帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

男達の大和 その2

2005年10月06日 | Weblog

大和には年齢にして17歳、18歳にしかならない男の子がたくさん乗艦していた事実は否定の無いところであるが、彼らの心の中を知る術はない。
以前”その時歴史は動いた”というテレビ番組を見たが、その中で、運良く生き残った方の話の中に、出撃し、海上にて、その本当の指名を知らされた若者達姿を語っていたのが、私には印象に強く残っています。
その指名が沖縄特攻であるとしらされた水兵達は、始め顔面蒼白に、そしてそのわずか後に真っ赤に染まってきたそうです。
その心は死への恐れ、そして、「ようしやってやる!」という気持ちへの変化だったと語っていました。
もしこの掲示板を見ているのが女性なら、そんな事とんでもないことです! 嘘です! と言いたくなるかも知れません。
しかし、水兵達と同じ”男”という生き物である私には、それもまがいの無い事実であったと私は思うのです。
生命を生み出す存在の女に対して、男はどちらかというと消耗品に近い存在です。
故に男は生きる価値、自分の価値を求めて行動するように出来ています。
非行行動の形の中に、なかまでレースをするかのように、どんどんと悪い事を、先を争うかように起していく傾向があるのも、性がもたらす、本能的な行動の一つであると私は解しています。
消耗品であるが故の、自己犠牲的行動もその一つであり、それが戦場に向かう者の心の一つであるとも、私には思えます。
人は死を真近に感じる事により、その種族保存本能が最大能力を発揮します。
対戦当時は、自分の意思とは何ら無関係のところで、それが身近に迫ってくる時代だったと考えると、なんら死というものに無関係に生きている若者達が、生きるための本能を起動させる事無く、燻り続けたままで成長を遂げ、そこに不要な権利意識や、おかしな平等論、教育法が入り込んでいるのが今の青少年問題の根底に有るのだと私は思います。
だからとて戦争を起せなどというくだらない事を考えはしませんが。
ヨットや、ウインドサーフィンは自分が楽しむすぐ横を、死が並走しながらついて回るスポーツですから。
乗りこなす事は、死を遠ざける事で有ると同時に、種族保存本能が正常な方向で完全に起動することでも有ります。
それまで自分を取り囲んでいた、親、友達、学校、勉強等から身をおいて過ごし、四季の香りを胸いっぱいに過ごすことは。
それまでの自分を1度リセットすることでもあり、同時にこれから自分の歩んでいくべき道を考える時間をもたらしてくれます。
種族保存本能が正常に機能するという事は、生きる力が正常になるという事です。