蘭渓道隆と無学祖元、椅子(何か名称がある)に座った木像や絵画を元に制作したが、制作中なのは坐禅姿である。何となく気になり検索すると、曹洞宗は袈裟を着けて坐禅するが、臨済宗は絡子いう物を着けるという。危なかった。どちらも細かいディテールは後回しにしていた。しかし油断は出来ない。700年前もそうだったのか? 臨済宗は壁を背に坐禅するが、曹洞宗は壁に向かう。禅宗の開祖の達磨大師は面壁九年のように壁に向かった。どうやら臨済宗は途中から壁を背にすることになったらしい。それを知って、制作中の坐禅中の無学祖元に剣を向ける蒙古兵は壁の中にめり込んでいることになってしまう、と思った。だがしかし陰影がなく、また無背景となれば、明らかなイメージ上の作品である。と気にしないことにした。考えてみると何が良いといって、陰影がない、即ちすべてイメージの範疇ということを最初から表明していることになる。そういえば、まことを写すという意味の写真という言葉を嫌っていた私は、ここ10年ほど心安らかである。