一休宗純三作目を作る前に、少々部屋を片付ける。 16年に谷中の全生庵の円朝祭りの際、圜朝旧蔵の円山応挙その他の幽霊画や、発見された鏑木清方作品と共に展示頂いたが、帰り際、対応してくれた若い坊様に「いずれ寒山拾得をやります。」と口走っていた。全生庵が臨済宗の寺と知り、これは何かの縁だ、と思ったからだが、臨済宗の寺がそこら中にあるとを知らなかった。 一休宗純も、小4でねだって買ってもらった大人向けの『一休禅師』の曽我蛇足のこちらを横目で見ている挿絵が印象的な肖像画を思い出したら、一休和尚も臨済宗。これも何かに導かれている。なんて思ったのだが、私が参考に人物を制作を可能にするほどリアルな肖像を残すのは、禅宗でも臨済宗の特徴なのを知らなかった。この無知勘違いのまま流れに乗ってしまったが、結果はそれで良かった。ただ、どちらかの坊様に何故臨済宗?と問われたら、多少盛ってしまう可能性はある。