明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日まで追い込みで集中していたせいで、今年はまだ冷房を使わずに済んでいたが、すっかり魔法が解けてしまい、我にかえってしまった。身体を覆っていた耐熱服を脱いだ感じである。ところがクーラーのリモコンがでてこない。そうしたものであろう。 結局データは無事印刷所へ。来週水曜日に見本が上がってくるという。よほどのことがなければ、今月末には書籍になる。出版部数を考えれば、どこにも置かれるというわけにはいかないが、来月始めには書店にならぶであろう。 出演者が近所の人ばかりということもあり、9月早々出版記念会というか報告会というか、とりあえず近所で乾杯しようと、出演者のMさんがいってくれているので、定員30人ほどの施設を予約した。参加者は老眼鏡必携のこと、としたい。字が細かいとかいって画しかみない輩が続出することは目に見えている。中には60過ぎて、小説は二十歳のとき『十五少年漂流記』を一冊読んだだけ、というようなならず者も混じっている。河童がなんで青い舌を出しているか。それは鏡花が“青ミミズ”のような、と書いているからである。無理矢理でも内容を把握して帰ってもらいたい。一方ではスライドでプロジェクターに流しながら朗読してもらえば、読まない人にも判ってもらえるだろうとも考えている。乱歩の本を出した時も、ライブハウスと世田谷文学館で、スライドとピアノ演奏で朗読ライブをやった。今回もそんなことが可能かシュミレーションもしてみたい。 そもそも泉鏡花作品をビジュアル化するというのは、野暮な行為という気もするが、野暮ついでに関係者限定ということで、使わなかった没カット、合成前のカットなどを見てもらい、どうやってこの本が作られたか披露することも考えている。なにしろただ撮っただけ、などというカットは最初の1カットくらいであろう。あとは嘘ばっかりである。房総の海に東京から遊びに来た着物の一行が、足首まで海に浸かって楽しそう。なんて場面も、じつはマンションの広場だったりすれば、よっぽど河童に化かされているようであろう。

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編集者から私の制作した画像データについて質問がきた。「何かやりました?」彼には理解できない何かを施しているのではないか、という。まるで私がデータに結界を張ったとでもいいたそうである。いや何もしていない。 先日編集者が書いた本に載せる私のプロフィールを見ていて、あらためて思ったが、04年までは片手に人形を捧げ持ち、片手でカメラを持つ、その格好から“名月赤城山撮法”といっていたアナログな撮影であったが、05年に出した『乱歩 夜の夢こそまこと』ではいきなりフォトショップによる合成で制作している。それまでの手持ち撮影ではただ人形が風景の手前にあるから等身大に見えているだけで、よって常に人形が手前にくるしかない。毎ページそれではとてももたないと思ったからである。当初、編集者の頭にあったのは、そういった手持ちで撮影した乱歩の写真集であったはずだが、書籍の場合はストーリーを描ける、と考えた私がフォトショップを我流ではじめ、当初の編集者のイメージと違う本になってしまった。その当たりについて話し合った記憶がなく、何故方向転換が可能だったか覚えていない。それにしても、私はもう少し準備期間があったと思っていた。 もともと画像を加工するつもりなどなく、HPを作るつもりでウインドウズを使っていた。今思えば暴挙に近いが、下手糞でも作品に念さえこもればあとは些細なこと、と考えてしまう大雑把な私らしい。 以来、今回編集者が見抜いたとおり、主に切って貼るだけの単純な方法で制作を続け、先日、友人のスタジオでデータをチェックしていた時にも露見したが、私はそうとう妙な方法で制作しているらしい。これを主に使うべき、という機能をまったく使っていないので呆れられた。 そんなわけで、編集者が首をかしげるようなことは何もしていない。合成画像は統合され、ただのTIFF画像である。思い当たることといえば、私の念がこもっている。ということぐらいである。これは少々厄介かもしれない。

