明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても、お婆さんを被写体として撮ることになろうとは、まったく想像していなかった。 たまたま休業ということになり、客の邪魔をせずに撮影ができる、と近所のサンダル履きで行ける軍艦島でも撮っておこうぐらいの気持ちであった。 店内で撮っていて、何か寂しいと思ったら、花好きな女将さんが飾る花が活けられていない。私は特に花に興味はないが、潤いに欠けることは判る。それはともかく。そうこうして、店内のディテールを少しづつ撮りためてきた。後はまだ撮っていない防空壕の蓋、常連席の補助板、暖簾を外に出した所。あたりだろうか。女将さんが復帰したなら、グラスに表面張力一杯に注いだアップ、炭酸を二本いっぺんに注ぐところ、チョークでカウンターに逆さ文字で計算するところは是非押さえておかねばならない。もし常連のだれかが出禁になってくれれば、その場面も撮っておきたい。二度と復帰はできないけれども。そういえば、来年定年で郷に帰る人がいるから、ひとつどうだろうか?間違いなく諦めはつくだろう。

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女将さんを撮っていると、表情が豊かなことに改めて驚く。2週間前はぼんやりしていて、なかなかレンズを向けられなかったのだが。そう思うと、周囲を客に囲まれ、それぞれに様々な表情を振りまき対応していたからこその女将さんだったのだな、と気付いた。混んでいて他人同士が肩寄せあっている状態でも、一人一人に別の表情で接するのは中々できることではないだろう。客はその間、女将さんを独占している気分なのではないか。何しろ咄家を撮影したかのような表情の変わり方である。店内の撮影では客の表情を撮らず、空気感が出れば、と考えていたが、それに対応するのが女将さんの表情だと考えてはいたが、ここまでの表情を見せられると、女将さんのキャラクターが重要になってくる。主役不在の間に舞台を撮影していたのだから、主役が帰ってくれば、やはり主役だ。となるのは当然のことであろう。リハビリ期間は当然必要だが、復帰は間違いないと、ファインダーを覗きながら。

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今日女将さんが、たまたまホッピーと炭酸の空き瓶をケースに仕分けたのを見た。そもそも店の中心の、そのポジションに立った所を見ること自体が久しぶりなので、あら?と思う間もなく、無意識にやっているのであろう仕分けのスピードに驚く。女将さんの真似をしてみてオタオタしたので良く判る。ますます陽が昇る日が近いと思ったのだが、そんな技を見せてしまったせいか、一瞬照っただけでお休みの時間。 タウン誌1P。840字ぴったりで入稿したが、966字に増やせとのこと。減るよりは良い。

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一日  


K本の店内は外光のみ、外光プラス電灯光、電灯のみ、とそれぞれ表情が変わり面白い。そこへもってきて、絞りが壊れて解放値専用のレンズを使ってみたら、妙にコクがあり、特に夕日や電灯色の赤みを帯びた描写がどうやらK本に向いているようである。私は縦位置に撮るのが好きで、意識しないと横位置の写真が少なくなってしまう。思い出しては撮っている。 営業再開したとしても、今時は客を撮るのは面倒なことになりそうである。結局顔はできるだけ入れず、空気感重視でいくことにした。しかし女将さんがいなくては画竜点睛を欠く。先日、実に良い表情が撮れた。後は営業再開をして、焼酎を注いでいるところを撮らせてもらえれば良いだろう。

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雑事でバタバタしていて、なかなか某作家に取りかかれず。こんな時、写真は撮れるが人形は作れないことが良く判った。写真撮影と人形制作は使うところがまるで違い、集中の仕方も違う。それを平行にやることが、お互いにとって良い効果を生んでいたのだが。 頭部さえできれば出来たも同然、と作りかけの頭部をポケットに入れ、K本の常連席でまた披露するようになるのはいつになるだろう。もっとも顔は知らなくても名前が知られている人物ならともかく、作ろうとしている作家は、どう?と見せられても、見せられた方が困るような作家なので披露はしないだろう。 この作家の生家跡は、ちゃんと図書館の明治時代の地図を調べるべきだが、友人に古地図ソフトで調べてもらった限りでは、K本のごく近所の現在産科クリニックのある場所のようである。行ってみたところで、何も参考になることはないと判ってはいるが、せっかく近所なのだから、とカメラを手に行ってみた。 通りがかりの中年女性と目が合う。確かに。炎天の下、カメラを持って産科クリニックの周りをうろつく、堅気には見えない男。とっとと退散したのであった。

