家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ケーキとスライドを楽しむ会

2010-03-08 08:57:47 | Weblog
友人夫婦が遊びに持ってきてくれた。

妻の作った牡蠣飯(かきめし)を食べた後友人の持って来てくれたスライドを楽しんだ。

スクリーンをセットしパソコンから画像や動画を転送する。

大きな画面に麿君は驚いて逃げ腰になった。

友人は海外旅行によく出かける。

画面を見ながら、その説明を聴いた。

毎年何回か出かけるので

「次はどれにする?」

「じゃぁイタリアお願いします」

という感じで進む。

ロシア イタリア USA 上海 ウイーン と盛り沢山だ。

ごく普通のパック旅行もあれば特別列車仕立てのシルクロード横断の旅もある。

また海外の友人を訪ねる旅もあり世界中を見て回っている。

その地の歴史や文化の説明もしてくれるので、よい勉強になった。

途中でケーキとコーヒーを楽しみ、その後もスライドを楽しんだ。

午前11時過ぎに集まり午後5時過ぎまで語りあい、そして笑う。

6時間の経過が早かったこと。

彼らが帰って何故かお腹が空いた。

昼食をいつもより多く食べ、その後ケーキまで食べたのに不思議だ。

たぶん私たちのエネルギーが良い方向に発散されたからだと思う。

彼らは、この6月にもスイスに行く。

そうしたらまたこの会が開かれる。

人の旅行なのに今から楽しみだ。



技術のない歯科医

2010-03-07 08:21:31 | Weblog
このタイトルを読んで数人の友人たちがドキッとしたことと思う。

それを想像して笑いながら書き込む。

夕食を終えて爪楊枝で食後の満足を体感していた。

「あれ?」

あわてて次の爪楊枝で探った。

どうも爪楊枝の先端が折れてしまったらしい。

次の爪楊枝で奥に押し出そうとしたら、それ故に、先端が歯茎に刺さったようだ。

歯が無理やり押し広げられているような感覚だ。

100円ショップで購入した「のびーるミラー」を持ってきて洗面所の鏡で見てみた。

「あった」

爪楊枝の先端が見えた。

妻に事の次第を告げて「取って」と頼んだ。

即席歯科医の誕生だ。

椅子に座り口を開けて、これまた100ショップで購入したLED懐中電灯で口中を照らす。

先生の左手は私の頭を抱え右手に毛抜きを持って口の中をのぞきこむ。

「とれるかなぁ?」

不安になっているのは先生。

「痛くてもいいからやって」と患者。

毛抜きで爪楊枝の先端を取ろうとする。

だがうまく見えない上に血が出てきて余計に見えなくなる。

ほんの少し取れたような感じがありティッシュに出してみせる。

「これで取れたでしょ?」

だが一向に押し広げられている感覚はなくならない。

洗面所に行って合わせ鏡で見てみる。

「あるよ。やっぱり。こう刺さっているからこちら側から裏側に向けて押し出さないとだめじゃない?」

先生に患者がやり方を教える。

先生はしきりと痛みを気にする。

「まったく痛くないから!」半ば腹立たしくイラついた。

毛抜きを止めて裁縫道具の先端のとがった物で歯の付け根辺りを探った。

「抜けた」

軽くなった感覚が歯茎というより顔を弛緩させた。

唾液で口の中をジクジクやると1ミリほどの爪楊枝の先端が出てきた。

血の色を拭うと水分で膨らんだであろう先端がティッシュに残った。

「ありがとね」  無料だった。

飲み水

2010-03-06 09:09:46 | Weblog
長年使用した浄水器のカートリッジ交換のランプが点灯した。

これを機会に使用を中止した。

これからは春野の水を運んで使用することにした。

春野の水も水道水のようにカルキで消毒している。

だが自宅の水道水よりは「柔らかく丸い」感じがする。

週に3回も行っているから持ってくることは容易い。

風呂や洗濯あるいは食器洗いには、そのまま水道水を使用している。

さて水の確保はできたとして、何に水を入れておくか考えた。

水瓶を台所に置いて柄杓ですくって使うか。

水瓶の下にコックが付いていれば楽なんだけどと妻は言う。

しかしコックが付くということは、それより下にヤカンなり鍋を置いて水を入れるということだ。

そうなると水瓶自体をかなり上に置かなくてはならなくなる。

そしてそこに水を注ぎ足すことになる。

ちょっと実際に使うのは辛いと思われる。

焼酎を入れる陶器の瓶がある。

