団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★日本人が目覚めるとき

2015年01月01日 | 日本再生

 



あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致しま す。

今年も今月10日で連続13年の達成です。後10 日、なんとか達成したいものです。7月には開設以来丸15年になります。我ながらバカなことを始めたもので す。まさか、作文苦手がこんなことを始めるとは、これもパソコンのお陰です。これも人生ですね。どこまで行 けるやら。

   1999年7月17日    第 1回

   2000年1月1日    第 128回

   2001年1月1日    第 471回 

   2001 年1月11日木曜日  第480話 ここから連続記録が始まりました。

   2002年1月1日    第 835回

   2003年1月1日   第 1200回

   2004年1月1日   第 1565回

   2005年1月1日   第 1931回

   2006年1月1日   第 2296回

   2007年1月1日   第 2661回

   2008年1月1日   第 3026回

   2009年1月1日   第 3392回 連続2913回目

   2010年1月1日   第 3757回 連続3278回目

   2011年1月1日   第 4122回 連続3643回目

   2012年1月1日   第 4487回 連続4008回目

   2013年1月1日   第 4853回 連続4374回目

   2014年1月1日   第 5218回 連続4739回目

   2015年1月1日   第 5573回 連続5104回目


  さて、今日はねずさん特集で行きます。何と言っても、ねずさんには毎日目から鱗で涙無くしては読めませ ん。ねずさんに教えてもらったことでどれだけ日 本に生まれた素晴らしさを噛みしめることができたことか。いくら感謝してもし足りません。それだけに、一人 でも多くの人に知ってもらいたいのです。

  今回のは特に長いので、最初と最後だけ取り上げさせてもらいました。本分は是非リンク元で読んでください。 日本人の素晴らしさに涙せずにはいられません。

   ねずさんの ひとり ごとより  2014/12/25(木)

  ハ バロフスク事件と日本人の行動

  日本人が目覚めるときというのはどういうときなのか。
目覚めたとき、日本人はどのような態度をとるのか。
このことについて、「ハバロフスク事件」を題材に考えてみたいと思います。
「ハバロフスク事件」というのは、かつてシベリアに抑留されていた人が、日本人としての誇りに目覚め、立ち 上がった事件です。

  シベリアに抑留された日本人は、十年間、ひたすら恭順の姿勢をとり続けていました。
「民主化」と称する旧ソ連流の共産主義教育にも大人しく従っていました。
その日本人が、ある日、立ち上がったのです。
それは銃を手にした戦闘とは、まったく異なる実に日本的な戦いの姿でした。
  …中略

  日本人は、基本的に、周囲にとても気を使う民族です。
それは、過去の日本も、現代の日本人もまったく変わりません。
ですから、いかに暴政があろうと、そこで自分だけの我がままで、まわりのみんなに迷惑をかけてはいけない と、ひたすらこらえ、我慢し、明日を信じて恭順の姿勢を取り続けます。

  けれど、それがある一線を越えたとき、日本人は立ち上がります。
そしてそれは、上から強制されてとか、命令だからではなく、常にひとりひとりの自発的な心の「内なる力」に よっておこります。
そして不思議なことに、日本人をないがしろにした者達は、最後は必ず滅んでいます。

  今年こそ、日本人が目覚める年となり、日本再生に向かって進みだす年にしたいものです。日本人ならきっ と出来る。又、やらなくては素晴らしい先人に会わす顔がありません。

 今年こそ勝負の年 です!

★日本のかたちを取り戻す

2015年01月01日 | 日本再生

  正 月、ねずさん第2弾です。第 592回の 「企業の道徳的退廃」で日本の経営者の劣化を嘆きまし た。
  この部屋でも80年代に戦 前に育った本田宗一郎さんや出 光佐三さんなどの背筋の通った 経営者が一線を退いて、戦後の 教育を受けた経営者に世代交代 した ころから日本の昔ながらの家族 的な経営が嫌われ儲けだけが全 てのような経営になってしま い、日本の没落が始まったと書 いてきました。

   その私の考えをもう一つはっきりとしてくれることを書いてくれたのがねずさんでした。これは、本当に心から賛同できます。
  安倍さんも、グローバルだ の女性重視だの外国人労働者な んて竹中平蔵に入れ知恵された ような政策を見直し、本来の日 本を取り戻すことを考えて欲し いものです。

  今のままでは、アベノミクスの成功は難しいのじゃ ないでしょうか。というか、そ れで景気が一時的に上がったと しても、日本再生の為にはなら ないでしょう。70年かかって 壊した日本です。じっくりと再 生しましょう。

