明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



現在ある頭部が10体、そのうち仕上げ手前まで身体も出来ているのが7 体。寒山と拾得の頭部も出来てはいるが、一休が出来てみると風狂味が物足らなく感ずる。これはなんとなく予想していて、一休を手がけるということはそういうことになるだろう、という気がしていた。さらにしゃれこうべを枕にする一休まで作ってみると改めて来年正月の課題とする。とりあえず登場人物のラインナップはこれぐらいで良しとしよう、ここから山河広がる中国風景などここからが大変である。 糠漬けの大きな楽しみの一つは根菜類をゴリゴリと食べるところにある。香り牛蒡に甘さで人参。漬かり安い物は取り出すタイミングが微妙だが、一つことにかまけてうっかりしてしまう虎渓三笑な人間にも大丈夫である。



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小学4年以来、一休の伝記を改めて読みたいのだが、新たなカットを思い付いてしまうのは明らかである。私としては大ネタだけに、これ以上一休を増やすと重心が変わってしまうだろう。今時、風狂などとは耳にしないが、今だからこそ気になるキーワードではある。風狂といえば時代は随分後年になるが、一休が修業した寺にわざわざ訪れた松尾芭蕉もウチには居る。 それはともかく。一年経つのに、達磨大師がひたすら壁に対峙したようにして被写体をただ作るばかりで個展用作品は一カットも出来ていない。それもこれも、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だ、なんていっているせいである。いずれ誰の頭の中のヴィジョンをモニターに写し出せる時代が来よう。その時は、昔はこんなご苦労な奴がいた、とかつてコンバットの無線機みたいな携帯電話の不動産屋みたいに言われるのかもしれない。



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