地元の『タウン誌深川』の最新号で、51歳で、私よりずっと若くして亡くなった松尾芭蕉を、どいつもこいつもいい加減なジジイ扱いして、門弟が師匠はこういう人だった、と肖像を描き残しているのに無視して何処の馬の骨か判らない芭蕉像を乱造して、ということを書いた。一説には全国に2千体はあるという。地元深川にもあるが、これから2400キロの旅に出るというのにすでに軒下にへたり込んでいたり、顔もまちまちである。実在した人物に対するリスペクトがまったく感じられない。銅像など腐りもせずそこに居続ける訳である。なんでそのような加減なことが平気でやれるのか?私はその人物に見せて恥ずかしくないよう。さらに常にウケることに心を砕いて来たのだが。それに引き換え、先日書いた鏑木清方の肖像に対する考えなど、じつに真摯であり、うたれた。 私は以後、頭部をすでに作ってある人物を別にすれば、依頼されない限りは実在した人物を作ることはないだろう。つまりもう人物について調べ、思いを馳せ、気を使うことから開放されることを意味する。もっとも小学生の時から、好物だったのは人物伝、評伝の類いであったし、興味の対象は人間だけ、といっていいくらいなので、興味が薄れることはないだろうけれども。
※『拝啓つげ義春様』
(後期)21017年10月21日(土)~11月5日(日)『ゲンセンカン主人』展示
ビリケンギャラリー
住所:〒107-0062 東京都港区南青山5-17-6-101
TEL:03-3400-2214
営業時間:12:00 ~19:00(月曜休)
ホームページ:http://www.billiken-shokai.co.jp/
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」
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