  ねずさんの ひとりごとよ り  2014/12/22(月)

  経 済再生は実は日本のかたちを取り戻すこと

  景気を取り戻す。

経済を取り戻す。
素晴らしい政治テーマですが、実は、経済も景気も人が織りなす人々の活動や行動の結果です。
景気が良いというのは、経済、つまりお金の動きが活発化しているということです。
これが繁栄で、その繁栄は「相互の信頼と信用」によってもたらされます。
ですから、人と人、あるいは国家や自治体、政治、官僚、財界、民間との間に、信用(クレジット)がなければ、経済の 繁栄はありえません。

その信用は、現金や預金に似ています。
つまり信用の残高が多ければ経済は活性化するし、残高が少なければ衰亡します。
これが経済の原則です。

ですから、経済は人が織りなします。
つまり経済というのは、常に相互の信用(もしくは信頼関係)が基礎になっています。

明治の初め頃の日本は、超が付く貧国でした。
加えて武士が廃業しました。
当時の武家を、大手企業にたとえてみたらわかることですが、中央の株式会社徳川さんを筆頭に、全国300社の参勤交 代のある上場企業が、軒並み倒産して、その働き手(サラリーマン)が、全員失業したのです。
リーマン・ショックどころではない経済の大混乱が起きたことは言うまでもありません。

ところがその日本は、日清戦争が終わる頃には、年間750万円の朝鮮の国家予算に、3000万円の補助金を無償で出 してあげるほどの経済力をももち、さらに日露戦争の頃には、日本は世界の5強国の一角に食い込むだけの経済大国に成 長していました。

大東亜戦争の終戦のときも同じです。
600万人の旧軍人および軍関係者が失業し、国内は焼け野原で、食うものもろくにない。
そればかりか、財閥は解体させられ、公務員は20万人が公職追放となり、地主さんたちは小作農に無償同然で土地を分 け与えさせられるという大混乱が起こりました。
ところが、日本はまたたくまに復興が進み、昭和27年に主権回復したかと思うと、なんと焼け野原の貧乏国が、たった 12年後の昭和39年(1964)に は、アジア初の東京オリンピックを開催できる国にまで成長し、さらにその12年後には世界の経済大国にまで、みるみ るうちに経済成長してしまったのです。

どうして日本がこれだけの復興、復活、あるいは成長ができたかといえば、政府と国民、そして国民相互に、しっかりと した信頼の絆があったからです。
政治や政党あるいは、公職追放後の後釜に座った醤油組や三国人などによる官僚や教育者などは、しきりに対立と闘争を 煽りましたけれど、日本全体としては盤石の相互信頼がありました。
だから日本は復活も復興もできたのです。

あたりまえのことです。工事を任せれば、ただ任せるだけで、どこにも負けない立派な仕事をしてくれるのです。
しかもそれがあたりまえのようになされるのです。
工事を発注しても、手抜き工事をする、工事代金を途中でネコババする、あるいは工事途中で逃げてしまう。
そういう状態の国とは、根底が違うのです。

以前、パラオに韓国の業者が空港と本島との間に橋を架けました。
ところがこの橋が完成後に、あっという間に崩落事故を起こしました。
パラオ政府は、その倍賞を求めようと、工事を受注した会社を探しましたが、とっくにその会社はなくなっていました。
そんな状態では、実は経済など成り立ちません。
相互信頼の信用の絆がないからです。

日本経済が、まるで成長しなくなった。日本政府が、改革をすればするほど、日本経済は悪くなった、という言葉を、最 近、というか平成以降、よく耳にします。
実際、ひとりあたりのGDPは、1993年には世界第二位だったのに、2012年には13位です。
国際競争力は、1989年から1993年まで日本は世界1位でしたが、2012年にはなんと26位です。
日本経済は、悪化の一途です。

実はこれは当然の結果なのです。
日本は、いつのまにか、政官財民の信用の絆が切れ、ことごとく対立と闘争の中にあるからです。
なにせ、協力すること、協同すること、相互に力を合わせることが「癒着」だというのです。
サッカーの選手たちが、チーム内で互いに協力しあってプレイすることが「癒着」であり、批判の対象なら、それで試合 に勝てるはずがありません。
すこし考えれば、誰にでもわかることだと思うのですが、昨今の日本では、まるで気が狂ったように、協力することや協 同することが「癒着」として糾弾されます。…中略

  政治は対立だ、と思っている人は、いまの日本に多いようです。
けれど、対立し、争い、互いに悪口を言い合う世の中では、どこまで行っても、信頼の和は広がりません。
そして信頼がないところに、信用は生まれません。
信用がなければ、経済は絶対に活性化しません。

