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(4月9日 バンコク市内の幹線道路を封鎖する“赤シャツ”UDD “flickr”より By adaptorplug
http://www.flickr.com/photos/11401580@N03/3426798006/)
【エスカレートした反政府行動】
タイ・バンコクでのタクシン元首相を支持する「反独裁民主戦線」(UDD)の反政府行動、治安当局との衝突、そして強制排除が迫るなかでの行動中止・・・これら一連の騒ぎについては連日TV等でも報じられているところです。
タクシン首相については、その金権体質、強引な政治手法等に批判はあります。
ただ、現在のアピシット首相を支える側も、06年9月の軍事クーデター、更に、昨年来の司法権力を使ってタクシン派のサマック政権とソムチャイ政権を崩壊に追い込んだやり様は、タクシン政治以上に強引です。
どちらがより広い国民の意思を反映しているかということを“選挙”というものではかるなら、言われているように、バラマキ政策・利益誘導政治との批判はありますが、地方農民や都市貧困層の強い支持を受けるタクシン派に利がありました。
しかし、今回の復権に勝負をかけたタクシン元首相に煽られた「反独裁民主戦線」(UDD)の行動は行き過ぎました。
タクシン元首相は、06年のクーデターの黒幕は国王側近のプレム枢密院議長と枢密院議員のスラユット元首相だと名指しで非難、タクシン派UDDの行動に12日夜、国外から電話で「これは人民革命だ」と称賛するメッセージを伝えています。
タクシン派は11日、中部の都市パタヤで東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議会場のホテルに乱入、会議を中止に追い込んだことで、調子に乗りすぎたようにも見えます。
治安当局の対応を甘く見ていたようにも思えます。
12日の非常事態宣言直後、首相がいる内務省の建物に乱入。建物を出ようとする首相の車を取り囲み、棒で殴りかかるなどの暴行を働くなど次第に統制を失い、暴徒化していきました。
【住民への発砲】
治安当局が強制排除の強い対応に出ると、火炎瓶での対抗、バスへの放火と次第に過激化し、ついには住民への発砲にまで至ります。
****タイ:タクシン派へ怒り 住民2人死亡の現場*****
タイの首都バンコクを大混乱に陥れたタクシン元首相支持派組織「反独裁民主戦線」(UDD)のデモ隊撤収から一夜明けた15日、同市内は平穏を取り戻した。だが、タクシン派による銃撃で住民2人が死亡した現場では同派への怒りが渦巻き、今回の騒乱がタイ社会に与えた亀裂を浮き彫りにした。
「この地域を守りたかっただけなのに、あいつらは撃ってきた」。骨董(こっとう)品店を経営していた叔父のボムさん(54)を殺害されたトンさん(18)は、こう話した。
タクシン派が陣取っていた首相府周辺から約300メートル南のナンルン市場には1000軒以上の店舗兼住宅が並ぶ。13日夜、殺害された2人はいずれも市場の住民だった。
赤シャツを着たタクシン派は同日午後2時ごろ、2台のバスで市場近くの交差点をふさぎ、火をつけようとガソリンをまき始めたという。バスが炎上して市場に延焼するのを恐れた住民約200人が強く抗議すると、タクシン派はそのまま立ち去った。
ところが、午後7時過ぎ、十数台のバイクに乗ったタクシン派が再び市場に現れ、デモへの参加を強制し始めた。住民が拒否すると今度は火炎瓶を投げ始めた。あたりに警官や兵士の姿はなく、住民が警察署に電話をかけても応答がなかった。
そのうち、逃げ惑う住民に向かって銃撃が始まった。「誰もタクシン派が銃を持っているとは思わなかった」と、一部始終を目撃していたオンさん(52)は語気を強めた。
ボムさんは胸を撃たれ死亡した。市場に住む19歳の男性も同じく銃撃の犠牲となった。ボムさんの妻バンチューさん(43)が現場に駆けつけたときには、夫は路上でうつぶせに倒れ、口から血を流していた。夫婦は政治に関心がなく、デモが始まってからは危険を避けるため2人の娘と一緒になるべく家の中にいるようにしていたが、ボムさんは同日夜、家族のため夕食の食材を買いに行く途中、たまたま騒乱に巻き込まれた。「タクシン派は許せないが、私たちにはどうしようもできない」とバンチューさんは涙をぬぐった。【4月15日 毎日】
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【徒労感とダメージ】
こうした暴徒化したタクシン派の行動は国民の批判を浴び、治安当局の強気の対応を支えることになりました。
海外に逃亡中のタクシン元首相は「これは(敗北ではなく)一時停戦だ」とのコメントを発表していますが、これだけの騒ぎを起したタクシン派のダメージは大きなものがあります。
****「何も変わらなかった」=徒労感にじますデモ隊-タイ****
「結局、何も変えられなかった」。デモ中止の決定を受け、タイ・バンコクの首相府周辺では14日昼前から、タクシン元首相支持派「反独裁民主同盟」メンバーが撤収作業を始めた。トラックの荷台に分乗するなどして現場を離れていったが、メンバーらは「敗北としか言いようがない」と徒労感をにじませた。
この日昼すぎ、幹部の1人はステージ上から最後の演説をすると、自ら警察へ向かった。これを合図に、残っていたメンバーも次々と会場から引き揚げ始めた。
3月26日の抗議行動初日から参加していたという男性(38)は「首相の退陣や新たな選挙を求めていたのだから、敗北だ」。抗議行動に意味はあったかとの問いには、「何も」と。別の男性(25)は「民主主義のある国にしたかった。次もまた来る」と語った。【4月14日 時事】
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対立の構図は何も変わっていませんが、タクシン派が“次”を起せるかは疑問です。
直接的には資金的な問題があります。
“「UDDが参加者の多くに日当を支払っていたのは間違いない。空港を占拠した反タクシン派の民主市民連合(PAD)参加者にも日当が出たが、違いはPADの資金は反タクシンの財界や中間層の市民など広い範囲から集められたのに対し、UDDはタクシン氏個人から出ていたことだ」。地元記者はそう解説した。”【4月14日 毎日】
“タクシン個人”とは言っても、タクシン元首相の個人資産はすでに押さえられていますので、タクシン周辺の者の資金が使われていたのではないでしょうか。
おそらく、政府側は今後、そうしたタクシン派の活動資金になりうる資産を封じ込めにかかるのでは。
また、混乱のなかでタクシン元首相の子供や前夫人が次々に国外に“脱出”していることが、支持者に過激な行動を煽りながら、身内は守ろうとする身勝手として批判を浴びています。
当面はタクシン派に“次”を起せるエネルギーは残っていないように思えます。
ただ、選挙となればまた違う展開もありえます。
今回の騒動でタクシン派の支持がどれだけ下がったかはわかりませんが、仮に選挙でタクシン派がまた多数の支持を受けるようであれば、タクシン派に政権を委ねるのが“筋”でしょう。
もっとも、たとえ選挙についても、発砲で死者まで出した代償は大きいようにも思えますが。