※K本は空き瓶で勘定をする都合もあり、“中だけ”というのが面倒で、ついに廃止になった時の画像。そもそもそこらのホッピーよりキンミヤの含有量が多く。他店の要領で中だけといって腰抜かす客多数。「中だけいうな。うちのは焼酎だよ。」女将談。

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K本  


某タウン誌にK本のことを何回か連載することになった。約30年通っているので、勝手なことなら書けるかもしれない。写真に関しては正式にお願いして、休業中を利用して撮影している。 現在は昔と違って、客が一杯の酒場など撮れないだろう。色々面倒になりそうである。近頃は犯人の手錠にまでボカシを入れる始末である。あれはロス疑惑の三浦さんからだと聞いた。 河本は入り口に休業中の貼り紙を貼ってカーテンを締め切っているのだが、読めない人が入って来てしまうと聞いた。この辺でも中国の観光客などが大勢で押しかけ、トラブルになっているのを見かける。 様々な言葉で貼り紙を作る訳にもいかず、あんちゃんの血圧上がりっばなしである。

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モッコが人間みたいな座り方をするのを見て、他にもこんなのがいたな。と思い出した。あんちゃんに聞いたら兄妹らしい。そういえば小さい頃3匹がかたまっていた。神経質なモッコは私には写真を撮らせてくれる。いずれ触れることもできるのではないかと思ったり。 頑固爺さんの泣きっ面を作りたくて、内田百間の『ノラや』を作ってみようと思ったことがある。特別出演夏目漱石なんてことも考えた。実物の猫を使って愛猫に出て行かれて泣き濡れる内田百間。ノラはモッコみたいな猫ではなかったか。 呼べばこちらを見てくれるしお年寄りだが可愛い。 小学生の低学年の時に『ジャングルブック』を読んだ。動物が人間の目を怖がるというような話があったような気がする。動物園に行くたび、ライオンの檻の前でライオンにガンつけて実験したものである。ライオンが先にそらすことはあったが、実際は子供など相手にしていられない、というところであったろう。  田村写真にてオイルプリントワークショップ。お二人参加。田村写真にはゼラチン紙が用意されているので、他の写真とまったく趣が違う、オイルプリントの面白いところをいきなり味わうことができる。この面白さを伝えていきたい。デジタルと、時にブラシの毛だらけになってしまう超アナログ技法。対極ゆえに相性が良い、というのが私の考えである。

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河童撮影用に入手したレンズ。妖しい描写のおかげでデジタル臭がしない。 本日もモッコがでてきた、というので真寿美さんとモッコのツーショット。人間みたいな座り方。モッコは近づいても逃げず、撮らせてくれているのだ判る。呼べばこちらを見るし、シャッターを切ると、次にはあくびをする。厨房のあんちゃんは「こんなの初めて。」モッコをこれだけ撮れたということは真寿美さんも撮れるということを意味する。と思った。 すると真寿美さん登場。先日よりさらに元気に見える。復帰も近いか、と期待するところだが、あんちゃんの目の調子が悪く、包丁も使いづらいようである。気長に待つしかない。

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本日は今まで撮ったカットの補強。しばらく撮っていると、真寿美さんの声。先日撮影した猫のモッコが真寿美さんのベッドにいるとのこと。あまりの出来事におたおたしながら2カット。 先日は食欲がないというので心配だったが、真寿美さん元気がでてきたようである。降りてきてもらうと、歩いてみようと店内を往復。顔もあきらかにふっくらしている。私とMさんとで真寿美さんを独占。その間、あんちゃんが食べやすくした食事を少しづつだか、ずっと食べつづけている。これは再開に向けて希望がでてきた。河本の太陽真寿美さんは、そこで照っていてくれさえすれば良い。河本ファンにとってはそんな存在であろう。今日も暑い。何しろ休業中である。冷房もないのに締め切っている。私は太陽をずっとウチワで扇ぎつづけた。