それなら小さいから上に置くのは楽だ。

しかしそうなると水量が少ないから頻繁に水の継ぎ足しが必要になってしまう。

とりあえず良い方法が見つかるまでの経過措置としてポリ容器に蛇口をつけて利用することにした。


ナタに焼印

2010-03-04 09:19:36 | Weblog
ナタとノコギリの柄に焼印を押した。

苗字の焼印も持ってはいるが焼きあがる文字の形が良くない。

また苗字だと何ともそのまますぎて面白くない。

で、 寿 を押した。

どこかの骨董市で購入した物であるが、どこかは忘れた。

スコップや鍬の柄にもこの 寿 を押してある。

このナタとノコは鞘に入れて腰に付けておくから他人の物と交じり合うことはない。

だが地区内共同作業のときなどは同じような農機具などが、いっぱい出てくる。

そのような時に焼印は有効だ。

マジックで描いても他人の物とは区別できる。

テープを巻いている人もいる。

だがしかし焼印ちゅうところがいい。

木が焼けて出来る焦げ目が美しい。

またマジックのように使っているうちに文字が薄くなるということもない。

テープは、剥がれ落ちる。

柄が木であることで喜ばしい印が付けられる。

アルミ製だったり鉄製だったら焼印は出来ない。

その場合は、やはり刻印だ。

これもまたいい。




クレソン

2010-03-02 08:47:55 | Weblog
春野に向かう途中で大きなショッピングセンターに寄った。

駐車場の隣の小さな堀の中には透き通った水が流れていて、そこには、おびただしい数のクレソンが生えていた。

「これ。少しいただこう」と決心した。

後日道具を用意して、その堀に到着した。

駐車場に車は、ほとんど停まっていなかった。

別に悪いことをしているという感覚はないが何故か少しドキドキした。

なるべく早くことを終わらせようと気が焦っていることが分かった。

濡れてもいいようにヤッケの上着を着用した。

ゴム製手袋をしてバケツとカッサライを持っていった。

カッサライで根の部分を掴んで引っ張りあげた。

バケツに一杯入れた。

引き上げてみると、なかなか大きい。

長靴も必要なかったし誰も見ている人はいなかった。

ニコニコ顔で車を運転していたに違いない。

春野に到着して、そのままの格好で東屋の下に下りていった。

一年中絶えず水が流れているところに植えた。

そこには以前から生えている植物があったが、それらを引き抜いて植えたというより、そこ
に置いて土をかけた。

数日置いて見に行くとちゃんと根付いて活き活きしていた。

同じ水路を下流に少し辿ってみると、もう少し小さなクレソンらしき物も生えている。

私が持ってきた物は、ばかに大きくて太く立派過ぎる気がした。

「変な植物を植えちまったかなぁ・・・・・・?」と思い始めた。

ネットで調べてみても「これだ」という確実な答えは得られなかった。

しばらくして植えたはずのクレソンの葉が無くなっていることに気付いた。

誰か食べたらしい。

ぞんざいとも思える食べ方だ。

ウサギか鹿か、はたまたイノシシかカモシカか。

いずれにしても食べられる物であることを証明してくれた。

これで自分も食べてみる気になった。




留守番

2010-03-01 08:24:11 | Weblog
日曜日の夜はテレビっこになる。

ケーブルテレビを見てBSに替え、さらに地デジにも替えて見る。

コマーシャル時にトイレを済まし再びテレビの前に。

いつも通りの時間割で、一つ一つの番組を楽しんだ。

だが妻がいない。

私は妻のいない理由は分かっているが麿君は分からない。

窓から外に出てベランダで長い間妻の帰宅を待つ。

部屋に入ってくると必ず「お帰り」と声をかけるのが常になっている。

その度に「お帰り」と言う。

いつもと違う雰囲気がとても嫌いな麿君は妻がいないことを気に入らない。

私の顔を見て大きな声で鳴く。

「旅行に行っているの」と言い聞かせる。

再びベランダに出て外を眺めては戻ってきて大声を出す。

「旅行に行ったって言ってるでしょ」と私も少し大きな声になる。

私の膝に入って少し寝たふりをする。

だが落ち着かないから、すぐに下りて外に出る。

また戻ってきて「ニャアーーー」

「うるさいの。帰ってこないの」とうとう私も麿君に負けないほど大きな声を出した。

午後6時から何度出たり入ったりしたことだろう。

彼が落ち着いた、というより諦めたのは10時を過ぎていた。