日本を率いるべきである政・官・財・マスメディアなどの偉いさん達の劣化はどんどん酷くなっているのじゃないでしょうか。
特に、政治家の劣化は目も当てられません。戦前も酷かったと言われていますが、流石に今の政治家程は劣化していなかったようです。
それは、国を愛する心があったからではないでしょうか。戦後は自虐史観教育によりそれも無くなったのが劣化を酷くしたのじゃないでしょうか。
とは言え、教育だけというより「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」が紛れ込んだことが一番の原因かもしれません。
これは、ネットでねずさん達が教えてくれて明らかになってきたと言っても過言ではないでしょう。もし、ネットが無ければ今の日本はもっと劣化していたことは間違いないでしょう。
そんなねずさんが、「政治は、日本人の日本人による日本人のための政治であるべき」と書いてくれています。
何時ものようにリンク元で全文を読んでください。
ねずさんのひとりごとより 2020/5/23
信(まこ と)を交わせる人材を
・・・略
コロナの問題にしても、政府や行政が行った自粛は、「命令」ではなく「要請」です。
要請である以上、従う従わないは、個々の判断に基づきます。
ただし、そこには自己責任が伴います。
仮に自分の店から、あるいは自分から感染者を出してしまった場合、それについて責任を取ることができるか。
瞬時にしてこのような考え方ができるから、多くの日本人は、黙って自粛要請に従ったり、あるいはマスクを着用したり、限定的 な営業をしたのです。
これに対し、ただ政府の対応を批判するだけに終始した野党や、地方行政の長などは、ただ文句を言っているだけで、そこに何の 責任も負おうとしていません。
責任を負わないなら、本来は発言権もないのです。
何の責任も負おうとしないで、ただやみくもに騒ぎ立てることを、「栲衾(たくぶすま)」と言います。
「衾(ふすま)」というのは、もともとは布団を意味したし、いまでは、障子と同じ間仕切りのフスマのことを言いますが、布団 はかけたり、敷いたりするものであり、フスマは、開けシメするものです。叩くものではありません。
つまり「栲衾」というのは、意味のない行動や発言を繰り返す人や組織や国などの枕詞です。
とてもじゃないけれど、そのような「栲衾」たちと「信(まこと)」を交わすことなどできません。
そして「信(まこと)」を交わすことが出来ない人たちというのは、本来、国民生活に影響を及ぼす政治や行政の場にいるべき人 たちではありません。
江戸時代に寺子屋で使われていた教科書に「童子教」というものがあります。
そこには、「悪しき弟子を養わば、師弟ともに地獄に堕ちるべし」と書かれています。
このことは、悪しき者、信を交わせない者が政治や行政を行うならば、その国も県や市町村も、まさに地獄に堕ちてしまうことを 意味します。
その人達が地獄に勝手に堕ちて行くのは仕方がないけれど、巻き添えになる庶民は、たまったものではありません。
政治の正常化は、まずは人の正常化から。
政治は、日本人の日本人による日本人のための政治であるべきです。
やはり、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達を一掃することこそが日本再生の為にやるべきことであるのは間違いないでしょう。
果たして、お人好しの日本人に出来るでしょうか。とは言え、やら無ければ遣られるのです。