寒山拾得から始まり『虎渓三笑図』や『蝦蟇鉄拐図』など道教的モチーフは制作したが、実在した、達磨大師はともかく、臨済宗の宗祖、臨済義玄、一休宗純と続き、日本初の禅寺である、鎌倉は建長寺の開山蘭渓道隆、その後継者である円覚寺の開山無学祖元という鎌倉の禅師二人により、ラインナップが強固に、より充実した。おかげで行き当たりばったり感は薄まって来ただろう。 元寇(蒙古兵)に剣を向けられ微動だにせず、退散させたエピソードのシーンを作った訳だが、その後、北条時致に招かれ来日するが、今度は日本に、、二度に渡り元寇が襲来する。無学祖元は、執権北条時宗に〝莫煩悩”(敵の脅威ばかりを考えて悩む(煩悩)のではなく、今自分にできる限りのことに全力を尽くせ)という言葉を授ける。まるで毎日のように大谷翔平から学んでいるかのような言葉ではある。