明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



連載“常連席にて日が暮れる”第二回は『出禁』。人間いくらでもやり直しができる。というが、そうは行かないのが河本の出入り禁止である。女将さんに宣せられたならばアウトであり救済の余地はない。私はほぼ30年通ったが、はしゃぎ過ぎたOLが同僚の男性社員に伴われ、菓子折もって謝りに来て、渋々受け取ったのを目撃したことがあったが、二度と現れなかった。この出禁の厳格さを一番知っているのが常連である。であるから、河本では正気を保ち、泥酔するのは2軒目から、という人か多い。よって近所には、トイレを借りる客に「河本のションベンうちに持ってきやがって」。とボヤく店主もいる。 深川の連載がいつまで続くか判らないが、今のところスペースがなく、写真が大きく紹介できないのが残念だが、駄文よりもむしろ写真を載せたいところである。玄関脇のアンタッチャブルな一隅を片付けていたら小学校の卒業文集がでてきたが、文章のテイストが今とあまり変わらず呆れた。通知表もでてきたが、先生の評を読むと、現在の私を評しているようにしか思えず。 他に私が人形制作を志すとは思っていない頃の人形作品の写真。友人に撮ってもらった。前田日明、ジョー・フレイジャーのサイン。日本タバコ産業て作ったB全の駅張りポスター。昔の私の作品はタバコをよくくわえていた。柳ジョージのプロモーションビデオ。黒澤映画の『乱』だったか、炎上シーンを撮ったスタジオで撮影した。当然VHS。要変換。

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昨晩撮影した河本の外観。暖簾も加わり、河本に通い続けた人にとれば、目に馴染んだ風景になっただろう。何度も見てしまうのでデスクトップに設定。 しばらく休業が決まった時、河本自体を撮らせてもらうことにした。お客には迷惑かけずに撮影ができる。しかし女将さんが帰ってくると、やはりこの笑顔があってこそ。となった。近頃は、肖像権だ個人情報だと、昔のように、酒場など気軽に撮ることはできないが、女将さんの表情が肝腎なので客の顔はできるだけカットしていた。しかし先日、女将さんや河本を心配してのことではあるが、いいオヤジが熱くなってしまった。女性の常連Hさんが「みんな十歳なのよ」と。日頃仕事で子供と対しているから実感がこもっている。女将さんを皆で心配し、いたわっているつもりでいたが、ファインダーの中の屈託のない客の笑顔をみると、むしろ女将さんに十歳にさせられていることに気づいた。 となると私が撮ってるのは、女将さんと、十歳になれる機会と場所を失いたくない良い大人ということになるのかもしれない。 以前、三島を制作した時、どこでも血だらけにする方法を考えたが、今回は誰だかは判らないが、十歳の笑顔であることは判るように術を施している。

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暖簾  


夜になると野暮な街路灯に照らされる河本だが、ここ2年くらいだろうか。店内の蛍光灯が昼光色に変わった。外から見ると赤々と温かく良くなった。私は昔から蛍光灯が寒々と感じ、引っ越しすると、真っ先に電球に変えるのが常であった。 夜の外観を撮る。休業する大分前から暖簾を出さなくなっていた。ネットでしばしば言われるように、店だか民家だか判らない。久しぶりに暖簾を掲げてみることにした。 私が通いだして、この暖簾で何代目であろうか。横に大きく河本、と書かれていたこともあれば、その字がアップリケのように縫い付けられていたり、小錦の特大パンツのような時もあった。そのほとんどが、厨房担当のあんちゃんの手作りであろう。そして出されることのない現在の暖簾はというと、出されなくなった理由の一つかもしれないが、劣化が甚だしい。日焼けにより、かつて紺色であった下地は薄い灰色がかった茶色と化し、判別困難な河本の部分は破けてガムテープで補修されている。撮影中に、営業していると勘違いされても困る。人通りの少なくなった頃、暖簾の片付けを担当していたTさんにお願いして、撮影中待機してもらうことにした。といっても数カットで終了した。どうしても信号機が入るが、色味的に赤信号を選ぶことになる。そういえば学生の頃、赤提灯だと思って向かったら、道路工事してた、ということが何度かあった。 チェックすると、やはり暖簾がある方が画になるのは当然のことである。一日も早い再開が待たれる。

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デジタルの風景写真を見ていて、なんだか化学調味料過多の料理のような、気持ち悪さを感じる。修正し過ぎもあろうが、その写りにも原因があるのだろう。 その点私の場合、主に195、60年代の、真面目に良いレンズを開発しようとしながら目標に届かず的なレンズ、もしくは初めから目標などないようなレンズを使っているせいで、デジタル臭さ云々にまで至ることはない。そもそもは作者の泉鏡花がベトベトしていて生臭いと書いた河童を撮るために入手したレンズであったが、この河童、普段は90センチで小さくなる分には、いくらでもサイズを変えられる。実際の人形のサイズを利用して、草むらや海岸で撮影したが、物語を描くには合成を多用することになり、レンズの癖のあるボケがさまたげとなり、ほとんど使わすじまいであった。その妖怪用レンズを河本の撮影に使用している。もっとも、見た目80なのに来年二十歳だとか、300年生きるといいはる被写体にはちょうど良いようである。