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天井に貼り付けられている3つの食品用トレイ。そこから斜めに延びる割り箸2本。トレイで受け止めた雨水が割り箸を伝い、下で待ち構えるは豆腐の容器。そして店外に排出されるというシステムである。実利のみを追求したら面白くなってしまった。雨でも降っていればともかく、2本の割り箸がいわくありげである。友人に聞いた話だが、金沢だったか、旧家である父親の実家の天井には、真ん中ではなく中途半端な位置に、紙製の袋のようなものが貼り付けてあり、絶対に開けてはならない、といい伝えられていると聞いてことがある。 もう一つ。正面から撮影したので良くわからないだろうが、10センチほど奥行きがある。ブラウン管型テレビのわりに薄型である。画面の中、焼酎の下には“どうしてかなー300円”と書いてある。経営者側の、ちょっとしたつぶやき、といったところであろうか。 普通に客が席から見られるようなところはすべて撮影した。後は女将の真寿美さんの聖域である。真ん中のスペースからでないと見られない部分を、鬼の居ぬまに、なんとやらといきたい。 残念なのは、以前覗いたことがある、床下の防空壕は金具が打ち付けられ開けることができないことである。カウンターのしたを通って2m程であろうか。それでも何かを封じ込めたように見える壕の蓋は撮っておこう。

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ビールを注文する客に、「うちはホッピー屋だよ。」という真寿美さんだが、ホッピー発売当時から扱っている河本は、東京でもっともホッピーを消費する店だと聞いたことがある。関西圏ではなじみがないらしいので、当然日本一ということになる。もっとも今は大きな居酒屋があるし、総量なのか、一時期なのかは判らない。 何代目の栓抜きだろう。真寿美さん愛用の栓抜きを眺めていると、小学生のお手伝い時代から現在まで、最も栓を抜いた女性として、ギネスに申請できるのではないかと思ったりして。  酎ハイの場合、真寿美さんに注いでもらうのは最初の一杯だけなのだが、私がそうと知ったときには、すでに20年以上過ぎていた。どういうわけか、真寿美さんも断るきっかけを逸したようである。そうなると、私はもっとも真寿美さんに注いでもらった客、ということになりそうである。当然以後遠慮したのだが、口に出して断ったわけでなく、注いでもらうとき、あっと思わず3センチほどグラスを引いた。そして黙ったまま二人して照れ笑いをし、“特別待遇”は終わった。

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河本店内のディテールはおおよそ撮れた。来週は防空壕といきたい。長年床下で、客の与太話を黙って聞き続けてきた穴である。 普段何気なく眺めているだけなので、家で改めてデータを現像してみて、そのカオスぶりに呆れ、いや感心してしまった。カオス部分担当はあんちゃんである。(私は30年通おうと、他の方々のようにあんちゃんとは呼べない。谷啓がハナ肇をハナちゃんと呼べなかったように。)部位によっては気付いた人を笑わそうとしているかのようでもある。なのに店内が落ち着くのは、長年のタバコや練炭や煮込みや、ここが肝腎。お客の念で、すべてがコーティングされているからであろう。 昔、同じような店を、郷に帰って再現しようと採寸していった人がいたらしいが、その後どうなったかは知らない。コーティング部分が重要なので採寸したところで無駄であったろう。骨董品なら土に埋めたり何かに漬けておいたり、と方法はあるのだろうが。それにしたってまがい物には違いない。  通いだした頃、開店の4時にでかけ、二言三言、真寿美さんを独占し、他の客が入ってくると藤竜也調で、黙って一時間ほどで帰っていた。当時は長っ尻は格好が悪いと思っていたし、近所の人と飲んだって住みにくくなるだけ。と思っていた。4キロ四方誰も住んでいない廃村で、先輩二人と焼き物をやっていた時は、ふもとでは赤軍ではないか、と噂されていたそうだし、街中に住めば夜中中灯りが点いている。と怪しまれる。その分愛想良くしているのは疲れるものである。それが今では長っ尻になり、常連に大事な作品に登場してもらい、公私共々お世話になる始末である。酒場とはなんぞや。と撮りながら。

