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図書12月号から

2005-12-03 00:23:31 | アート・文化
「ブータン人の『夜這い』ともてなし」
文章はフランス国立科学センター・チべット史の今枝由郎さん。

夜這いとは、大辞林では
1 夜、恋人のもとへ忍んで通うこと。特に、男が女の寝所に忍び入って情を通じること。

2 結婚を求めて言い寄ること。求婚すること。


夜這いというのは日本でもあったことだ。特に地方には残ってたようだ。戦前、いや戦後まで農村部では残っていたように記憶しているが、実際いつごろまで続いていたのだろう。

さて、ブータンには1980年代、今枝さんがブータンにいた頃、被害ブータンでは生きさせtもらttqにしても。た風習であったという。

今枝さんの話によると、ブータンは女系家族である。
「日中、男から女に言い寄り、その晩よりたいという意向をつげる。男が約束した場所に行き合図するが、女の方に気があれば、中から開けるし、気がなければ男は中に入れてもらえない。女に主導権、決定権があるのである。最初のうちは、夜が明ける前に男は去っていくが、朝食まで残ると、その男は婿入りしたことになり、以後は女の家の労働力になる。男は外部から来て、労働と生殖に加わるだけである。これが東ブータンの女系社会である。
当然のこととして、家では女が実験を持っている。財産はすべて女のものだし、男は本当に労働力の一部でしかない。

男はよく放り出される。もともと結婚といった法的制度はなく、男が女の家に入りこむだけである。だから出て行くと成っても、さほどの抵抗おうである。子どもがいても、子どもは女の側の大家族が育てるから、それほど深刻な問題ではない。
ブータンの男と女の関係は、結構おおらかで、外部の人からは、不節操にさえ見える。・・・」

女系社会というのは自然の成り行きだと思っている。
私が今枝さんの文書にに興味を持ったのは、夜這いの習慣ではなく、女系社会のことだ。女性たちが家庭においても社会においても実権をもつことは大いに結構なことだと思っているからである。
ブータンといっても西の、首都や開けた町に、たった5日しか滞在しなかったのだからわかるわけはないが、女性中心の社会だと言う印象は受けなかった。隣のネパールの村では刈入れや脱穀に働いているのは女ばかりで、男はちっとも働いていなかった、がブータンでは家族そろって田んぼで働いていた。民宿させてもらった家でも父親を尊重していた。

夕食が美味しかった、と家の娘に礼を言うと、父親に言ってやってほしいと言われた。だから家長は父親なんだと思っていた。ブータンはチベット仏教の流れを汲む仏教国である。仏教では最近は別として、古くは女性の地位を高く認めてはいない。国王も男性であるし、たしか国王には姉さんがいたから、王位継承は男性なんだろうと思う、会ったお役人たちも男性だった。職場を与えると言う意味で分業なのかなとも思っていたが。




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