デカイ・・・・・ ウルトライドの34インチモニター。
年末に若衆がエッサエッサ”と持って来てドアの前にドン!! と置いてあった。
組織上層部から僕へのプレゼント??とかなんとか云々。
葬儀後のゴタゴタで、開封もせずにホッタラカシニしていたけど、
どうしよ、これ・・・・・・ なははは
デカイ・・・・・ ウルトライドの34インチモニター。
年末に若衆がエッサエッサ”と持って来てドアの前にドン!! と置いてあった。
組織上層部から僕へのプレゼント??とかなんとか云々。
葬儀後のゴタゴタで、開封もせずにホッタラカシニしていたけど、
どうしよ、これ・・・・・・ なははは
親父が亡くなったのは昨年末、そして孫が生まれたのが昨年の5月末。 ほぼ半年間の時間差があるわけですが、
片方はどんどんと体が衰えていき、もう片方はどんどんと成長。
誕生と死がクロスする、約6ヶ月の時間を、僕は一人の人間として観てきた訳ですが、
何度も聞いた事がある、老いて行く事は子供に戻る事である、というのを、この短い期間に身をもって体験したように思います。
そこから思うのは、誕生と死は同じであって、ただし、方向が真逆であるということ。
親父はガンとかそういった病気にてこの世を去ったわけでは無く、完全な老衰で自然な死。
人は自然の中の一つの現象として生まれてくるのですけど、胎内に居るとき、そして死を迎えた後は同じポーズをとるらしい。
子供は母親の胎内で、背中を丸めて腕と足を胸の前に折りたたんだ姿で、いわゆる胎児ポーズで頭から生まれて来ますが、亡くなったお年寄りを火葬していると、灰になっていく過程で体が丸まり、手を胸の前に上げ、足も折りたたむようにして、
いわゆる胎児の姿勢に近い状態で骨になっていくとのこと。
*なので、火葬する際に真っ直ぐだった体の骨はその形を保たず、火葬後に職員さん達が骨を並べなおして親族に会わせるらしいです。
子供が生まれ、初めて息をしたときは、肺にいっぱいの空気を吸い込んで「おぎゃ~!!」となるが、
人が亡くなる時は、最後に大きく深呼吸をするようにして命が終わる。
始まりと終わりが同じ。
ちなみに、誕生と臨終は 潮の満ち引きと関連しているのは、これも有名な話。
子供は生まれたそのときから、母乳を飲み始め、その量はどんどんと増えて育つ。
お年寄りは最後の時に近くなるほど食事の量が減り、そして最後には水すら飲むことが出来なくなる。
人が生まれてしばらくの間は、体のあらゆる感覚は上手に脳へ伝わらず、身体機能も未熟で体温調整すら自分で行うのは難しく、
時間の経過とともに、目が見えるようになり、暑さ寒さを感じ、痛覚も発達して、いわゆる5感が完成されていく。
老いることは子供が生まれて取得していった様々な感覚を、真逆に一つずつ失っていくことであり、最後は息もなんとかする程度にまで減って、
最後は体の感覚がほぼ失われているので、息苦しいとかおなかが空いたとかという感覚は無くて、時間の概念も無いし、
何かを話すことも難しくなり、赤子のようにただひたすら目を閉じて心臓が止まる時を待つ。
終末期に顎呼吸をする姿をみていると、苦しくはないのだろうか? 喉は渇かないのだろうか?と思うが、
その時は脳からはホルモンが大量に分泌されて、幸福感の中で最後を迎えるというけど、これは生まれてきた幼児が
母親の腕の中で抱かれて母乳を飲み、子守歌の中で幸福感を感じるのと同じで、 故に泣いている子はそれに包まれて
眠ることが出来る。
お年寄りは身体機能がどんどんと衰えて、歩けなくなっていき、寝返りを打つことも難しくなるし、排尿排便のコントロールが出来なくなっていくが、
幼児は全く真逆の方向で、ただ寝ているだけの姿から、寝返りを打ち、ハイハイをして、つかまり立ちに挑戦し始め、
歩き始めて、オムツが不要になっていく。
早く大きくならねば、外からもたらされる危害から逃れることが難しい故にその成長は早い。 まあ、野生動物に比べれば遅いけど(笑)
一方、お年寄りは????というと、失われていく身体能力は一つもしくは複数ずつやってきて、ただ、失った物を取り戻そうとリハビリしたり、自分で他に補おうとするために、比較的ゆっくりと時が経過していく。
亡くなる6ヶ月前の親父は、胆石の入院から退院した頃で、この頃は車椅子がメインで、
まだ介添えすればなんとか自分で歩けたし、誤飲による咽せは多少有ったけど食欲は旺盛。
言葉は少なかったけど、認知の問題も無く(とはいえど年相応)、普通に会話は出来た。
コロナの再流行とインフルエンザの夏期流行で、面会が難しくなり、やがて誤飲から肺炎になって病院に入院したのは8月の中頃、
そして同月末に病院の医師からの話があり”食事がかなり難しいので、胃瘻を建設するか、静脈注射か、看取るか?”の判断をせまられ、
僕自身は思っても居なかったのでパニック。
