帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

姪の結婚式

2022年11月03日 | Weblog

昨日の早朝、家内と娘を羽田に送って、 また迎えに行くのは日曜日。

 

姪の結婚式の出席の為ですが、 とまあ、どちらかというとそれ以外の観光の方がメインだろうなと  ははは

朝の6時半頃の便で鹿児島空港に飛んだわけですが、8時半頃だったかな電話があって、 レンタカーで知覧に向かっているとのこと。

鹿児島を周り、次に熊本で結婚式に参加して、 で福岡に行くんかな?

というコースらしい。

 

知覧は 僕の人生を大きく変えてくれた、マジで思い出深いところで、 当時その近辺に大きな通信所があって、

そこへ定期的にメンテナンスに行っていた。

 

休みの日に先輩に連れられ”特攻観音”に行き、 そこで大きな衝撃を受けて、 それが今の自分にそのまま繋がっている。

 

特に意識すること無く、目標も無く、なんとなく流される様に生きていた自分にとっては、それは余りにも衝撃的で、

資料館を出た時には涙が止まらない状態になっていた。

 

以降、無駄に時間を過ごす事を戒め、 小さな事でも良いから自分を磨くように心がけ、なんとかここまで平穏にやってこれた。

 

自分がそうだったから、「今の若いやつは!」なんて言葉は絶対に口にせず、見守るようにしているわけだけど、

気づけば、自分の周りの大半はそうした世代に入れ替わり、 あの当時の先輩や上司だった方達も今はかなりの高齢。

10代後半の時に、30代の後半以上だったりすると 現在70台の半分以上なので、 

もうかなりの方達が他界されているのでは無いかと思う。

 

そういえば職場の、少し先輩の奥さんが月曜日に亡くなられた。

しばらく休んでいたのだけど、電話で訃報の連絡があった。

9月の終わり頃に、「あと数日です」と病院で言われ、そこから自宅介護に変更。

意識を失い、高熱が続いていたのが奇跡的に元気になり、 その話を聞いた僕は「もしかして・・・・」と、

自分も、もちろんその先輩もかすかな希望を持っていたわけだけど。

医師の言う事は、残酷なまでに正確だった。

 

葬儀は完全な家族葬との事だったので、奥さんと面識が無いわけではなかった僕は仕事終わってから、礼服に着替えて先輩の家に伺った。

 

約10年間の闘病生活だったらしいが、奥さんの年齢は僕と同じで、余りにも早すぎる人生の終焉だけど、

自分だって、この先どのくらい生きられるかは判らない。

 

自分の実親はかなりの高齢で、平均寿命を遙かに超えてまだ元気。

親爺の方は 今年の6月に脳梗塞で右半身に麻痺が出てしまっているけど、リハビリで入っている病院の話では

元気で積極的に歩行訓練をしているそうだ。

 

3ヶ月がリハビリの最大期間なので、 その前に医師の方から経過報告兼ねた面談の連絡があり、14日の午後とのこと。

 

何せコロナの影響で、全く面外出来ずに2ヶ月近く、来てしまったのですが、 面談の内容次第では、 家の中に手すりを付けたり、

もし車椅子という事であるなら今のトイレの出入りが難しいので、新たにトイレを設置したり等やることが沢山出てくる。

 

もともとがバリアフリーの設計なので、車椅子での移動は支障ないけど、 掴まってゆっくりでも良いので、

可能な限り自分の足で家の中は歩いてもらいたい。

 

母親が高齢故に、 介護はほぼ不可能なので、身体機能がこれ以上落ちると 施設も考えなくてはならず。

そうなると金銭的なことを含めて、考えねばならないことは余りにも多い。

 

携帯の電話の向こうで「職場にまにあった~?」と人をタクシー代わりにしておきながら、楽しそうな二人の声を聞いた訳だが、

僕は普通に仕事だ。

まあ、九州とかは余りにも遠く、 滅多に観光にいける事が無いから、 しっかり楽しんできて欲しいとは思うけど(笑)

 

年齢と供に、色々なことが起きてきて、 それらの事をまったく考えずに居ると、この先何かあった場合に混乱してパニックになったり、

身動きできなくなったりするので、

それなりに考えるが、 かといって考えすぎると広がりすぎて、気持ち的にどうにも収集が付かなくなる。

 

まあ、成る様にしか、成らない訳ですけど