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一日  


『タウン誌深川』編集部は窓から見える。原稿と写真データ、『日影丈吉と雑誌宝石の作家たち』のチラシを持って行く。明治時代すぐ近く、木場で生まれた作家だといっても、誰も知らない。実は私も日影自体は知っていたけれども、こんな近くに生まれていたとは知らなかった。家は魚屋だったそうである。作っている時は考えなかったが、当然下町のナマリ丸出しだったであろう。古い人は木場を牙と同じ発音をする。 次号の特集を聞くとお酉さまだという。それを知っていたら、出禁についてではなく、K本のお酉さま風景を書いたのだが。一般客が帰った後、常連が女将さんを先頭に長く連なり富岡八幡まで。私などは恒例行事など花見くらいなので、一年の区切りになっている。K本の出禁など日常的なものなので、何も今回書かなくても良かった。

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乾燥  


日影丈吉は大きめである。どうも作家シリーズ当初のサイズでは限界のようで、今後、サイズが大きくなっていくかもしれない。乾燥に入る。粘土の乾燥には熱だけでなく風が必要である。乾燥機使うには涼しくなったので助かる。久しぶりに江戸川乱歩のベレー帽を作った。 K本の撮影は、各パーツ、シチュエーションに分けて保存しているが、外観を撮ったカットが少ない。理由は通りの向かいに数年前立てられた街灯である。夜間は常に野暮臭い灯りに照らされており、おかげでK本の暗くポツンとしたところに店内の灯りがもれる。というかつての風情がなくなってしまった。これはなんとかしなくてはならない。ついでに、現在かけられることのない暖簾も、ちゃんとかけて再現するつもりである。


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日影丈吉身体の制作に入る。進行が早いつもりでいたが、そうでもない。写真資料が少なければ少ないでかまわないが、長年にわたる面相の変化の中から、想定した年代を、どう解釈して作るかが難しかった。 酒場K本の撮影は、今の段階で撮れる物は撮れている気がする。小休止。あとは煮込みで知られる店であるから、煮込みの鍋の復活が待たれる。それに店の3分の1は電灯が灯ることもなく、どんどん霞んでいっている気がする。電灯が当たり、人が立ったり座ったり振動を与え、焼酎がこぼれたりタバコの煙が煙ったりが必要なのであろう。気になって薄暗いあたりを眺めるのだが、どうしても霞んでいるように見えるのである。 “K本のすべて”を撮るつもりで、主のいない店内から撮影を始めたが、結局女将さんの表情が主役ということになりそうである。データをチェックしていると、まさに花咲か婆さんである。いちどあの薄暗い席に座ってもらえば良いのかもしれない。

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今の段階で撮れる物は撮った。最初は女将さん不在で店だけを撮っていたが、今では表情豊かな女将さんのカットが店を追い越す勢いで増えた。あとは再開を待つことにしよう、と思い始めていたのでカメラを持たずに家を出たが、日影丈吉の首を皆に見せようと戻った。玄関に置いていたカメラをつい手にした。 常連は店の再開を願い、女将さんのリハビリをお手伝いしている。営業中は有り得なかったが、好き嫌いの多い女将さんは、皆がいるほうが食欲がわくようで、皆が見ているところで夕食をとる。女将さんの夕食姿を肴にホッピーや酎ハイが飲めるようでないと、今の状態ではここに居られないだろう。 ここで女将さん、食後に喉を潤そうと思ったのか「ホッピー飲んじゃおうかなー」。大好きな酒粕でも酔ってしまう女将さんのいつもの冗談かと思ったら、焼酎の入っていないホッピーをチビリ。ホッピーの名店の80歳の女将が、はじめてホッピーを飲む姿を3カット撮ることに成功した。案の定、美味しそうな顔にはならなかったが。


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先日は女将さんが、二升五合のキンミヤ焼酎とポーズをとっている所を撮影してしまった。いやはや。K本の愛猫モッコを撮った時、神経質なはずが逃げもしないでレンズを見る。シャッター切ったら次にアクビをして見せた。厨房担当のあんちゃん曰く「こんなの初めて」。それを耳にしたとき、女将さんも撮れると確信した。“将を射んと欲すれば、まず猫を射よ”というわけである。 人形制作と写真撮影は使う部分が違う。なので同時に進めると気分転換になり調子が良い。制作中の作家はK本と目と鼻の場所で明治時代に生まれ、平成になって亡くなっている。つまり亡くなったのはそれほど昔ではないのだが、ネットで画像検索してもほとんど出てこない。完成後、展示収蔵予定の文学館に雑誌に掲載されたカット、ご遺族からお借りしたプライベート写真をコピーしてもらった。どうやら写真が苦手な人物らしく、家族旅行の写真でもムスッとしている。肖像写真には、人にこう見られたい、という部分が出るものである。ならば、と。思いっきり乗っかって、くわえ煙草の苦味走った昔のドラマの事件記者みたいな方向で行こうと考えている。

