ハゼの実をついばむツグミ。光のあるところに来てくれるといいのだが、なかなか遠慮深くて光のないところにいる。このデジカメ、マクロでクモばかり撮っているので、ロングにするとご機嫌悪く、どうも甘ピン。でも、webにのせるのにはラクなので。
娘がギタリストDavid RussellのCDを送ってくれた。ラッセルは今人気のあるギタリストだそうだ。さっそく繰り返して聴いている。曲目は若かりし頃、よく聞いたもの、でも、いまいちピンと来ない。記憶に残っている音と違うのである。記憶というものはともすれば美化を伴う。
若かりし頃、私が聞いていたのはA・セゴビアやイエペスである。特にセゴビアのレコードは買いため、毎日のように聴いていた。音が宇宙に広がっていくような印象を持っている。彼らのレコードは今もたくさん残っているが、LPのプレーヤーがないので、いや正確には針がないので、かけることは出来ない。たぶん針があったとしても、録音はモノラルだろうし、それにディスクがもう変形してしまって、波打っているかと思うとかける気もしない。そこで思い込んでいる音を現実に聴いてみようと、セゴビアやイエペスの同じ曲目の入ったCDを探してみた。結構高い。もう少し考えよう。
前の教室のピアノは役に立っているようである。旧真小の生徒達が卒業の時に歌っていた「ゴールをめざして」という歌があるそうだ。岩小と合併したので、名称も「まなづる小」になって、卒業式の歌も変更になってしまって、下級生達は歌いたかったのに歌えなくなったという。そこで、伴奏できる子が譜面を持ってきて、みんなにコピーして渡し、その子の伴奏に合わせて歌っているとのことだ。「いいね、塾歌になるんじゃない。それにひきかえグランドはかわいそうだよ」「mamasan、練習始めるんじゃなかったの?」「うん、でも、寒いときはイヤだよ」
Tさんが大きなマスクをかけてやってきた。「風邪がぬけなくて。なんとなく気力がなくなって」「歳をとると、治りが悪くなるね。私なんかもう2ケ月ぐらいになるよ。寝込むと起きられなくなりそうだから起きてるから、なお治りがわるいのかも」と年寄り二人でぼやいている。 ボヤイテイルすぐソバの枝でカポが「かあ、かあ」鳴いている。「あのカラス、鳴き声がちがうんじゃない」「荒れは餌をくれってねだっているのよ。知らん顔しているともっと大きな声で鳴きだすよ」と言っている間に、声は大きくなってきた。「ほらね」私が家に向かうとカポがさっさと、サクラに木に移動してきた。ほんとに利口だねぇ。
遠藤周作の「イエスの生涯」読み始める。さすが小説家、読みやすい。「死海のほとり」と関連しているからかも。
昨夜、観葉植物の葉っぱにギンナガゴミグモが要るのに気がついた。で、寒いだろうと、鉢ごと暖かい部屋においてやった。今朝見ると、クモはいない。暖かかったから、部屋にどっかに移動してしまったのかも。葉っぱに網をかけていたから、虫をとってやろうと思っていたのに、残念!