NHK大河ドラマ「徳川家康」(1983年放映)、「功名が辻」(2006年放映)に続き、「真田丸」(2016年放映)をDVDで観始めています。その参考として、丸島和洋著「真田四代と信繁」を読み始めたら、とても面白く、一気に読んだので、感想などを記します。
表紙
(著者略歴)
丸島和洋さんは、1977年大阪府生まれ。2000年、慶應義塾大学文学部史学科卒。05年、同大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。08年、「戦国期武田氏権力の研究――取次論の視座から」で博士(史学)。専門は戦国大名論。現在、東京都市大学共通教育部 人文・社会科学系 教授。著書多数。
(カバー裏に記載された本書の概要)
信濃国小県郡真田郷を本拠とする真田氏は、武田、上杉、北条、織田、徳川など並みいる大大名らに囲まれつつも、幾多の難局を乗り切り、ついには近世大名として家を守りとおした。したたかに、実直に生きのびた武家100年の歩みは、お家生き残りの物語であった。「表裏比興者」昌幸、「日本一の兵」信繁(幸村)をはじめ、16~17世紀、戦国期に活躍した真田氏歴代の歩み。
(目次)
(感想など)
真田家当主4代(幸綱、信綱、昌幸、信之)と信繁(「幸村」という名前は、後世の造語)の波乱万丈の人生を描いた好著です。新たな「国衆」という概念(軍事的には従属したが、自領内に自治権を持っていた戦国武将)により、国衆である真田氏と諸大名との関係が整理されていたのも新鮮でした。
小説を読んだくらいの知識しかなかったのですが、関ヶ原の戦において、真田家の昌幸と信繁が西軍についたのが、ずっと不思議で、情勢を分析すれば、東軍(徳川方)につきそうなものだと思っていました。
それが、昌幸と石田三成はかなり懇意で、しかも縁戚であったこと、信繁の妻(竹林院殿)は大谷吉継の娘であったことを本書で知り、そのへんが影響したのかと、疑問が解けました。また、徳川方についた信之に対し、家康はきちんと約束を果たしていて、さすがに家康と、この点には驚きました。
(以下、参考)
真田家略系図
信之の妻は小松殿で本多忠勝の娘です。これに対し、信繁の妻は竹林院殿で、大谷吉継の娘です。
真田昌幸像
天正8年(1580年)頃の武田領国。真田管轄は、岩櫃と沼田。
石田三成と真田昌幸との関係
真田丸(DVD)
大河ドラマの方は、観始めたところです。