※タウン誌深川 『常連席にて日が暮れる』連載第一回 或る酒場 発行。

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キンミヤ焼酎の専務が二升五合の祝80歳。女将さんの名前入りの焼酎を持って現れる。昔酒屋の奥に埃をかぶって飾っていたような特大瓶である。女将さんに抱えてもらって記念撮影。あと挨拶に来るとしたら某ビバレッジであろう。 それにしても女将さんの表情の変化がめまぐるしく、なかなかついていけない。この調子だと営業再開は早まるかもしれない。動きに関していえば、休業前と遜色ないように見える。あと肝心なのは、一部で◯大煮込みと呼ばれているらしい煮込みの再開であろう。 また再開したとしても注文時、耳の遠い女将さんと目が合うまで待てるくらいの客でないとならないだろう。

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一日  


女将さんに焼酎を注いでもらうと焼酎グラスが表面張力で膨らんだ状態までためてからジョッキに注いでくれる。これは素人がやろうとすると、こぼすことを恐れて上手くいかない。私は陶芸家を目指していたころ、様々なものをこぼさないようしていたせいか、上手く注げる方である。しかし女将さんは目が悪い。なのに何故あの芸当が可能なのか。ひょっとしたら、焼酎に当たる光たけを照準にしているのではないか。店内の電灯がまだ点かない時刻。手元は暗く焼酎の表面はみえない状態で注いだことがある。焼酎にあたる光の形によって、張力で膨らむほど入ったかどうか判った。対象部分に光が2点あることによって、グラスが水平を保っているかどうかも判断できた。ということかもしれない。いずれにしてもこの見事な手技をようやく撮影できた。さらに炭酸二本を同時に注ぐ姿も撮影。データを現像してみたら、背後で嬉しそうに拍手している人がいた。よくここまで回復された、と私も同様の気持ちである。ただそれも時間的にはまだ短く、満杯のお客を相手するには、まだ当分かかるだろう。もともと写真嫌いな女将さん。当初レンズを向けるとけげんな顔をしていたが、ここの所はまったく意識しない、良い表情が撮れている。写真の主役は被写体であろう、と改めて。

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ホッピーのジョッキがスゥインググラスのように揺れているのを見た。揺れている間に2カット撮ったし、隣のTさんも観ていた。こんな座りの良いものが、と底を見たが、ただまっ平ら。酔っぱらいにとっては不思議がるようなことではないのだろうか? 400カット弱の調整をおおよそ済ませる。K本の照明は長年普通の蛍光灯であったが、突然電球色の蛍光灯に変わった。まだ一年経っていないだろう。店外から見ても、その赤味を帯びた光はほっとさせてくれたものである。おかげで早い時間の外光だけ、そこに店内の灯りが混ざり、最後は店内の灯りだけ。という各種の雰囲気が撮れたことはラッキーであった。メリハリも付く。撮影開始直後には、常連席のカウンターに、女将さんが立ち上がるのに良いだろうと、真新しい白木の、昔でいう“踏ん張り棒”が設置されたし。古色を帯びたカウンターに、あれは今後も白いままであろう。今のところ、あれにつかまった女将さんを見たことはないが。

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店に絡みついているムカゴはこの日照りで、葉はすでに黄色く変色して大きくはならないそうである。よって葉の陰にあるものがかろうじて。

お盆休みといっても特に。地元の祭りくらいである。

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古いレンズとはいえ、ピントを外したカットがあるな、と思っていたら視度調節が狂っていたのに気づいていなかった。 大正時代のコダックの単玉レンズの絞りを全開にして、ソフトフォーカスレンズ化したべス単。これが性能がよく、絞っても使えることを遅ればせながら知った。しかしK本にべス単ではあまりにノスタルジックに過ぎる、と思っていたが、視度調節をしたこともあり使ってみたら、特に過ぎることもなく、詳細に写したくない客を、とろけさせることができ、こんな使い道があったとは。 そんな時、女将さんが突然、あるアクションを始め、しかたなくべス単を向ける。身体に染み付いたよどみのない動きが実にスムース。帰宅後データを現像。撮り始めの頃の女将さんのカットを次々削除。改めて見るとここ数日と表情がまるで違う。

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豊かな表情を客に向ける女将さんだが、それとは一味違う表情を1カットものにした。毅然としていて重味がある。ただ飲みに来ていると、気がつかない表情である。こんなカットが撮れてしまうと、方針が微妙に変わって来てしまうが、それはそれである。撮れずに変わらないよりよほど良い。 こうなったら後はアイドルの写真でも撮るつもりで81歳になる女将さんを撮っていればいいのではないか?昨日カウンターのそこここにあった花がない、と書いたが、誰かが持ってきた豆っぽい草が置かれていた。 タウン誌には現在休業中と後書きにでも入れてもらうことにした。

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