能と言えばあの能面の怪しさなど、どこかしら引かれるものがあります。木の彫刻にも引かれるので能面を打ってみたいなんてことも思ってたこともあります。
一度だけ、何を血迷ったのか単身赴任時代に家族を呼び寄せて大阪城の薪能を見に行ったこともありました。全く素養がなかったので雰囲気だけを楽しんで終わりでした。
その能が武家の教育としての役割があったことをねずさんが教えてくれています。なる程、そんな意味があったとは全く知りませんでした。どうりで長く続いたはずです。
やはり、先人は只ものではないですね。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんのひとりごとより 2020/5/21
武家文化 としてのお能について
・・・略
けれど実際にはお能は、武家が愛した武家文化です。
基本、お能はお城の中で上演されましたが、年に一度、一般庶民にその舞が開放される日には、町人たちが列を為して見に来たと 言われています。
そんな次第で、武士たちは幼い頃からこのお能に親しみ、お能で歌われる謡曲の言葉が、そのまま武家言葉となり、その武家言 葉が能楽とともに全国共通語となることで、実は江戸詰めの武士たちは、他国の武士と普通に会話ができました。
地元言葉では、方言が強くて、言葉が通じなかったのです。
そして武家が愛したということは、実はお能の演劇は、侘び寂び幽玄の世界ではありません。
なるほどそういう一面もありますが、長く教養ある武士たちに愛されたということは、演目のそれぞれに、人として、あるいは武 士としての教えがあり、感動があり、学ぶことがたくさんあったからこそ、お能が武家文化として、長く大切に育まれてきたので す。・・・中略
武士という存在は、決して「侘び寂び幽玄」の存在というだけではありません。
むしろ、リアル社会において、正義を貫き、民衆の模範となって将軍家や殿様に代わって民に知らすを行う、このことを学んだの が、武家におけるお能の存在です。
つまりもっというなら、お能こそが、武家として、あるいは武士としての精神文化を育んだといえるのです。
要するに、お能といえば「侘び寂び幽玄」と決めつけるかのような論調が目立ちますけれど、実はまったくそうではない。
お能は、武家として、あるいは人として、権力を持つ者として、たいせつな心得を、芸能という形で繰り返し武士たちに提示し、 武士道の根幹を決定づけてきた、まさに日本武士道の根幹を示す文化であったのです。
そしてこのお能が、城内で繰り返し上演されることで、藩士一同とともに殿様も、武家としての大切な心得を毎度、再確認してい たのです。・・・中略
日本人といえば、武士道といわれますけれど、武士は日本人のごく一部の人々にすぎません。
けれど、そのほんのひとにぎりの武士が、人として、武士として、何が大切なのかという心得をしっかりと保持していたからこ そ、武家は人々から尊敬を集めました。
そしてその武家文化の中核を為したのが、まさにお能であり、お能で歌われる謡曲であったし、謡曲の言葉が、武家の共通語とも なっていたのです。・・・以下略
それにしても、我が先人は素晴らしい。やはりなんとしても取り戻す必要があります。それにしても、これ程の文化を築き上げて来た先人には頭が下がります。
その文化も僅かな年数で忘れさせる教育とは恐ろしい限りです。やはり、戦後利得者達の跋扈する教育界の改革が急がれます。