UAEで暗殺か****
ロシア・チェチェン共和国の親ロシア派カディロフ大統領と対立関係にあった人物が28日、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ首長国で何者かに撃たれて死亡した。ドバイ警察が30日明らかにしたもので、暗殺されたとみられるとしている。
同警察によると、死亡したのは「スライマン・マドフ」氏(36)で、居住していた建物の駐車場で射殺された。同氏は監視されていたもようだという。
一方、ロシアのメディアは同日、カディロフ大統領と対立していた元チェチェン独立派のスリム・ヤマダエフ氏に対する殺人未遂事件がUAEであり、同氏は大けがを負ったと伝えた。【3月30日 時事】
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