というのは血管からの栄養投与や、胃瘻などは親父が最も嫌がっていた事で、結論を数日後に出すことにして病室で親父と面会した僕は
どう判断してよいかも判らず、大人げないことだが、あふれる涙を止めることが出来なかった。
ただ、この時に病院に居た優秀なリハビリ士さんが、寝ている状態でも食べられる方法をみつけてくれ、
胃瘻建設をお願いするために電話した僕への、医師の返事は「食事が自分でとれるようになったので、とりあえずそのまま見守りましょう」という言葉だった。
10月の中頃には栄養剤静脈投与と、きちんと食事を食べられていた事からほぼ全快復にまで至り、ただ、誤嚥性肺炎の再発可能性が非常に高い故に、特別養護老人ホームから介護医療員へ転院。
このときはほぼ寝たきりではあったけど、話かけると会話も出来たし冗談に答える余裕がまだ有った。
僕もその姿見て安心しきっていたし、11月の始め頃までは、普通に食事もとれて元気だったのが、
突然の帯状疱疹、それによる高熱で、そこから食事をとるのが難しくなってきた。
病院の判断で、点滴の投与を開始下のが11月10日。
この頃は、以前の元気さは無いけど、母親連れての面会で話も出来たし、手のひらを握ったり、
ひ孫のビデオを見たりが出来ていた。
11月の終わりには、全身のむくみから点滴の投与が不可能となり、後は身体に残る水分だけで生きているだけの、
いわゆる本当の終末期に入った。
当たり前だけど体は徐々に衰弱して行き、言葉が出なくなったので、手のひらを握ったり放したりである程度の会話が出来ていたけど、やがてそれも徐々に不可能へ。
ただ、ひ孫のビデオを見せたりすると瞳で追いかけていたし、わずかに表情が変わって、笑っている事も判った。
ほぼ最後の5日間はほとんど無反応となり、最後の時を迎える事がほぼ間違い物なのだと・・・・
なんとか快復することを願っていた僕や母にも、それが叶わぬ事なのだと伝わり、またそれが覚悟の出来る時間でもあった。
点滴投与を停止して、約2週間後の12月12日に臨終。
この半年の時間、人がどういう風にして死に至るのか?という事を、親父は身を挺して僕に教えてくれたわけで、
そして、人はその死に対して真逆のステップを踏みながら成長していく事を、改めて孫から教えてもらった。
火葬されねば、人の体はバラバラになり、分解されて骨となり、さらにその骨も年月の経過とともに土になっていく。
最後の故郷で有る、自然に帰るわけだ。
赤子は、人の本能に沿った自然な行為によって命が発生し、”人類が誕生してからの進化の歴史”を海と同じ成分で構成された羊水の中で、再現しながら生まれてくる。
単細胞生物から、多細胞生物へ、やがて目と心臓が出来、背骨と尾が成長することで、魚の姿になって太古の海を泳いでいた時代になる。
そして、手の指に水かきのついたオタマジャクシの様な姿になり、海と陸で生きる生物へと変化する。
やがて水かきが消滅しながら、尻尾のある陸上生物になり、その尾が徐々に消滅していく時間の経過と同時に著しく脳が発達。
猿から人間へと進化する。
最後は破水して羊水(過去が)が失われ、その後すぐに産道を通って最初の肺呼吸が始まる。
その進化の過程を再現しながら経ていく成長は、母体が食する事は当然必要であり、その成長の栄養素はすべて自然からもたらされる物なわけで、
母親から間接的にそれを受け取っているのだけど、人は自然の恵みから構成されているという事、そのものでもある。
ちなみに今、CO2で”環境問題”というゴタゴタを起こす事で金儲けを企んでいる欧州によって、世界中がひきづられている訳だが、
本来、食べ物は全てCO2で出来ている、 もちろん人の体もすべてCO2で出来ている。
地球上からCO2が失われる、もしくは減少する云うことは、確実に人は絶滅する事を意味する。
理由は?というなら至極簡単な法則であって、植物はCO2が無ければ成長が出来ないから。
CO2が多ければ植物(プランクトン含む)は元気になるわけで、その真逆に”減らす”という事は すべての生き物の食を無くすという事になるんです。
そんな訳ですが、話を戻します。
家は、親父も母親もかなり長生きで、しかも親父は最後の2年くらい前までは至極元気だった。
「すげ~~~!!」
そして、母親は94歳にして、人に頼らず生活が出来ている。
健康寿命というのが人には有るわけですけど、その二人の遺伝子を受け継いでいる自分には、おそらくかなりの時間があると推定できるわけで、
人生の終わりはまだ遠いけど、 それまでは残された時間をこれまでより一層有意義にすごして行きたいなと思う。
この半年間で、様々なことを親父と孫から学ばせてもらた僕ですが、
今、この瞬間にハイハイで盛んに室内を探索しまくっている孫の姿を観つつ、晩酌をしながら思う、翔です。