大きな歴史の転換期には裏で大規模な天変地異が起きていたことは間違いないでしょう。今回のChina肺炎も世界の大変化を齎すことになるでしょう。
そんな天変地異が、何と初代である神武天皇の時にもあったようだという興味深い話題が、何時もの宮崎さんの読者の声にありました。
これは、面白そう。
それにしても、宮崎さんのところは読者のレベルが高くて本当に驚かされます。これも、宮崎さんのレベルが高い証拠でしょう。本当に有難い。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和2年(2020)5月19日(火曜日) 通巻第6504号 <前日発行>
(読者の声1)
林房雄先生の「神武天皇実在論」の復刊の話で「読者の声」欄が賑わっていますが、神武紀元は西洋歴の紀元前660年とされていることは周知のことと思います。
これは日本書紀の記述をもって当てはめたという事ですが、神武天皇の存在如何を証明する一つの大きな根拠となるであろうと私が考えるトピックを挙げておきます。
私は古神道を勉強する立場の人間なので、神武天皇の存在など当たり前のことです。しかし、世の中は考古学的見地とか、科学的見地とか、はたまたシナ文献がどうかという方々からは敬遠されるものと思っています。
さて山形大学の櫻井敬久名誉教授を中心とする研究グループの発表があり、鳥海山から出土した鳥海神代杉年輪の炭素14濃度を質量分析した結果、紀元前660年頃に超巨大太陽面爆発が起こっていた可能性を示したとなっています。
これは神武東征、神武即位の数年に比定できるのではないかと考えます。
なぜ、紀元前660年でなければならなかったのかを考えると太陽の大変革と、地上の大変化がシンクロナイズしていると思われるからです。
皇祖神は勿論太陽の象徴です。その地上における皇統の初代が神武天皇であることはご承知の通りです。
リリースされた「紀元前660年頃の宇宙線増加の詳細を解明~複数の超巨大太陽面爆発の連続発生を示唆~」から
(引用開始)
【概要】山形大学の櫻井敬久 名誉教授、名古屋大学宇宙科学地球環境研究所の三宅芙沙 準教授、弘前大学大学院理工研究科の堀内一穂助教らの、研究グループは、
紀元前660年頃の鳥海神代杉年輪の炭素14を山形大学高感度加速器質量分析センター(センター長 門叶 冬樹 教授)と共同で超高感度な測定を行い、解析することにより、紀元前660年頃の宇宙線増加イベントの詳細を明らかにしました。また、このイベントは複数の超巨大太陽面爆発によって引き起こされた可能性を示しました。この研究成果は、令和2年1月20日(日本時間19時)に、Nature Publishing Groupが出版する国際学術誌「Scientific Reports」に掲載されます。(引用終了)
自分の都合が良いものだけ参考にしているという批判は当然あるでしょうが、こういう飛躍がなければものごとの革新はないものと信じます。
古代史研究者の参考になれば幸甚です。
https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/information/press/20200120_01/
(ミネナガ)
(読者の声2)私は、神武天皇の実在、東征の史実性を信じています。
今や、炭素同位体元素による年代測定法の進歩により、紀元前7世紀は、縄文時代ではなく、弥生時代に組み入れられるようになってきています。
科学的、考古学的に見ても、これらについて、荒唐無稽などと片付けるわけにはいかず、その真実性が強まってきていると思います。
なぜ「大和」(現奈良県南部、もともと『大和』とは、現在の大和神社近辺のごく狭い地域についての地名であった)が建国の地になったのか、神武東征は史実で
あったか等について、小路田泰直編著『日本史論─黒潮と大和の地平から』(敬文舎、2017年)を読むと、そして、さらに「我等は紛れもなき日本人として、桜咲く
日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生れ出で、生ひ立ち来つた。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来たつた力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である」(平泉澄『国史学の骨髄』)というような文章に接すると、(皇国史観についての評価はともかくとして、また、たとえ老人の情動だと嗤われようと)小生の大和人としての血が躍動し、関西へ帰りたいという願望を抑えきれなくなってきます。
私事になりますが、私の母は明日香村出身で、小生は、幼少期の夏休み、春休みには、相当期間を飛鳥で過ごし、高松塚、石舞台、橿原神宮の近辺など、自転車で走り回ったものです。
あのころは、観光客を見かけることなど全くなかった。高松塚周辺が国営公園になるなどとは想像もできなかった。
東北震災のとき、久しぶりに関西でまとまった時間を過ごした際には、あらためて枚岡(ひらおか)神社を訪れ、その高台から大阪平野、大阪の街並みを眺めて、神武東征軍が船を着けたのはこのあたりであったであろうことが実感され、感動を覚えました。
紀元2700年は西暦2040年です。あと20年、その頃、そのようなことはほとんど無視されるような社会になっているのだろうか、それとも、わが国土の歴史をあらためて振り返る意義ある機会とされるような社会になっているのか・・・・自分は、多分そのころにはこの世にいないでしょうが・・・・ (椿本祐弘)
それにしても、天変地異と歴史を関連付けた研究はなされているのでしょうね。きっと、素晴らしい本があるのでしょうが、読書量が少ないので知りません。
まさか、神武天皇と太陽の爆発が関係あるとは、正に日ののぼる国のことだけはありますね。