 ※7月25日田村写真にてオイルプリントワークショップ

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河本の壁に貼ってある吉田類さんの『酒場漂流記』のポスターから第一回は河本だった、という話になった。BSが観られないので観ていないが、その日もいた。常連でテレビに映りたいなんて人は誰もいなかったので、その日は顔を出さなかったり裏の調理場に引っ込んだり、私のように終わるまで他所の店で飲んでいたり。結局常連席には見たことのないような客がならんでいたそうである。どうやって撮影を嗅ぎ付けるのであろうか。 河元の撮影には、『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)の河童を撮影するため入手した、古いスクリューマウントの、いずれも描写が怪しいレンズで挑んでいる。河童を背景に合成するには、レンズのボケ味が妨げとなり、思ったようには使えなかった。今回はさらに、河童にさえ使わなかった50mmレンズを引っ張りだした。絞ればシャープ。だが開放ではピントの外れた所の破綻がはなはだしい。だがしかし、ここは酩酊するため人々が集う場所である。文化遺産(ある意味ではそうだが)を記録するわけではない。レンズも酩酊調でいいのではないか。記録というより河本に漂う酩酊者の念のようなものが写っていれば、と思った。 本日も河本の太陽の御尊顔を拝すること叶わず。※申し訳ありませんが只今メールは携帯のみとなっております。



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河本通常再開を願い、それまでなんとか、と日々支え続ける人達。つまみは豆腐半丁だけ、だったりする。しかもすべてセルフサービス。勘定や後片付けまでも。心配している河本ファンが多いに違いないが、これでは客として訪れるのは今のところ物理的に難しいであろう。 河本の店内には様々な物が貼り付けられぶら下がっている。土産物の各地の提灯も壮観だが、吊られた目玉の親父やハリセンボン。ウルトラマンやヒーロー物のフィギュアは真寿美さんの趣味らしい。下校途中の小学生がガラス戸越しにワイワイいうのは当然であろう。しかし改めて、細部のディテールにレンズを向けてみて、店内に溢れるユーモアを演出しているのはあんちゃんであることを改めて実感した。有る物を工夫し、何でも修理し作ってしまう。 私は人知れず、一人工作する男にツンとくるところがある。友人の家で見た、たんに井桁に積まれたマッチ棒でさえも。それが日曜大工好きの父のイメージであった、と生前一緒に行った日曜大工センターで気づいたとき、亡くなって数年。葬式でも泣かなかったのに涙か止まらなかった。 あんちゃん命名のメニュー。『アジスアベバ』『こんちくしょう』『ライスたっぷりカレイ』。



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とりあえず女将の真寿美さんのご機嫌うかがいのついでに、軽く河本を撮らせていただいている。どんな画角の、どんなレンズが合うのか小手調べ、というところである。その間も、お休みの貼り紙があっても、中から声がすれば覗く人がいる。期待して来たのだろうから可哀想ではあるが、対応するのが常連とはいえ、たかが客なのであるから、馴染みのない客は断ることになる。そこへ猫のもっこが餌食べてる。の声。厨房の奥をみると、高いところで食べている。生まれたころ兄弟3匹で丸まっていたものだか、今ではどうどうたる老猫である。こんな姿はなかなか撮れない。逃げないので6カット。いずれ、客が何も知らずに座っているあの席の床下の防空壕を撮らせてもらおう。私は一度だけ見せてもらった。客の与太話を黙って聞き続けたポッカリ空いた穴である。さっきのもっこを見よう、と思ったらノーカードの表示。やってしまった。二度目である。一度目はフイルムであったが、やはり河本。今古亭志ん生演ずる『火焔太鼓』の甚兵衛さんが、殿様に太鼓をとどける途中で呑んでしまっている。ガラケーで書いているのでリンクのしかたが判らず。トップの『中央公論アダージョ』内に。 あの時は撮影が終わって気がついた。そういえば、随分撮った気はしていた。こうなれば悔しいので、あの時撮れなくても良かった、というもっこを撮らなければならない。今日は河本の太陽、真寿美さんはお隠れになったままであった。



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