制作中のヒーローは筋肉隆々に変身する。私はプロレス好きの父のおかげで物心ついてから、つまり力道山時代から半裸の様々な状態の男達を毎週、穴の開くほど見続けたせいで、資料を参考にせず凡そ作れる。小学校の同級生がマッチ棒で作った案山子のような絵を描いている時に、すでに筋肉を描いていた。女の子は目の中に星を描いていた。海女のアキちゃんは黒目にやたら星が点在しキラキラしているが、あれは眼球の曲率の案配で周囲の光を写すせいであろうか。
小雨の中、今拓哉さんと待ち合わせ、朗読の録音をお願いしている『貝の穴に河童の居る事』の打ち合わせ。原稿にたくさんの書き込みがあり恐縮してしまう。セリフの不明な点など話し合う。鏡花は多少のことなら目をつぶり、リズムを優先するところがある。文字だけ追うとどうなんだろう、という点もあるが、岩波の解説でも首をかしげる解釈をしているくらいなので、多少のことは気にせず、あくまでリズムを最優先して読んでもらうようお願いした。 鏡花は生前、作風が時代遅れとなり、一時期仕事がなかったようだが、それでも自分の作風を守り通した。結局当時新しかったものは、現在読まれることも少なく、一方これ以上古くなりようがない鏡花は未だに芝居に映画に、さらに漫画へと生きている。そしてついにマイナーな『貝の穴に河童の居る事』をビジュアル化しようなどという私まで現れる始末である。“新”がついたとたん、翌日から古び始めるものであるが、そう考えると、ちっとも新しくないのに今までない。これが一番良いと私は考える。 時間がたち落ち着いてみると、制作中手こずるあまり鏡花に対し意地の悪い気分になり、潔癖性の鏡花の嫌う蠅を河童に止まらせ、鼻水まで垂らしてしまった。あの時は寝不足でクラクラしながら、書生風の私が鏡花先生宅を訪ね、風呂敷包みから取り出した拙著の、蠅がたかった河童を見て先生青ざめる。というシーンを想像しながら蠅をとまらせていた。少々大人気なかったが、もう印刷にまわってしまっているのであった。
過去の雑記
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