争いよりも和、対立よりも協和、不信よりも信用。
経済は人が織りなすドラマです。
ならば、人が変わらなければ、経済なんて絶対によくならない。
そして住み良い世の中は築けない。

だからこそ、日本を取り戻す。日本の本来ある信頼の和の国のかたちを取り戻す。
それが、まわりみちにみえて、実は、いちばん近道の日本再生の道だと私は思います。

  続きとも言えるものも書いてくれています。こちらも心に沁みます。
  
  面白いのは、ねずさんも私と同じ人が嫌いのようです。そこだけ抜き出しておきます。全文は是非リンク元で読んでくだ さい。

   100 人いたら  2014/12/26(金)

   …略
  
   あるいは在日外国人で経済人として大物となって、携帯電話会社のオーナー社長ともなっている人がいます。
たいへんな人気だし、たいへんな実力者ですし、きっと頭の良い人なのであろうと思います。
ではその人がこの日本にもし1000人いたら、あるいは1万人いたら、もっといえば100万人いたら、日本はどうなるの でしょうか。
おそらく富が偏在し、日本はかつて李氏朝鮮にいた両班のような特権階級の人たちだけが贅沢三昧の暮らしをし、他の多くの 日本人は人としてさえもみなされない、貧民を形成することになってしまことでしょう。…以下略

  本当にねずさんのブログは役に立ちます。日本の教科書がねずさんの説で埋まることこそが日本再生の近道じゃないで しょうか。


★察する文化  剣道対銃剣

2015年01月01日 | 誇れる日本

  正月、ねずさん第3弾です。これもねずさんから取り上げさせてもらった第4560回の「武士の精神」で柔道のようにガッツポーズ前世の堕落したスポーツとは違った心得を知り、やはり日本の道と付くものはこうあって欲しいものだと喜んだものです。

  その剣道がそうした矜持を保っているのはやはり長い伝統とそれを引き継いで来られた素晴らしい日本人が残っていたからじゃないでしょうか。
  そんな凄い方の話をねずさんが取り上げてくれています。以前にも読みましたが、何度読んでも日本人の凄さに感動させられます。こうした素晴らしい先人の受け継いできた道をスポーツなどに貶めることだけは止めて欲しいものです。

  それにしても、やはり戦前に育った人は今の日本人とは違いますね。今の便利な時代にはこれだけの修行には耐えるのは難しいかもしれないですね。
  それにしても、つくづく教育の怖さを感じます。日本を取り戻すと言うか、戦前の人達に追いつくのは並大抵のことじゃないでしょうね。
  こうした今の日本人とは比べ物にならない精神を持った人たちが世界中の日本を貶める人達が言っているような戦争を行ったとは到底考えられません。その 素晴らしさが理解できない人間たちが自分の尺度で考えるから平気で貶めることが出来るのでしょう。何とも、恥ずかしいことです。

  それだけに、日本人が少しでも戦前の人達に追いつき、世界に本当の日本を知らせることが必要です。大変なことですが、良いものは何時か分かってもらえるのじゃないでしょうか。その時こそ、日本が世界平和をもたらす時です。  

  これも、是非、リンク元で全文を読んでください。
  

  ねずさんの ひとりごとより  2014年12月24日

  昭和の巌流島決戦と察する文化

  国井善弥師範といえば、鹿島神流の使い手で昭和の宮本武蔵とまで言われた人です。
他流試合は数知れず。
しかも生涯一度も負けなし、というのですからすごいです。
実はこの国井善弥師範が「日本武道を救った」人です。

  戦後日本にはいってきたGHQは、日本人が強いのは、日本人が武道をしているからだとして、日本武道を全面的に禁止にしたのです。
終戦の年の昭和20(1945)年11月6日には、学校の剣道が全面禁止。
翌昭和21年には一般社会人向けの社会体育の剣道も禁止となり、さらに剣道関係者1300余名も公職追放されています。

  当然、町道場も営業できない。
なにせ剣道を教えているとGHQにひっぱられるのです。
しかたがないから、再び道場が復活できる日のためにと、日課の素振りをしていると、それだけでもGHQに逮捕され、道具類も全部没収されました。

  剣道協会は、なんとか生き残りを図ろうと、「剣道はマーシャル・アーツ(格闘技)ではない。ジャパニーズ・カルチャーだ」とGHQに訴えましたが、通じません。…以下略

  今年もねずさんに教わる年になりそうです。ねずさんに出会って本当に良かった。