明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一休宗純が竹竿に髑髏を掲げ待つ、本来これだけ作るつもりだった作品の仕上げに入る。考えてみると、寒山拾得を作ろうとしながら一年間、それ以外を作って来た。風狂の物語を描こうとして、実在した代表的な風狂の人、一休宗純を作って終わる。寒山と拾得の2人の頭部は出来ていたのに、一休作ったおかげで考えが変わってしまった。それも流れだから仕方がない。    私の東京は64年のオリンピック以前の東京である。20年ほど前に入手した欅のちゃぶ台がある。小津安二郎の映画で、佐分利信がスーツで座布団に茶漬けを食べているのを観ると、やっぱりこれだよな、と思うのだが、腰が限界に来ている。仕事以外も全て椅子の生活にすることにした。あの佐分利信も考えてみれば、今の私よりだいぶ若い。未練がましく、ちゃぶ台の天板を流用し、脚を付けることにした。そこへ小中学校の友人から電話、いくらメールや留守電に連絡しても返事をよこさない変わり者がなんだろう、と思ったら、私の死にそうな声が留守電に入っていたので心配して、という。名前も名乗ったそうである。それは面白い。生き霊の仕業か?テープは消してしまったという。役立たずな奴である。



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