今日は、特段予定も無く、というか、明日の準備で車からカヤック降ろしたり、載せたり。
その後には、釣りとアウトドア用品専門の店で竿を買ったり(4.5mのが壊れたので)、ホームセンターに行ったり。
昨日までと違って、今日は暇なはずなのに、 なんとなく小忙しいような・・・・・
車の中の荷物(オモチャ?)の配置を変えていた時、ぼんやりと頭の中で考えていたことがある。
それは ”男と女の差”=”男の魅力”でも有るわけだけど、はて、”それってなんぞや?” なんて。
まあ、退屈な作業?でもあるので、自然に頭の中は自分を楽しませる話題を”自分”に振ってくる訳だけど、
結果として得たのは安定性そこ 男の最大の魅力なのでは無いか?と。
女性の、感情的に物を考え、情動的に動くのは、男にとっては良い面では可愛く映り、悪い方向で見ると”面倒くさい”ということになる。
理論的思考で物事を考える男は明らかに正反対だ。
だた、論理的思考は時として=冷たさと無関心?でもあるので、そうした面は女性に不評であるかと思う。
ならそれが悪いのか?というと、感情的に物事を考えるが故の、女性社会の妙ちくりん?(失礼!お許しを)な人間関係は横並び社会を構成して、それは居心地良いけど、 その対面ともいえる上下社会は、意味不明なストレスを生むらしい。
では男はどうなのか?というなら、横並び一列は一件よさげに見えるが、その実、何かを成し遂げるには非常に厭らしい側面を持つ。
ただ、友達として楽しむだけなら横並びOK!だけど。
男の場合、”運用”すなわち何かを目標として全体が動かねばならない事態が起きると、極自然に三角形の社会構成を取り始め、その中で自分が使命(任務)を果たすのが心地よい!という感じに、これまた自然に変化する。
こうした男女の違いは、異なる両性の恋愛?いやもっと突き詰めると 供に暮らしていく中でどう行った形で現れるか?というなら、
男は太陽で、女性は恒星というべきか? それとも男はひまわりで、女性はミツバチ?というか、
子供の絵を見ていると誰でも気がつくことがある、 家庭円満でお父さんの存在がしっかりしている家庭は、
”家族の絵”として何かを比喩的に書かせると、父親のシンボルを必ず力強く、そして大きく描き、その傍らに母親を描く。
どんな絵でも共通して言えるのは、安定した物を父親の姿として描く傾向がある。
でもって、子供が”男”という物をそうした存在として捉えているなら、女性の視点はどうであろうか?と、まあそれをボ~っと?
考えていたのだけど、「それって理屈じゃ無いだろ!」 きゃはは!
つまるところ、家庭の安定は、その家の男にどれだけの安定力が有るか?がなによりも問われる訳(重要)で、昨今のブラックだ、リストラだ、
という言葉が当たり前の様にまかり通る社会になると、大企業や公務員が半端なく持てるらしい???が、それも一つの安定を求める女性の本能。
でもって、まずは外形的条件?が充足されると、その次に来るのは人間的な安定性に的が移される。
これは、自分の周りを飛び回る子供達や、奥さんの心の支えであり続けることで、それはまた感情的に行動しやすいが故に巻き起こる色々な出来事に対して、笑顔を絶やさず、あたかも大地の様であることでもあり・・・・・
それは巨木の幹のようでもあり。
人は、大きく、そしてどっしりと構え、長き年月を生きてきた巨木に自然と魅せられる。
理由は簡単で、 それは父親の姿で、また男としての理想の姿でもあるからだ。
生きることは様々な出来事や困難、そして苦しみの連続だ。
ただ、それを受け取る人達の、それぞれの差というのは現実的には無い、大抵は同じ物を受け取り、同じ物で苦しみ、同じ物で、悩むわけだけど、
もし 男の力が強く=人間的な強さ に優れていて、それがどんな究竟にも耐え、冷静でいて取り乱しもせず、どっしりと構えて、
いわゆる”優れた安定性”がそこにあるなら、それこそが男の本当の優しさなのではないか?
黙っていても周りが安心していられる存在・・・・
なんて、考えたりしていました。
「ん~~~~ 今、夕方の5時10分」、こんなん時間に?なんて思われると恥ずかしいですが、 なんとなく思ったことを綴ってみました。
関東の酔っ払い、本当にしょうがね~!!!! (爆笑)
最後に、つまらない日記読んでくれて、ありがとうございました。 &
明日は風吹くかな~?