明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午前中から午後にかけて、区役所その他数ヵ所かまわり、なかなかてこずって、私の小津安二郎像がある古石場文化センターへ。舞踏評論家の鈴木晶先生とお会いする予定だったのだが、間に合えば、開講中の講座を拝聴させていただけるはずが、かなわなかった。センターの応接室で、最近調べているという、意外なテーマについて興味深く伺った。 2002年に、今はなき渋谷の画廊美蕾樹で、コクトー、ニジンスキー、ディアギレフによる個展をやったのは、前年に一度、パリオペラ座のダンサーの『薔薇の精』を見たことに始まる。リハーサルから観ることができたが、どう見ても中身は女性の筋肉モリモリの男が薔薇の花びらを身体にまとい跳び跳ねている。初めて見る異様な、しかし何とも不思議な世界に驚いた。終演後、コクトーの人形を持って楽屋で撮影させてもらった。彼は後にエトワールになった。この時、マニュエル・ルグリとすれ違い、私の肘がルグリにかすり、その話をしては、バレエ女子を羨ましがらせた。 そしてオリジナルのダンサー、ニジンスキーとは何ぞや、と鈴木先生の書かれた伝記を読んで、翌年個展を開いてしまった。しかもご丁寧にもオイルプリントによるという、重々の暴挙といってよいだろう。ニコラ・バタイユ(仏演出家)のブラボーの文字は芳名帳に今も残る。 幼い転がら伝記の類いを読み続けている私も、こんなに熱に浮かされることはなかった。また、そこに使われていたニジンスキーのポートレイトは何とも言い様のないものを放っていて、後に似たような感銘を受けたのは、九代目市川團十郎くらいであろう。そういえば、コロタイブ印刷による写真集『舞台の團十郎』を江東区から特別に借り受け、複写させてもらったのも、古石場文化センターのこの応接室であった。ニジンスキーの伝記はいずれ改訂版が出ると伺っている。それにしても、あの頃を思うと、寒山拾得に対するアプローチなど、大分分別がついたと思うのだが。新HP
旧HP
『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』

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