明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



〝日本人が何故陰影を描かなかったのか。光源が一灯の世界と違い、日本には便所にまで神様がいる。その数八百万という。陰影など出来ようがない“などといっていたのはごく最近の話である。写真に浮世絵やかつての日本画の自由さを取り入れるために陰影を排除した。これなら寒山拾得も手掛けられる。その流れから気がついたら鎌倉、室町の高僧を作っている。 我が胸中に、亡父のデータが3Dで自由自在に動かせるほどあるせいで、都内に墓があるのに骨片が埋まっているだけの墓参りに行く気になれない。こんな不信心者に、日本に初めて本格的禅をもたらせた人物を作らせるには、他にどんな方法があっただろうか? ところが気が付いてしまった。陰影なき鎌倉室町の住人には、逆に陰影を与えるべきではないのか?やってみてようやく気付く。やらないと気付かない。独学我流者はこうしてずっとやって来た。



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