家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ノラ猫の侵入

2010-05-24 09:28:26 | Weblog
妻がケヤキの下で手招きする。

声や音を立てるなという合図。

抜き足差し足で進み隣に佇んで前を見る。

何も見えない。

「何?」

「しーっ、猫が来るの」

確かに猫がやってきた。

我々は音を立てずに樹木に成りすまして見ていた。

目が合っても「知らん顔」していた。

猫は動かないで居ると気が付かないようだ。

カメラのスイッチをオンにして構える。

幸い操作音は聞こえてないようだ。

車の置いてある所まで坂を登り一息つく。

安全と見るやさらに近づく。

フェンスが内と外を隔てている構築物だと理解しているように、そこで充分に時間をかける。

サラブライトマンの歌声が聞こえている中の様子を何気なく探りつつ足の毛を舐めたり落ちている物の臭いを嗅いだりする。

まるで「落ち着け」と自分に言い聞かせているようにも見えるし本当に余裕が有るようにも見える。

とうとう敷地内に浸入した。

だが家には近づかない。

石垣に登ってさらに家の様子をうかがう。

妻も私も張り込みしている刑事(デカ)のようだ。

また未遂を通り越して既遂に至るまで泳がされる犯人を見ているようだった。

私に少し罪悪感が芽生えた。

何度かの躊躇の時に声をかければ退散したであろうものを敷地内にまで浸入させてしまっているから。

カメラをビデオモードにして撮っていた。

私の靴音が「ミシッ」とした瞬間凍りついた現行犯の顔。

妻が「おいで」とやさしく声を掛けたが恐怖のあまり逃げることしか頭に無いようだ。

急いで斜面を登りミカンの木の根元で、こちらをうかがう。

敷地に入って何かを物色したいという後ろめたい気持ちよりも今まで見られていたという自己の注意の甘さが恐怖を増大させているようだった。

「大丈夫だよー。おいでー」という妻の気遣いの言葉は、まるで魔女の誘い言葉。

我々が追わないとみるや一目散に来た道を走って戻っていった。