出版に際して近所の方々に集まっていただくのは9月7日である。いただいた出欠のメールを見ると出版祝賀会、祝う会、お祝いの会等々名称は適当である。できれば本が店頭にならぶ前に出演者、協力者の皆さんに本を渡したかったが、会場を探していて店頭に並ぶ当日になってしまった。もっとも幸か不幸かこの辺りの書店に並ぶはずもないので、先に書店で見てしまった、ということにはならない。 K本で良く顔を合わせるMさんは、作家の墓を訪ね歩くという風流な趣味をもっている。お誘いのメールを送ったら、その日は鏡花の命日ですね。という。エッ? 昨年『貝の穴に河童の居る事』の出版が決まった後、ツイッターで妙に鏡花が話題になっているな、と思ったら今年が生誕百四十周年だという。良いタイミングではないか。きっとそのために企画したと思う人が多いであろう。知っていて決めたことにしておこう、とブログに書いた覚えがあるが、それにしても店頭にならぶ日が鏡花の命日とは。Mさんも私が知っていてそうしたと思っていたようだが、当初の6日から7日になったのは印刷の都合だし、借りた施設も発売の前に、と思うと、その日しか空いていなかった。 今年はようやく母の誕生日を覚えたと思ったら10日間違えていた有様で、日にちに限ったことではないが、私の脳が数字を拒絶するようで、先天的な不調ではないか、と思わないでもないが、携帯の修理が終わって書類に日付とサインするときも、今年が何年だったか、うっかり忘れた芝居をすれば良いし、いっているほどには困ってはいない。限られた容量の我がハードデイスク。数字の分、空いた領域には、例えば幼稚園児以来プロレス中継で蓄積された男達の肉体のイメージが格納されていると思えば、残念な気はまったくしないのである。
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