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今日、明日にもデータが印刷所に回る予定だが、表紙にするつもりで制作しボツになった河童の三郎のカットは裏表紙の折り返した袖の部分に、小さくトリミングされ載ることになった。編集者のいうとおり、ない方がすっきりしているが、私としては、今後使われなかったカットについて思い出さずに済むのだから良しとしてもらおう。三郎の恨めしげな表情も、「もう閉じちゃうの?お名残り惜しいでしゅ」というご挨拶。に見えなくもない。 昭和30年代、東京の下町では、しつこかったり未練がましい男は最低だという風潮の中で育つ。小学生が「おとこは諦めが肝心」などというし、あっさりしていることがカッコイイわけである。しかし江戸っ子の痩せ我慢は、腹の中はともかく、はたからそう見えることが大事である。「宵越しの金は持たない」なんていっていた江戸っ子も、内心はハラハラしていたのが実情であろう。 日常のつまらない話でいうと、例えば食堂に入ったとする。食券の券売機がある。ずらり沢山のメニューである。どれにしようか、と思ったとたん、『男のくせに何食おうか迷ってやがる』。と誰かが見ているのではないかと思うといたたまれず、適当なボタンを押してしまうのである。私は痩せ我慢の見栄のために人生の大事な局面で、何度腹の中と反対のことを口走り、また行動に出て後悔しただろうか。 つまりこれで満足した、などと先日ブログに書いておきながら、水面下では編集者に、小さくても、どこでもいいからあのカットを入れてくれろ、といっていたのである。これで“本当に”思い残すことは爪の先ほどもなくなった。

(私は時折思うのである。この10年以上続けている身辺雑記は、私の人形作家としての神秘性をただ台無しにしているだけではないのか?)

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雷鳴が轟き開けっぱなしの窓から雨の音。今日は撮影前に河童を霧吹きで濡らす必用がないなあ。と思いながら目が覚める。 携帯電話を見ると画面が暗い。どうやらまた液晶画面が壊れたようである。うっすらとヒビが見える。朝目が覚めると携帯が壊れていたり眼鏡が踏みつぶしたように潰れていたり、溶けたアイスクリームが頭にくっついていたり、特に顕著なのが酒類の蒸発である。こういった怪奇現象が続くようならお祓いを考える必用があるかもしれない。 11時にビジネスホテルの喫茶店へ。単行本の表紙の打ち合わせ。今回は著者のご指名ということらしい。変身するヒーロー物だが、マントを着けて逞しい肉体に変身するが、身なりは案外普通のようである。帰宅すると、自分の作った人形を撮影するが、上手く行かない、という方から質問のメールが着ていた。 現場に人形を持っていって撮影しているそうだが、現場で撮影するにしろ合成するにしろ、いくつかポイントがある。足許が写っていなくとも、現場の地面に立っているように見えなければならないが、ちょっとした角度の違いで台の上に乗っているように見えてしまうか、または地面にめり込んでいるように見えるか、見る人には背景とのバランスで経験上判るものである。この辺りを無頓着な人が多く、合成の場合は特に、背景写真がありさえすれば、いくらでも人形を配することができると思い込んでいる。私は片手に人形、片手にカメラで現場で三脚を使わず撮影して来たが、取りあえずはその方法はおすすめせず、人形を固定して撮影するようお伝えした。使用するレンズの画角と背景の距離によって条件が変るが、これはメールでお伝えするのは少々難しい。 合成する場合は背景に当たる光と人物に当たる光。一緒であれば間違いがない。もちろん背景との距離によっては必ずしも同じ光りである必用はないが、同じでない理由に説得力がなければ“木に竹を接いだような”違和感が目立ってしまう。そんなことを気をつけながら撮影しているので、あとは“切って貼るだけ”でおおよそ済むわけである。

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明け方、一旦PCを閉じた。最近このまま起きていて『あまちゃんを』観るか、一度寝て再放送を観るか考えるのだが、ここで一仕事浮かぶ。今回ついに作中に登場しなかった著者の泉鏡花が最後のページにいる。もちろん実写ではなく私が作ったものだが、そこに万古焼きの兎を置こうと考えた。鏡花は酉歳生まれで、七つ先のいわゆる向かい干支を集めると出世する、という言い伝えを信じ、様々な兎をコレクションしていた。その中でも実物大の陶器の置物がお気に入りのようである。鏡花の人形に持たそうと、小さな兎を制作していた時、なんの気なしに覗いた富岡八幡の骨董市で鏡花所有の物と同じ兎を見つけた。箱入りで京都の倉から出たという。私もたまたま酉歳である。間違いなく私と縁がある。さっそく入手した。本文中でも一度使ったが、ほとんど文章の地紋の扱いで良く判らない。そこで最後のページの鏡花の目の前に置こうと改めて撮影した。この兎、可愛らしいがとんだ食わせ物で、言い伝えがたんなる迷信なことを私は知っている。せめてこんなところでもう一働きしなさい。編集者に送る。 入稿来、私の画像データをじっくり点検している編集者に、私はただ切り貼りしているだけだ、ということがバレてしまった。確かにコンピューターグラフィックスというにはあまりに単純原始的なやり方だと自分でも思うのだが。それにしても切り貼りしてるだけなんですね、と笑うが、これはどんな場面か充分考え、光線状態を吟味して撮影しているので、ただ切り貼りでも画になるんですね。ということまでは何故かいわない。

