明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

初烏  


急遽竹竿に髑髏の一休を作ることにし、鉄拐仙人がまた再開出来ず。一休を作ってみると、なんで仙人を作ったのか?おそらく面白い話しだ、と虎渓三笑図を作ることにし、実在したが、正確な肖像は不明な、つまり創作可能の人物の頭部を作ってみて、味をしめ、さらに創作の余地のある仙人に手を出したのではなかったか?私の発想としてはこんな所だろう。全て今年の話なのに行き当たりばったりのせいで良くわからなくなっている。もし臨済義玄から一休宗純と進んでいれば、おそらく仙人には行かなかっただろう。しかし仙人は、長らく実在した人物を作って来た鬱屈?を晴らすには最適であった。実在者の場合、人物像が出来て、そこからは創作の余地が生まれるものの、頭部を作るまでは写真を参考に苦痛ばかりである。その点、仙人などという説話上の人物は毎日のように頭部ができていた。おかげでとくにカエル顔している必要がない蝦蟇仙人を粘土ベラが滑ってカエルじみた顔にしてしまった。 竹竿の先に髑髏を掲げる一休。その髑髏にカラスがまとわりついているのはどうか。初烏は元旦に鳴くカラスのことである。



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