母校・伊那北高校では、卒業30年目を迎えた年に大同窓会を行うことが慣例となっています。私の代は1990年(高42回)卒ですので、来年が30周年となり、奇遇にも来年は伊那北高校創立100周年と重なり、しかも東京オリンピックがあるので、同窓会を「五輪会」と名付けて動き始めました。
実は7年前の2012年に大同窓会を開催しているので、その流れをつなげて大きくしていきたいと意気込んでいます。
先日の日曜日に、伊那北高校の敷地内にある同窓会館で2回目の幹事会議が開かれましたが、会議終了後に軽く飲みに行くことになり、同窓会館から外に出ると、そこには伊那市の夜景が広がっておりました。すると、みな「おー、いいね~!」と足を止めて夜景を堪能し、私も含めて多くがスマホを出して写真を撮り始めました。
30年前、高3で17~8歳だったあの時。この夜景はあったはずなのに、見た記憶がない。勉強をしていたかはさておき(笑)、おそらくは受験勉強に追われ、自分のことで精一杯で、周りを見る余裕などなかったでしょう。
30年の月日が流れ、みなそれなりにオヤジになった。そして、今は夜景を愛でることができるまでに大人になった。そして、あの多感な時期を彼らと一緒に過ごせていたのだという事実に感謝した瞬間でした。
実は7年前の2012年に大同窓会を開催しているので、その流れをつなげて大きくしていきたいと意気込んでいます。
先日の日曜日に、伊那北高校の敷地内にある同窓会館で2回目の幹事会議が開かれましたが、会議終了後に軽く飲みに行くことになり、同窓会館から外に出ると、そこには伊那市の夜景が広がっておりました。すると、みな「おー、いいね~!」と足を止めて夜景を堪能し、私も含めて多くがスマホを出して写真を撮り始めました。
30年前、高3で17~8歳だったあの時。この夜景はあったはずなのに、見た記憶がない。勉強をしていたかはさておき(笑)、おそらくは受験勉強に追われ、自分のことで精一杯で、周りを見る余裕などなかったでしょう。
30年の月日が流れ、みなそれなりにオヤジになった。そして、今は夜景を愛でることができるまでに大人になった。そして、あの多感な時期を彼らと一緒に過ごせていたのだという事実に感謝した瞬間でした。