編集者から私の制作した画像データについて質問がきた。「何かやりました?」彼には理解できない何かを施しているのではないか、という。まるで私がデータに結界を張ったとでもいいたそうである。いや何もしていない。 先日編集者が書いた本に載せる私のプロフィールを見ていて、あらためて思ったが、04年までは片手に人形を捧げ持ち、片手でカメラを持つ、その格好から“名月赤城山撮法”といっていたアナログな撮影であったが、05年に出した『乱歩 夜の夢こそまこと』ではいきなりフォトショップによる合成で制作している。それまでの手持ち撮影ではただ人形が風景の手前にあるから等身大に見えているだけで、よって常に人形が手前にくるしかない。毎ページそれではとてももたないと思ったからである。当初、編集者の頭にあったのは、そういった手持ちで撮影した乱歩の写真集であったはずだが、書籍の場合はストーリーを描ける、と考えた私がフォトショップを我流ではじめ、当初の編集者のイメージと違う本になってしまった。その当たりについて話し合った記憶がなく、何故方向転換が可能だったか覚えていない。それにしても、私はもう少し準備期間があったと思っていた。 もともと画像を加工するつもりなどなく、HPを作るつもりでウインドウズを使っていた。今思えば暴挙に近いが、下手糞でも作品に念さえこもればあとは些細なこと、と考えてしまう大雑把な私らしい。 以来、今回編集者が見抜いたとおり、主に切って貼るだけの単純な方法で制作を続け、先日、友人のスタジオでデータをチェックしていた時にも露見したが、私はそうとう妙な方法で制作しているらしい。これを主に使うべき、という機能をまったく使っていないので呆れられた。 そんなわけで、編集者が首をかしげるようなことは何もしていない。合成画像は統合され、ただのTIFF画像である。思い当たることといえば、私の念がこもっている。ということぐらいである。これは少々厄介かもしれない。
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