明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私がめったに女性像を作らない理由は女性の場合、その存在自体に笑える要素がないからだと書いたことがある。 只今制作中の荷風を座らせる、小さな畳を汚すことを今から楽しみにしている。七論も汚したいわけだが、これも男の荷風だからいいのであって、たとえば女流作家の○○○などをこの調子で作って、はたして人様の前に披露するようなものができるであろうか。おそらく笑えないであろう。いや、私は人を笑わすために作っているわけではないが、生きてるだけで、幾分かの可笑し味を含んだ人というものを小さく作る。それ自体が変なことだが、それを作っている私自体がすでに可笑しいわけで、できた作品が可笑しくて当然であり、笑ってもらって良いわけである。 夕闇迫る隅田川を、遠い目をして荷風が眺めているから味があるのであって、○○○だったら、ただ心配であり、画にはならない。 存在自体に笑えるところが無いから、女なんて作る気がしないのだと、仮に女性の前でいっても、あまり怒られそうにないところも、なかなか良い理由である。

過去の雑記
HOME

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )