K本の酔いも覚め、一風呂浴びたあと、10時過ぎにT屋に顔を出す。店は閉まっていたが、かまうことはない。Hさんは吉田拓郎のファンなので『よしだたくろう・オンステージ ともだち』と『岡林信康の世界』をもっていった。聴くのは20年以上ぶりであろう。岡林は今聴くと、まるで今の世相を歌っているように聞こえる。 中学時代の音楽教師は、途中から編入してきた若く可愛いミニスカートの先生であった。指揮をすると、しばしば“シミチョロ”になったが、授業で『友よ』『私たちの望むものは』『イムジン河』などを歌わされた。何も知らない子供に歌わせて悦に入っていたのであろう。 Hさんは九州出身で私より3歳若いが、中学生時代、共に通学用カバンに、ブラスロックバンドChicagoのロゴマークを描いていたことが判明。私は肩掛けの布カバンで、Hさんは革の手提げカバンであった。お互い馬鹿なことをしていたものだが、私はカバンの蓋の裏側に描いたのに対し、Hさんは堂々と表に描いていたというから、馬鹿にも程度の差があるといいたい。歌は世につれ、世は歌につれとは、よくいったものだが、飲みながら思い出すのは、くだらない馬鹿なことほど面白い。よって爪の先ほども昔に戻りたいと思われず、むしろよく無事でここまで来れたと笑えるのが良い。 Hさんがもう一杯というのも聞かず、空が明るくなる前に帰る。そのあと拓郎を聴きながら寝てしまったHさん。朝の定食の準備に起きてきた奥さんに一言「馬鹿」といわれたのであった。おそらく週に3回はいわれているに違いない。
01/07~06/10の雑記
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