午前8時、テレビをつけようと思ったが、阿部さんの顔は見たくないし、核の平和利用は是とし、宣言文に盛り込むと言っていた市長のアッピールも聞きたくないし、と今年はテレビをつけるのはやめた。
8時16分、原爆で犠牲になった人々、いまなお被爆の後遺症で苦しむ人々を思って、ひとり静かに黙祷を捧げた。
昨日のことだ。チャンネルを回していると、ピカドンの日と言うタイトルで外国人が流暢な日本語で話しているのを見た。視点・論点だったろうか。
彼の名はアーサー・ビナードというアメリカ人だった。英米文学の専攻だったが、日本語に興味を抱いて来日し、広島の原爆資料館で語り部が説明するピカドンに強烈な印象を受けたという。語り部は原子力爆弾、原爆、核兵器・・などと言う言葉は使わなかった。ただピカドンと。
B29 エノラ ゲイで運ばれ、落とされたLittle Boyという名の爆弾は確かにU235を使った原子力爆弾、核兵器だ。しかし落とされた人々には、それはピカドンという表現が一番ふさわしい、一瞬にして大勢の人の命を奪い、市街を廃墟にしてしまった、強力な爆弾、ピカドンだった。
そして次いで、長崎に落とされた爆弾は広島の爆弾とは違うプルトニウム爆弾。これは原子炉の中で生成されたプルトニウムを利用している。威力は広島のものより大きい。
だから彼は、原爆の日とは言わない。ピカドンの日と言っているそう。私は何て言っているかな?私はずっとヒロシマの日、ナガサキの日とカタカナを使って表現している。
長崎に投下された爆弾はFat Manと言う名がある。これはチャーチルにちなんで名付けられたとも聞く。
ビナードはいう。二つの爆弾を原爆という名でひとくくりにしてしまうと見えてこないものがある。それは二つの違い、Little BoyはU235爆弾、Fat Manは原子炉から生成されたプルトニウム爆弾(U238→→Pu239)、その平行線上に原子力発電、原発があることを見落としている、というのだ。なるほど、日本人に欠落している視点をアメリカ人に教えられた思いだ。
話の中で彼の「さがしています」という絵本を紹介していた。初めは8時16分で止まった時計。時計はおはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい、と言う声を聞いていた。しかし、時計にはこんにちは、こんばんは・・・とつづく言葉が聞こえない。未来永劫8時16分で止まったまま。時計はこんにちは…と続く言葉をさがしている、ということなのだろう。絵本は続くが割愛。
聞き終わってから、アーサー・ビナードを検索してみた。詩人なんだ。中原中也賞も受賞していた。さっそく「さがしています」と言う絵本を注文した。
◇アーサー・ビナードの紹介はここで読んだ。