明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

糠床  


すでに芳香を放ち始めているが、かつてやっていたのとは香りが異なる。やはり隅田川のほとりながら、聖路加病院のそばのお陰で爆撃を免れた、母方の祖母伝来の糠を未だ保有している従姉妹に分けてもらいたい。 私は元々、駄菓子は発癌物質として禁止されたチクロ入りでないと語るには足らず、汚れずに生きようったってそうは行かない、というタイプであり、東京の下町育ちにありがちな、男が人前で美味いだ不味いだいうのは恥ずかしいことだ、というところがある。それに足腰がどうなろうと、肝心の手さえ思い通り動きさえすれば、どうなっても、なんて人間であったが、無呼吸症候群と診断され、私のようなタイプにありがちな、幼い頃から一度に2つのことが出来ず、集中力だけは一人前以上という取り柄が損なわれ、一日で済ますことが終わらない。さらにもう一つ、何時間モニターを見つめていても疲れない、という取り柄も、すでにどんな眼鏡レンズも役に立たないと眼科で診断されてしまう有様で、以後、生涯伊達眼鏡、ということになってしまった。相変わらず、やるべきことは上から自動的に降っては来るものの、肝心のそれを具体化、可視化する装置たる身体にようやく危機感を感じた。作りたい物が思ったように作れないならば、生きていても仕方がない。どんな手でも使おう、とまず考えたのが糠漬けである。今年になって腹の具合も芳しくなく、乳酸菌不足も感じる。 そこに来て、一休和尚の”世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬのを待つばかりなり”に出会った。私は昨日まで元気で働きトイレで死んでいた隣人同様、一日たりとも待つ気はない。



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竹竿に骸骨の『初烏』と連作になる『一休和尚酔臥図』は寝ている一休の傍らに門松を考えていたが、室町時代の門松は、現在とは全く違うようで、正確な所は判らない。本当のことなどどうでも良い、といいながら、こだわる部分はこだわらずにいられない所がある。幼稚園児の頃、台風の休園日に佃の渡し船の絵を描いていて、煙突のマークと同じものがある、と母が止めるのも聞かず、マンホールの東京都のマークを見に行った、あの頃、すでに私になっていた訳で、ほとんど生まれつきといってよく、従って父母には申し訳なくあるが、私には全く責任はない。年内に母のいるホームに行くつもりだが、一休の首を持って行くつもりでいる。おそらく母は、私がねだって大人向けの一休禅師を買ってもらい、熱心に読んでいた事を覚えているだろう。初烏というタイトルとカラスで正月感は充分である。門松は要らないだろう。



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