葬儀に行ってきました。
無くなったのは僕のおじさんにあたる人で、年齢は75歳。
前立腺癌から全身転移、 2年間の闘病の据えに亡くなられた。
このおじさん、 僕が技術系の道へ歩み出す事に絶大な影響を与えた、恩師とも言える方なんです。
兄弟の人数が多かった故に、中学を卒業後は働きながら通信制高校を卒業、そして3年間貯蓄したお金で大学生活を送った。
卒業して就職したのは小さな会社、優しくて面倒見がとても良く、家族に対する愛情がとても深い。
それでいながら自分の意思を決して曲げ無いという頑固な面が有り、変人扱いを受けることも多々。
結婚して平和な人生を送りつつも、子宝には恵まれず、 最後は全身の痛み止めで打つモルヒネによる幻覚に悩まさたりもしたけど、静かに息を引き取った。
本人の堅い遺言で、坊さんを呼ばず、戒名も泣く、 通夜を行わないお葬式。
いわゆる家族というやつだけど、親族の手で新たな国への出発の衣類を着させてもらうのがお葬式。
その後は皆で納棺して、花を沢山添えて・・・
火葬された遺骨は、かなりの骨が残ってた頑丈な身体で、癌にならなければあと20年は生きられたのでは無いか?と思うほどだった。
「人の死は、本人の意思で決定される物ではなく、自然の摂理によりもたらされるもので、
生まれるのに坊さんの経読等により導き等は無く、逆に言えばこの世から黄泉の国へ旅立つのに本人が望まねば経等、要るはずも無いのだ。」
「何も知らない赤子は迷わず生まれ出るのに、人生を生きた知識と経験がある仏様にそんな物は全く不要なのじゃないのかな?」
亡くなられたおじさんに旅立ちの衣類を着せているとき、その安らかな寝顔でそう僕に語りかけてくれたように感じた。
おじさんと僕にはいくつかの共通点が有って、 骨太である事、 殆ど病気らしい経験が無く、
僕と同じように腕、すね、胸など、体毛が殆ど無い、肌が綺麗で皺も殆ど無く、本当に若く見える。
そして性格的にとても似通った面が有り、棺の中で眠る姿に、おもわず自分の最後の姿を重ねてしまった僕ですが、 おじさんの年齢を考えると、僕には人生が終わるまでとんでもない時間がまだ存在している。
骨壺に拾った骨を納めつつ、 僕は「この先残された時間を大切に、そして有意義に過していきたいと思います」と心で声をかけ、
やすらかに眠られるよう、心からお祈りいたしました。
おじさん 子供の頃から、大変お世話になりました。
心から感謝いたします 「ありがとうございました。」