明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



御茶ノ水で材料を買ったついでに、古いギターから抜けたストラップピンとストラップを買う。ストラップはどうしても革製の昔ながらのタイプを選んでしまうが、今回は黒ではなくキャメルカラーを選んだ。 Kさんの運送会社の若い後輩で、Kさんに向かって“荷物運んでた人がお荷物になってどうする!”とKさんの墓碑銘にしたいような名台詞を吐いたSさんだが、最近エレキギターを8本持っていることを知った。中には100万円の物もあるという。私も本数は同じく8本であるが、こちらはカワイだビクターだグヤトーンだ、といわゆる古いビザールな物がほとんどで、まともといえば、実はまともではない70年代のグレコの成毛滋モデルという有様である。 彼はギターの材にこだわり、合板ばかりのギターを所有する私に対し(中にはラワン材という今では考えられない物も含む)合板は合板の音しかしない、とぬかすのである。だが聞いてみると、100万のギターは飾っているだけのようであるし、指先にはギターを弾いている痕跡がない。どうも私と同じ匂いがする。つまり、好きなくせに上達することなく死んでいくであろう男の匂いである。これは友として語るに足る男なのではないか? ギターと友といえば、昨日久しぶりに、夜勤明けだという高校時代の友人から電話があった。彼は精神科の医者で20本近く所有している。とくに凄いのは自作のダブルネックのギターで、ボディにはカタシロつまりヒトガタが埋め込まれている。あまりなことに、なんでそんなことをする!と聞けなかった。 彼は高校時代から周りの空気が読めないこと甚だしく、彼が入ってくるとシラケるのでシラケの○○と呼ばれていた。しかしその代わりに、まさにその代わりに、患者とは波長が合い、担当患者の自殺率の低さは圧倒的らしい。さすが私の自慢の友である。

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