無学祖元師の坐禅姿の制作をようやく開始する。ひたすらチビチビ作った頭部に比べ、身体部分は一気に制作する。これは40年前から変わらない。衣の皺等はリアルに作る気は昔からない。人物の表情がすべてであり、着衣は脇役であり、見事な表現?などして主役の邪魔をしてはならない。たまたま、禅宗の頂相彫刻も、頭部のリアルさに比べ、衣の部分は形式化された表現である。 宗より北条時宗に招かれ、元寇との戦いでの敵味方双方の犠牲者を祀るために創建された鎌倉は円覚寺の開山となった。その来日前、他の僧が元寇を怖れ避難する中、一人寺に残り坐禅をしているところに元寇が現れ剣を喉元に突きつけるが退散させる。これは名場面だ、と作ることにしたが、参考にした祖元像が、頂相彫刻の傑作とされている、と作りながら知ることになる。この場面を思いつかなければ手を出さなかったが、もう遅い。