昨日の続きである。人間を撮った実写と間違われたことをきっかけに、まことを写すという意味である写真に、ずっとあらがい続け、この期に及んで写真のない鎌倉、室町時代の人物であれば、人間を撮った実写と間違われようと何も問題ないではないか。と昨日気が付いた。いや気が付いたのは、もっと大きな因縁である。 紙幣に選ばれる人物の条件は詳細な写真が残されていることだそうである。私としてもそれは似たようなものである。となると、写真が登場以前に、写真に匹敵するリアリズム表現を日本で探すならば、臨済宗の頂相しか存在しないと私は考えている。つまり私が写真登場以前の人物を作ろうと考え、制作上のこだわりを全うしようとするなら、結局、選択肢は一つ。ということになりそうである。