12月5日
寒い寒い。寒波は列島を覆っているのだそうだ。今朝は良い天気。
台所から外を見る。一晩でハゼの葉がすっかり落ちている。葉が落ちた枝先が、新芽のように鮮やかな赤い色をしている。毎年、そうだったかな、記憶がない。ハゼの実も熟して銀色になってきた。シジュウカラが付け根をつついていた。もうじき、野鳥たちがこれを目当てに来るだろう。たのしみだ。
いやな事件が続いている。命を大事にしない社会のツケガあちこちに現れてしまっている。日本もおしまいだなぁ。とはいえ、被害にあった子どもたちは可哀想でやりきれない。
筑紫哲也のエッセイに「メニューインと箸」の話があった。(図書12月号)
メニューインは敗戦後の日本にやってきた最初の一流ヴァイオリニストであった。私も父に呼ばれ、正座してラジオから流れるヴァイオリンに耳を傾けたものだ。バッハのシャコンヌだったと思う。なぜ父がはメニューインに限って、演奏を聞かせたのかよくわからないが、たぶん一流演奏家のヴァイオリンをピアノを習っていた私に聞かせようと思ったからだろう。
メニューインの演奏、焼け残った日比谷公会堂しかなかったが、は歴史的な演奏会だったという。それはそうだろう。演奏会に行けない地方の子どもだった私でさえ、ラジオの前で正座して聞いたのだから。
そのメニューインが豊かになった日本に再来日したとき、筑紫さんがインタビューした。
「すっかりかわったでしょう」というと「確かに見た目の光景は変わった。しかし日本人はそう変わらないと思う」とメニューインは答えた。そして彼は、変わらない理由として、「日本人が箸をつ使い続ける限り・・」と言った。
メニューインは音楽院を創設し、後に続くものたちを育てた。アジアの子どもたちにもその手は差し伸べられた。なかで日本の子どもたちや若者がどうしてデリケートな指使いに優れているのか考えた末の結論が「箸」だったらしい。
ここでブログにカキコミが出来なくなってしまって、思考は中断。
どうしてもアクセスできなかったが、いまは出来る。どうして???
メニューインは音楽院をつくって多くの後輩を育てる。アジアや日本の子ども達も学んだ。日本人の手先の器用さは、箸を使うことにあると彼は結論したらしい。
その日本人の手先の器用さが戦後の日本を作ってきた。そして大きく発展させることになった。ところが、その器用さがいまや危なくなっている。筑紫さんの主張と私達の主張は同じである。
箸を上手に使えない子が増えている。子ども達はアメリカナイズされた食べものを喜んでいる。それだけでない。食卓を囲んでの一家団欒もなくなってしまっている。家庭でも物を作る楽しみとか喜びがなくなってしまった。何でも売っているからだ。これは社会問題だ、と私達も声を大にして訴えてきた。こころが育っていないよ、怖いよ、とも。切れる子が多いのも食べ物のせいだとも。こんな残酷な事件があいついているのを見ると、戦後の日本の失ってしまったものの大きさに愕然とするばかりでなく、この先日本はどうなるのだろうか、心配である。私達老人が心配しても仕方ないことだろうか。まだ引き返すことが時間があるのだろうか。