明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日も書いた、一休を作っていて自分の異変に気付いた件だが、作りたい物を目の前にボンヤリするなんてことは物心ついて以来初めてといっても良く、なので当然異変には気付いた。おかげで、被写体をこのまま作り続けるべきでなく、そろそろ被写体を仕上げ、撮影に気持ちを向けるべきだと思った。この辺りが、何でも自分の都合の良い解釈をするといわれる所以なのであるが、いわれて見ればそうかもしれない。しかし一休和尚のように、思い入れが強い人物に取り掛かれば、何かしら起きる訳で、それによりピンボールのボールのように鼻先に角度が付いて、気が付いたら坊様の袈裟を作っていたり、来たことのない場所に立っている。私など何丁目単位しか出歩かず、特に行ってみたい所などないが、前述のような意味においてはまだまだ彷徨い歩きたい。最近多少頭を傾げていることといえば、悪化と老化の区別が曖昧なことである。



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