小学四年で読んだ『一休禅師』の一休和尚のイメージそのままの雲水姿の一休に取りかかる。背景も撮影した。まさかこの爺さんの〝門松は〜“が、あれもこれも作りたかったのに、と悔やみながら死ぬに決まっている。と私を何十年もウンザリさせ続けて来たとは思わなかった。雲水姿の一休を作っていて突然気が付いた。 『狂雲集』での、あからさまな一休にも及ばない訳には行かない、来年一月には冠動脈に何やら突っ込まれる目に会うというのに遠慮などしていられるいるか、と思う反面、書いてることを鵜呑みにして爺いに一杯食わされるのではないか?一筋縄ではいかない。