明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


最近、朝T屋に行くと、かみさんや運送会社のKさんに、まだ頭作ってるの?といわれる。もうできたよ。後は仕上げだけ。と何度もいっているからである。実際、完成していたはずだが、モヤモヤしたものが取れずにいた。昨日、返却しなければならない写真帖の、坪内逍遥の解説を改めて読んでいて、モヤモヤの原因は、やはりこの一文だと気付いた。なにしろ、写真を参考にするしか方法はないのに、そこに肝心な物が写っていないというのである。確かに、当時Dについて書かれた物を読んでも、写真の中のDとはイメージが違う。写真嫌いだというので意識的にそうしているのか、または、ニジンスキーが舞台上でジャンプした写真が残っていないように、当時の写真感材の感度が低いゆえの、長時間露光の問題もあるのか。はたして“あの表情は”長い時間は無理と、三代後の御子孫から間接的に伺った。 それならば私が作ろう。もう1人の私が止めるのも聞かず、たった一晩で表情が一変。スリル満点である。  本日目が覚め、恐々首を手に取る。確かに写真とは違うDになっていた。T屋で毎朝のように顔を合わす運送会社のKさんや、タクシー運転手のTさんには、すでに二、三回首を見せているが、今日は余りの変化に唖然とさせることができた。この愛すべき酔っ払い連に“よくできてる”などといわれているようでは、私は駄目であろう。  帰りにマンションのエレベーター脇の壁に貼り付けてある鏡を見たら、髭の中に白髪が2本。昨日は無かったはずなのだが。

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