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まだ先の話だが、金沢の鏡花記念館で『貝の穴に河童が居る事』の中から展示することになったというので、10数点選ぶ。昔、鏡花の人形を2体携え金沢で撮影した。始め犀川へ行ってしまい、これじゃ室生犀星だ、と慌てて浅野川へ向かったのを覚えているが、なんで記念館に行かなかったんだろう、と思ったら、その頃はまだなかった。 展示作品には、ここぞとばかりに、表紙のつもりでボツになったカットを紛れ込まそうと考えている。使われていない分他に使いやすく、フェイスブックのトップなどにさっそく。他には河童の三郎と柳田國男の翁とのツーショットははずせないし、河童の三郎を中心に選ぶ。姫神が空中に浮かんでいるカットと、娘のふくらはぎに真っ赤な蛇が巻き付き食い込んでいるカットはどちらか出品しよう。 昼過ぎに古石場文化センターのスタジオへ。だるくてキャリアに載せた真空管アンプが重い。どうやら魔法が解けだしたようである。最初に症状が現れたのは入稿の翌日。K本にでかけ、チューハイの一杯目。“しょっぱい!”塩を一つまみ入れたかのようである。ギョッとしてしまった。次第に元に戻ったが。なんだったのであろうか。 スタジオへは30分遅れて到着。下手糞が練習していないので実に冴えない。それでも大きな音を出すだけで楽しくはあった。 終了後、近所の居酒屋へ直行。これがあってこそである。それぞれがやりたい曲を持ち寄りああだこうだしているが、私が唯一提案したのが、具体的な曲というわけではなく、ただブルース進行の曲である。『ひみつのアッコちゃん』も『バットマンのテーマ』もブルース進行だなあと話しをしていたら、Yさんが本気で混同して口ずさんだ。「バットマーン、バットマーン♪」。「それアッコちゃーん、アッコチャーん好き好きー」じゃないの?笑った。こうしてくだらないまま本日も夜がふける、

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昨日から未練がましくデータを眺めていたが、残念ながらやることがない。この気持ちが出版後、いつまで持つかは判らないが、今の段階では悔いもない。危ない場面がなかったとはいわないが、やってみれば打開策も見つかり上手く着地ができたように思う。 風濤社に遅れて到着。ここに至って慌てることもない。全体の流れからして、あえていうなら一カ所、画像のサイズがいくらか大きいほうが、というところがあったので、なおしてもらったが、これで本当に思い残すことなく私の手を離れた。印刷所から見本が上がってくるのを待ち、チェックの後、完成は今月末。発売は9月に入ってすぐ、ということのようである。 編集者と軽く飲む。どう考えたってこんな本は他にないだろう。という話をしていて、編集者が余計なことをいいそうだったので、私は手で制した「皆までいうな」。確かに一年以上かけて、こんな馬鹿々しいことをする人間は他にいないだろう。“私の代わりは誰にもさせない”。そのためには私はどんな卑怯な手でもつかうのである。そもそも馬鹿々しいことを全力でやる。これは私のメインとなる重要な武器である。しかし私が自分でいうぶんにはいいが、担当編集者が本人にむかっていってはいけないと思う。

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一日  


後書きの手直しを終えた。74カットの画像データを眺めても、どう考えても、やることがない。明日は印刷用に調整を済ませたデータを出版社に届ける。そしてやることを一足先に終えた私は、モニターを前に作業をする編集者の横で、潤沢に備えられたアルコール類のなかから選んだ焼酎を早々に飲み始め、氷をカラカラいわせてしまおう。 昨年の制作開始当初考えていたものより、数段良い物になった気がしている。

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